ミシシッピ郡 (ミズーリ州)
From Wikipedia, the free encyclopedia
| ミズーリ州ミシシッピ郡 | |
|---|---|
郡のミズーリ州内の位置 | |
州のアメリカ合衆国内の位置 | |
| 設立 | 1845年2月14日 |
| 郡名の由来 | ミシシッピ川 |
| 郡庁所在地 | チャールストン |
| 最大の都市 | チャールストン |
| 面積 - 総面積 - 陸 - 水 |
1,111 km2 (428.91 mi2) 1,070 km2 (413.16 mi2) 41 km2 (15.75 mi2), 3.67% |
| 人口 - (2010年) - 密度 |
14,358人 5人/km2 (14人/mi2) |
| 標準時 | 中部: UTC-6/-5 |
| ウェブサイト | 01f3e4a |
ミシシッピ郡(英: Mississippi County)は、アメリカ合衆国ミズーリ州の南東部、ブートヒール地域に位置する郡である。2010年国勢調査での人口は14,358人であり、2000年の13,427人から6.9%増加した[1]。郡庁所在地はチャールストン市(人口5,947人[2])であり、同郡で人口最大の都市でもある。ミシシッピ郡は1845年2月14日に設立され、郡名はミシシッピ川に因んで名付けられた。
ミシシッピ郡は、北をスコット郡丘陵、南をセンとジェイムズ・バイユー、東をミシシッピ川、西をリトル川に接する広大な地域、昔は「ティワッピティ・ボトム」と呼ばれた土地に位置している。
1540年、エルナンド・デ・ソトがアーカンザス川を通り、おそらく、様々なインディアン部族しか居なかったミズーリ州南東部まで入った。白人移民がじわじわとその入植範囲を広げ、インディアンは生き残りのために西に追いやられた。ミズーリ州南東部はその平坦かつ低い湿地で知られ、雨が多いときはミシシッピ川の洪水に曝された。原生林があることは、森林を求めていた材木男爵を惹きつけた。土地が開墾されると堤防が築かれ、排水地区が形成された。その排水地区の中に数百マイルにおよぶ堤防や土手が築かれ、数千エーカーの土地が農業に使われるようになった。その土地は数世紀におよぶミシシッピ川の洪水で肥沃になっており、トウモロコシ、コムギ、綿花、また後には大豆や米の栽培に優れていた。
1820年までにミズーリ州南東部の郡部に開拓地が作られた。開拓者の大半は農夫であり、イリノイ州、ケンタッキー州、テネシー州、バージニア州から肥沃で安い土地を求めて来ており、チャールストン周辺に入った。
現在チャールストン市がある土地は1830年に入植された。1837年、サンクフル・ランドルという人物がジョセフ・ムーアに22.5エーカー (90,000 m2) の土地を売却し、即座にチャールストン市の区画割が行われた。当初の領域は南北4ブロック、東西3ブロックの12ブロックだった。当初の区画は1837年5月20日に登記された。ミシシッピ郡でチャールストン市を法人化する法案が、1872年3月25日にミズーリ州議会を通過した。
地理
アメリカ合衆国国勢調査局に拠れば、郡域全面積は428.91平方マイル (1,110.9 km2)であり、このうち陸地413.16平方マイル (1,070.1 km2)、水域は15.75平方マイル (40.8 km2)で水域率は3.67%である[3]。
主要高規格道路
隣接する郡
- アレクサンダー郡 (イリノイ州) - 北
- バラード郡 (ケンタッキー州) - 北東
- カーライル郡 (ケンタッキー州) - 東
- ヒックマン郡 (ケンタッキー州) - 南東
- フルトン郡 (ケンタッキー州) - 南
- ニューマドリード郡 - 南西
- スコット郡 - 北西
ミシシッピ郡と接する7郡のうち4郡がケンタッキー州の郡であるが、これら4郡と直接結ぶ高規格道路は無い。このミズーリ州に接するケンタッキー州の郡はどれもミズーリ州と繋ぐ高規格道路を持っておらず、アメリカ合衆国の中でもこのような関係はこの2州のみである。
| スコット郡 | アレクサンダー郡 (イリノイ州) | バラード郡 (ケンタッキー州) | ||
| カーライル郡 (ケンタッキー州) | ||||
| ニューマドリード郡 | フルトン郡 (ケンタッキー州) | ヒックマン郡 (ケンタッキー州) |
人口動態
|
基礎データ
人種別人口構成
年齢別人口構成
|
世帯と家族(対世帯数)
収入収入と家計 |