オンリーフォアライフ

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オンリーフォアライフ英語: Only for Life1960年 - 1985年5月13日)は、イギリス競走馬である。主な勝ち鞍は2000ギニーステークス(1963年)。

欧字表記 Only for Life
性別
概要 オンリーフォアライフ, 欧字表記 ...
オンリーフォアライフ
欧字表記 Only for Life
品種 サラブレッド
性別
毛色 黒鹿毛
生誕 1960年
死没 1985年5月13日(25歳没)
Chanteur
Life Sentence
母の父 Court Martial
生国 イギリスの旗 イギリス
生産者 Hanstead Stud
馬主 Monica Sheriffe
調教師 Jeremy Tree(イギリスの旗 イギリス
競走成績
生涯成績 10戦3勝
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背景

オンリーフォアライフはイギリスのハートフォードシャーにあるハンステッドスタッド英語版で生産され、当初はDartmoor Dittyと呼ばれていた[1]

1歳の時にセリに出品され、モニカ・シェリフの代理として、ウィルトシャーを本拠地とする調教師のジェレミー・ツリー英語版[2]1600ギニーで購入した。ツリーが母ライフセンテンスを短期間所有していたほか、その半弟のDouble Boreでグッドウッドカップに勝利していたことも影響しているいう[3]

競走馬時代

2歳(1962年)

オンリーフォアライフは9月になってからの初戦となり、人気は低かったものの、アスコット競馬場の6ハロン戦であるクラレンスハウスステークスを勝利した[4]。更にニューマーケット競馬場で行われたホートンステークスにも出走したが、上位に入ることはなかった[1]

3歳(1963年)

3歳初戦となる4月のニューベリー競馬場の7ハロン戦であるグリーナムステークスでは、重馬場で3着に終わった。

2週間後のニューマーケット競馬場で行われる2000ギニーステークスでも再び重馬場となった。21頭立てのレースにおいてクロケットが単勝3.5倍の1番人気となる一方、クラシックでの有力候補とはみなされていなかったオンリーフォーライフは、ジミー・リンドレー英語版鞍上で、単勝34倍(トート社英語版のオッズでは約100倍[5])というオッズで出走した。ゴールまで残り2ハロンで先頭に立ったものの、アイルランド産馬アイオニアンに抜かれ、一旦敗れたかに見えたが最後には再び粘り、ゴールを2頭ほぼ同時に通過した[3]決勝写真が5分間精査された結果[6]、オンリーフォーライフがハナ差で勝利したと発表された[4]。勝ち時計は1分45秒0で、1937年以来最も遅いものだった[7]

ダービーステークスには出走登録がなされず、次走はロイヤルアスコット開催の1.5マイル戦であるキングエドワード7世ステークスに出走して2馬身差で勝利した[4]。7月には同じコースと距離で主要競走であるキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスに出走したが、アイリッシュダービー勝ち馬ラグーザ英語版に15馬身以上付けられての着外に終わった[4]

8月にヨーク競馬場で行われたグレートヴォルティジュールステークスでは、得意の重馬場となる中、再戦したラグーサとの激しい競り合いの末、アタマ差での2着となった[4][8]

9月には良馬場に近くなったドンカスター競馬場セントレジャーステークスで、2番人気に支持された。相次いだドーピング問題により厳戒体制で行われたレースでは[9]、ラグーザが勝利する中、大敗に終わった[4]

4歳(1964年)

4歳でも現役を続行し、4月にニューベリー競馬場で行われたジョンポーターステークスではRoyal Avenueの2着となった。続いてパラダイスステークスでも2着に入ったが、以降は出走せず競走馬を引退した[1]

ジョン・ランドールとトニー・モリスは、著書"A Century of Champions"の中で、タイムフォームのレーティングに基づき、オンリーフォーライフを2000ギニーステークス勝ち馬の中では下位であると評価している[7]

種牡馬時代

オンリーフォアライフは引退後、アイルランドで種牡馬となった。

2年間供用された後、ライジングフレームに近い系統の種牡馬として、日本軽種馬協会の小松一清常務理事と、シンボリ牧場和田共弘理事の協力により、当時の相場で約1億円に相当する85,000ギニーで購入されて日本に輸出された[4]

日本軽種馬協会に導入された当初は千葉県の三里塚種馬場で供用されていたが、4年目から青森県の七戸種馬場へに移動し、14歳となった1974年からは静内種馬場に移動した[4]。1983年まで種付けを行っており、1985年5月13日に亡くなった[10]

アイルランド時代の代表産駒としては、モニカ・シェリフが所有しジェレミー・ツリーが調教した馬で1968年にオブザーバーゴールドカップを制したThe Elkと、オークスステークスで2着に入ったState Pensionが挙げられる[1]

日本供用時代の代表産駒としては、1975年の天皇賞(春)の勝ち馬イチフジイサミが挙げられる。産駒は晩成型で、差しや追い込みを得意することが多かったと評されている[4]

主な産駒

※海外及びJRA重賞馬のみ

母の父としての産駒

血統表

さらに見る 父系, 母系 (F-No.) ...
オンリーフォアライフの血統(出典[§ 1]
父系 ベンドア系(エクリプス系[§ 2]
Chanteur
1942 黒鹿毛
父の父
Chateau Bouscaut
1927 鹿毛
Kirkcubbin Captivation
Avon Hack
Ramondie Neil Gow
La Rille
父の母
La Diva
1937 黒鹿毛
Blue Skies Blandford
Blue Pill
La Traviata Alcantara
Tregaron
Life Sentence
1949 黒鹿毛
Court Martial
1942 栗毛
Fair Trial Fairway
Lady Juror
Instantaneous Hurry On
Picture
母の母
Borobella
1942 黒鹿毛
Bois Roussel Vatout
Plucky Liege
Annabel Blandford
Arabella
母系 (F-No.)   (FN: 14-c) [§ 3]
5代内の近親交配 Blandford 4×4 [§ 4]
出典
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脚注

外部リンク

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