オーギュスト・シャプドレーヌ
From Wikipedia, the free encyclopedia
| オーギュスト・シャプドレーヌ | |
|---|---|
| パリ外国宣教会司祭 | |
|
| |
| 教会 | カトリック教会 |
| 聖職 | |
| 司祭叙階 | 1843年6月10日 |
| 個人情報 | |
| 出生 |
1814年2月6日 ノルマンディー ラ・ロシェル=ノルマンド |
| 死去 |
1856年2月29日 広西省(現・ |
| 聖人 | |
| 記念日 | 7月9日 |
| 崇敬教派 | カトリック教会 |
| 称号 | 殉教者 |
| 列福 |
1900年5月27日 ローマ |
| 列福決定者 | レオ13世 |
| 列聖 |
2000年10月1日 ローマ |
| 列聖決定者 | ヨハネ・パウロ2世 |
| オーギュスト・シャプドレーヌ | |
|---|---|
| 各種表記 | |
| 繁体字: | 馬賴 |
| 簡体字: | 马赖 |
| 拼音: | Mǎ Lài |
| 和名表記: | ば らい |
| 発音転記: | マー・ライ |
オーギュスト・シャプドレーヌ(フランス語: Auguste Chapdelaine,簡体字:马赖,繁体字:馬頼、1814年2月6日 - 1856年2月29日)は、パリ外国宣教会所属のフランス人カトリック宣教師。中国に宣教に来てから、間もなく殺害された。歴史上、「西林教案」または「広西教案」といわれる。
フランス・ノルマンディーの農村・ラ・ロシェル=ノルマンド(la Rochelle-Normande、現・バス=ノルマンディー地域圏マンシュ県)に生まれ、年少の頃は家で農作業を手伝っていた。彼は召命を感じ、両親を説得した後に修道院に入り、彼と比べて年の若い同級生と共に学んだ。年齢制限を超えてはいたが、彼の熱心さにより宣教活動に参加することが出来た。1843年6月10日に彼は司祭に叙階された。姉の葬式後に彼は家族に別れを告げ、1852年にパリ外国宣教会の派遣で、フランスを離れて中国広西省のカトリック宣教活動に加わった。
広州で暫く留まった後、1854年の春に貴州省の省都である貴陽に行った。12月に彼と盧廷美は広西省西林県の堯山村に赴き、当地の約300人のカトリック団体と会見した。1854年12月8日に彼は初めて当地でのミサを司式した。到着してから10日で西林県の官庁に16日間(一説によれば18日間)閉じ込められた。
個人的な脅迫を受けてから、彼は1855年初めに貴州を去り、同年12月に再び広西省に戻った。1856年2月22日に一名の新しい信徒の親戚がしきりに彼を告訴したが、当時役所は休暇中であった。2月25日、新任の知県(県知事)である張鳴鳳は逮捕令を出し、堯山のシャプドレーヌ神父と当地の何人かのカトリック教徒は捕らえられた。彼はまず重刑に遭って酷く殴られ、更に籠の中に立たされる罰を受け、小さな鉄籠の中に閉じ込められ、その籠は監獄の大門に吊るされた。最後に忍び難い苦しみを受けて死に、その遺体は斬首されて民衆に晒された。