梅原北明
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1901年、富山県富山市の士族の次男として生まれる[注釈 1]。父・貞義は生命保険の代理店を営んでおり、生活はゆとりがあったとされる[2]。京都の平安中学を卒業し、早稲田大学予科に進学。同校在学中に片山潜のグループと接し、社会主義思想に触れた。1920年に中退して関西で部落解放運動に従事。1924年から新聞社や雑誌社に勤める傍ら小説を執筆。梅原北明としては『殺人会社―悪魔主義全盛時代』前編(アカネ書房)が処女出版となる。
1925年に『デカメロン』を翻訳出版し世評を獲得するが、下巻が発禁処分を受け、後日改訂版を発刊している[注釈 2]。その理由をその翌々年に國際文獻刊行會より上梓した『エプタメロン』下巻に挿入された「飜譯の誤謬に就いて」の中で「姦通譚を其のまま訳した」と述べている。そのため『エプタメロン』では発禁処分を避けるため、妻を「戀人」と訂し、夫婦間を「戀人と愛人の間」と訂したとしている。
1925年11月にはプロレタリア作家を擁した特殊風俗誌『文藝市場』(上海移転後『カーマ・シャストラ』に改題)創刊。他多数のアングラ雑誌・書籍を多数発刊し、出版法違反で前科1犯となる。また文藝市場社内に文藝資料研究会を置き、1926年から『変態十二史』と会員誌『変態資料』(文藝資料編輯部)を刊行。『変態資料』には伊藤晴雨が撮影した逆さ吊りの妊婦写真が掲載され、大いに物議を醸した。
彼の業績の中で、よく知られたものとして、1928年11月から1931年8月まで何度も発禁処分を受けながらも出版をつづけた雑誌『グロテスク』(全21冊)があげられる。当局の弾圧をかわすためグロテスク社、文藝市場社、談奇館書局など数回にわたり発行所の変更を余儀なくされた。
『グロテスク』が終盤を迎えた頃、古新聞漁りの集大成といえる『近世社会大驚異全史』を刊行。菊判2100ページに及ぶ「焼糞の決死的道楽出版」であった。しかし、お上に睨まれて上海に逃亡し、1932年には性文献と艶笑本の出版活動から完全に手を引く。その後は大阪の女学校で教員をしたり、劇場支配人として日劇を再建したり、靖国神社の職員だったこともある。また生計費は大衆小説を書いて捻出しており、メジャー誌の『少年倶楽部』『富士』『新青年』などにも吾妻大陸のペンネームで寄稿していた。
敗戦の翌年、カストリ雑誌の大ブームを見ることなく、発疹チフスに倒れた[注釈 3]。享年45。
生前は今東光や村山知義らと親交があった。小笠原長生中将も彼のファンであり『変態資料』の会員でもあった。また山本五十六とも賭博仲間だったという。野坂昭如の『好色の魂』は梅原北明(小説では貝原北辰)をモデルにした長編小説である。
著作
著書・編著書
- 『殺人会社―悪魔主義全盛時代(前編)』アカネ書房 1924
- 『談奇館随筆 第2編 秘戯指南』文芸市場社 1929
- 『談奇館随筆 第5編 続・秘戯指南』文芸市場社 1929
- 『世界好色文学史』佐々謙自,酒井潔共編著 文藝市場社、1929 のちゆまに書房復刻
- 『近世社会大驚異全史』編 白鳳社 1931 のち海燕書房復刻、1976
- 『近代世相全史 慶応より大正までの新聞重要記事の集成』全4巻 編 白鳳社 1931 のち日本図書センター復刻
- 『明治大正綺談珍聞大集成』編 文芸市場社 1929-31
- 『近世暴動反逆変乱史』編 海燕書房 1973
- 横井司監修『梅原北明探偵小説選』〈論創ミステリ叢書〉 論創社 2015年 ISBN 978-4-8460-1478-0
