カトリック宮津教会

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旧名称 カトリック宮津教会
施工 太井正司
カトリック丹後教会 宮津教会堂
カトリック宮津教会の位置(京都府内)
カトリック宮津教会
情報
旧名称 カトリック宮津教会
用途 カトリック教会
設計者 ルイ・ルラーブ
施工 太井正司
構造形式 木造
階数 平屋建
着工 1895年
竣工 1896年
開館開所 1896年
所在地 京都府宮津市字宮本500番地
座標 北緯35度32分6.6秒 東経135度11分42.3秒 / 北緯35.535167度 東経135.195083度 / 35.535167; 135.195083 (カトリック丹後教会 宮津教会堂)座標: 北緯35度32分6.6秒 東経135度11分42.3秒 / 北緯35.535167度 東経135.195083度 / 35.535167; 135.195083 (カトリック丹後教会 宮津教会堂)
文化財 国の重要文化財「宮津洗者聖若翰天主堂」
指定・登録等日 2024年(令和6年)1月19日指定
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カトリック宮津教会
所在地 京都府宮津市
日本の旗 日本
教派 カトリック教会
歴史
創設日 1888年 (1888)
創設者 ルイ・ルラーブ
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カトリック宮津教会(カトリックみやづきょうかい)は、京都府宮津市宮本にあるカトリックキリスト教会[1]。2016年の丹後地方(旧宮津ブロック)6小教区の統合後は「カトリック丹後教会 宮津教会堂」が正式名称である[2][3]京都司教区に属する。教会内の聖ヨハネ天主堂は2024年(令和6年)1月19日に「宮津洗者聖若翰天主堂(みやづせんじゃ よはね てんしゅどう)」の名称で国の重要文化財に指定されている[4][5]

ルラーブ会館

1885年(明治18年)に日本にやってきたフランス人宣教師である神父のルイ・ルラーブは、1888年(明治21年)に与謝郡宮津町での伝道を開始する。ルラーブは福井県南部(若狭)から兵庫県北部(但馬)までの範囲を受け持っていた[6]。1895年(明治28年)に地元の有力者である田井五郎衛門から土地の寄贈を受け[6]、1895年(明治28年)に聖ヨハネ天主堂の建設に着工すると、1896年(明治29年)に竣工、宮津カトリック教会の献堂式が行われた[1][7]

1907年(明治40年)には教会の敷地内に宮津裁縫伝習所(京都暁星高等学校の前身)が設立された[6]。1927年(昭和2年)には北丹後地震でこの地域が大きな被害を受け、戸塚文卿を中心とするカトリック医療団が救護活動を行った[6]。1932年(昭和7年)には聖母訪問会が宮津町を訪れ、1933年(昭和8年)には宮津暁星裁縫学校(京都暁星高等学校の前身)が開校した[6]。1935年(昭和10年)にはルラーブの来日50周年が祝われ、1936年(昭和11年)には宮津暁星幼稚園が開園した[6]。1941年(昭和16年)にはルラーブが83歳で死去した[6]

1950年(昭和25年)から宮津教会はレデンプトール会が担当するようになった[6]。1989年(平成元年)にはルラーブが宮津を訪れて100周年の記念行事として、信徒会館であるルラーブ会館が建設された[6]。1996年(平成8年)5月6日には京都教区長の司教田中健一によって献堂100周年の記念ミサが捧げられた[6]

2019年(令和元年)、聖ヨハネ天主堂の京都府指定有形文化財への指定が答申され[8][9]、2021年(令和3年)11月5日の告示で正式に指定された[10]。2023年(令和5年)には国の重要文化財への指定が答申され、2024年(令和6年)1月19日の告示で正式に指定された。

建築

東面

聖ヨハネ天主堂は木造平屋建であり、三廊式バシリカ形式が採用されている[1]。建築面積は210平方メートル[1]。設計はルラーブ自身であり、施工は地元の大工である太井正司[1]ロマネスク様式を基調としており、交差ヴォールトの形状を模した天井、クロケット・キャピタルを持つ独立柱など、細部にわたって装飾性が高い[1]。円柱には欅材が用いられ[11]、床は畳敷きであるなど[1]、和洋折衷の教会建築である[11]

建築形式や手法には1890年(明治23年)に完成したカトリック河原町教会・初代聖堂(現在は愛知県犬山市博物館明治村に移築)との共通点が多い[1]。天主堂は小規模ではあるものの、長崎県長崎市大浦天主堂に匹敵するほど古いものであり[7]、「日本で2番目に古いカトリック天主堂」[6][12]、「現役では日本最古の木造教会堂」とされる[11][13]。1927年(昭和2年)の北丹後地震では一部が損傷し、玄関周りや外壁仕上げなどが改修された[1]。京都府文化財保護基金によって「京都の明治文化財」に指定されている[7]。信徒のほかに、観光客が年間1万人ほど訪れるという[14]

基本情報

脚注

参考文献

外部リンク

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