カルフーン郡 (テキサス州)
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設立1846年
| テキサス州カルフーン郡 | |
|---|---|
郡のテキサス州内の位置 | |
州のアメリカ合衆国内の位置 | |
| 設立 | 1846年 |
| 郡庁所在地 | ポートラバカ |
| 面積 - 総面積 - 陸 - 水 |
2,673 km2 (1,032 mi2) 1,326 km2 (512 mi2) 1,347 km2 (520 mi2), 50.36% |
| 人口 - (2010年) - 密度 |
21,381人 16人/km2 (41人/mi2) |
| 標準時 | 中部: UTC-6/-5 |
| ウェブサイト | www |
カルフーン郡(カルフーンぐん、英: Calhoun County)は、アメリカ合衆国テキサス州の南東部に位置する郡である。2010年国勢調査での人口は21,381人であり、2000年の20,647人から3.6%増加した[1]。郡庁所在地はポートラバカ市(人口12,248人[2])であり[3]、同郡で人口最大の都市でもある。郡名は第7代アメリカ合衆国副大統領ジョン・カルフーンに因んで名付けられた。
- カルフーン郡となった地域の最初の住人は狩猟採集型のパレオ・インディアンであり、その後はトンカワ族、カランカワ族、コマンチ族などのインディアン部族が住んだ[4]
- 1685年-1690年、ロベール=カブリエ・ド・ラ・サールがこの地域のパウダーホーン湖近くに上陸した。フランスがテキサスの大地にその旗を立てたが、5年後には放棄した[5]
- 1689年、アロンソ・デ・レオンなどのスペイン人が地域を探検した[6]
- 1825年、メキシコのマルティン・デ・レオンが昔のラサール砦近くに牧場を造った[4]
- 1831年、アイルランド生れの商人、政治家、軍人のジョン・J・リンが作ったリンビルがイギリス人による最初の開拓地となった[7]
- 1840年、コマンチ族インディアンがリンビルを襲い略奪した[8]
- 1842年-1847年、エンプレサリオのエンリ・カストロがフランスのアルザスから移民を連れてくる契約を行い、メディナ郡のカストロビルに入植のために移動する前にポートラバカを宿泊地に使った[9]
- 1845年、数多くのドイツ人移民がマタゴルダ湾インディアノラの港で降り立って、立ち往生していた。[10]
- 1846年、ビクトリア郡、ジャクソン郡、マタゴルダ郡の一部を合わせてカルフーン郡が設立された。当時アメリカ合衆国上院財政委員会委員長を務めていたジョン・カルフーンに因んで名付けられた。ラバカが最初の郡庁所在地に指定された[4]
- 1852年、インディアノラが郡庁所在地になった。モーガン蒸気船運行会社が[11]インディアノラからニューヨークまで定期便を運行した。インディアノラでは奴隷貿易が最盛期を迎えた[12]
- 1854年、ポーランド人がインディアノラに来るようになった[10]
- 1858年、マタゴルダ湾にハーフムーン・リーフ灯台が建設された[13]
- 1860年、郡の人口は 2,642人であり、このうち 414人が奴隷だった[4]
- 1861年、郡民投票で、賛成276票、反対18票でアメリカ合衆国からの脱退を決めた。南軍に志願兵中隊を送った[4]。南軍が奴隷労働者を使い、マタゴルダ島のエスペランザ砦が建設された[14]
- 1862年、北軍の砲艦がポートラバカを砲撃した[15]
- 1875年、メキシコ湾から熱帯低気圧が襲い、インディアノラに大きな被害を与えた[10]
- 1886年、ハリケーンがインディアノラを破壊し、ヒューストンにも大きな被害を与えた[16]
- 1892年、スウェーデン人がオリビアというルーテル教会派の町を造った[17]
- 1909年、ポートオコーナーの町が設立された。セントルイス・ブラウンズビル・アンド・メキシコ鉄道がポートオコーナーを終着駅にした[18]
- 1920年、ポートラバカでハリケーンから守るための防波堤を設けた[4]
- 1931年、ラバカ湾堤防が建設された[4]
- 1934年-1935年、ポートラバカ近くで石油と天然ガスが発見された[4]
- 1947年、アルコア社がポイントコンフォートに工場を開設した[19]
- 1952年、ユニオンカーバイド社がシードリフト近くに工場を開設した[4]
- 1961年、カテゴリー5のハリケーン・カーラがポートラバカとポートオコーナーの間で地滑りをおこさせた[20]
- 1983年、マタゴルダ島州立公園と野生生物管理地域が、アメリカ合衆国内務省とテキサス州の合意に基づき、テキサス州公園野生生物省によって運営されるようになった[21]
地理
人口動態
| 人口推移 | |||
|---|---|---|---|
| 年 | 人口 | %± | |
| 1850 | 1,110 | — | |
| 1860 | 2,642 | 138.0% | |
| 1870 | 3,443 | 30.3% | |
| 1880 | 1,739 | −49.5% | |
| 1890 | 815 | −53.1% | |
| 1900 | 2,395 | 193.9% | |
| 1910 | 3,635 | 51.8% | |
| 1920 | 4,700 | 29.3% | |
| 1930 | 5,385 | 14.6% | |
| 1940 | 5,911 | 9.8% | |
| 1950 | 9,222 | 56.0% | |
| 1960 | 16,592 | 79.9% | |
| 1970 | 17,831 | 7.5% | |
| 1980 | 19,574 | 9.8% | |
| 1990 | 19,053 | −2.7% | |
| 2000 | 20,647 | 8.4% | |
| 2010 | 21,381 | 3.6% | |
| U.S. Decennial Census[23] Texas Almanac: 1850-2010[24] | |||
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基礎データ
人種別人口構成
先祖による人口構成
言語による人口構成
年齢別人口構成
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世帯と家族(対世帯数)
収入収入と家計 |
都市と町
教育
カルフーン郡の公共教育はカルフーン郡独立教育学区が管轄している。
幼稚園生から8年生までを教えるアワー・レディ・オブ・ザ・ガルフ・カトリック学校が1996年から運営されている。