ガリア・ルグドゥネンシス
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帝政以前のガリアに関してはガリアを参照の事。
共和政から帝政にローマが変わり、アウグストゥスの治世になるとこの属州の範囲は縮小された。ロワール川とガロンヌ川と挟んだ地域はガリア・アクィタニアに併合され、北東部はゲルマニア・スペリオルと合併した。さきに掲げた図は縮小された後の地域を指している。
296年のディオクレティアヌスによるテトラルキアで帝国の統治が分割されると、この地域は「ガリアエ」と呼ばれ、しばしば混同されて使われている。もともと「ガリアエ」には「ガリア人の土地」という意味があり、しばしばケルト系のヘルウェティイ族、ベルガエ人、ゲルマン族が居住する地域全部を含めた総称として使われた。しかし西ローマ帝国では「ガリア人の住む土地」という意味で南東ガリア、ブリタンニア、ヒスパニアもまとめて「ガリアエ」と呼ばれた。
