ギヨーム3世 (アキテーヌ公)
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| ギヨーム3世 Guillaume III d'Aquitaine | |
|---|---|
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アキテーヌ公 ポワティエ伯 オーヴェルニュ伯 | |
| 在位 |
アキテーヌ公:962年 - 963年 ポワティエ伯:935年 - 963年 オーヴェルニュ伯:950年 - 963年 |
| 出生 |
913年 フランス王国、ポワティエ |
| 死去 |
963年4月3日 フランス王国、サン=メクサン=レコール |
| 埋葬 | フランス王国、ポワティエ、サン・シプリアン修道院 |
| 配偶者 | ジェルロック(アデル)・ド・ノルマンディー |
| 子女 |
ギヨーム4世 アデライード |
| 家名 | ポワティエ家 |
| 父親 | アキテーヌ公エブレ・マンゼール |
| 母親 | エミリアンヌ |
ギヨーム3世(Guillaume III, duc d'Aquitaine, 913年 - 963年4月3日)は、アキテーヌ公(在位:962年 - 963年)、ポワティエ伯(在位:935年 - 963年)およびオーヴェルニュ伯(在位:950年 - 963年)。アデマール・ド・シャバンヌ、デュド・ド・サン=カンタンおよびギヨーム・ド・ジュミエージュがギヨーム3世の治世について記録を残している。「Tête d'étoupe(テット・デトゥープ)」(麻くず頭公)と呼ばれる。
ギヨーム3世はアキテーヌ公エブレ・マンゼール(庶子公)とエミリアンヌの息子として[1]、ポワティエで生まれた。父の死後、アキテーヌ公位を主張したが、西フランク王はギヨーム3世の死の前年まで公位を認めなかった。
936年、西フランク王ラウールの崩御後まもなく、ルイ4世はユーグ大公に領土の一部を割譲することを余儀なくされた。ユーグはこれを潔く受け入れたが、それ以降ユーグとの関係は悪化した。950年、ユーグはルイ4世と和解し、ブルゴーニュ公位とアキテーヌ公位を与えられた。ユーグはルイ4世の支援を受けてアキテーヌを征服しようとしたが、ギヨーム3世に敗れた。ルイ4世の次の王ロテールはギヨーム3世の力を恐れていた。955年8月、ギヨーム3世はユーグと共にポワティエを包囲し、ポワティエは抵抗に成功した。しかし、ギヨーム3世は戦いを仕掛け、敗走した。
ユーグの死後、息子のユーグ・カペーがアキテーヌ公に叙せられたが、ギヨーム3世がロテールと和解したため、領地を奪おうとはしなかった。
ギヨーム3世はサン=ティレール=ル=グラン修道院を与えられ、同修道院はギヨーム3世の死後もポワティエ家の所有とされた。また、ギヨーム3世はポワティエ宮殿に図書館を建設した。