クグルクトゥク
From Wikipedia, the free encyclopedia
クグルクトゥク
| |
|---|---|
|
クグルクトゥクの丘からの眺め | |
| 座標:北緯67度49分36秒 西経115度05分36秒 / 北緯67.82667度 西経115.09333度[1]座標: 北緯67度49分36秒 西経115度05分36秒 / 北緯67.82667度 西経115.09333度[2] | |
| 国 |
|
| 準州 |
|
| 地域 | キティクメオト地域 |
| 面積 (2021)[3] | |
| • 陸地 | 538.99 km2 |
| 標高 | 23 m |
| 人口 (2021)[3] | |
| • 合計 | 1,382人 |
| • 密度 | 2.6人/km2 |
| 等時帯 | UTC−7 (山岳部標準時) |
| • 夏時間 | UTC−6 (山岳部夏時間) |
| 郵便番号 |
X0B 0E0 |
| 市外局番 | 867 |
| ウェブサイト | |
クグルクトゥク(英: Kugluktuk, イヌイナクトゥン語:Qurluqtuq / イヌクティトゥット語: ᖁᕐᓗᖅᑐᖅ)は、カナダ・ヌナブト準州のキティクメオト地域にあるハムレット(村)。
1996年1月1日まではコパーマイン(Coppermine)という地名で知られていた。クグルクトゥクはイヌイナクトゥン語で「水が動くところ」という意味である[5]。
歴史
ヨーロッパ人到来以前、この地域にはディネ人が往来し、近隣のトゥーレ文化やイヌイットとしばしば緊張関係にあり、時には流血の襲撃にまで発展した。1821年にはイギリスのコパーマイン遠征隊が現在のクグルクトゥク付近に到達し[6]、1838年には探検家ピーター・ウォーレン・ディーズとトマス・シンプソンがこの一帯を調査した。1913年から1916年にかけては人類学者ダイヤモンド・ジェネスが周辺のイヌイットの伝統的生活を記録した。
1916年、デンマーク系毛皮商人クリスチャン・クレンゲンベルグが交易所を建設し、通年定住の集落フォート・ハーンが形成された。1927年にはハドソン湾会社が交易所を設け、1930年に地名はコパーマインへ改称[5] 、1932年には王立カナダ騎馬警察の派出所も置かれた。1950年代にはカナダ連邦運営の先住民寄宿学校(1951年-1959年[7])や遠距離早期警戒線(DEW警戒線)関連施設の建設が進み、地域住民に一部雇用も生んだ。
1982年のヌナブト分離をめぐる住民投票では、現在のヌナブト地域の約8割が賛成したが、コパーマインはケンブリッジ・ベイと並んで反対票を投じた数少ないコミュニティだった。1996年には、歴史的な対立を和解するためのディネとイヌイットの癒やしの儀式が行われ、同年1月1日に地名もコパーマインからクグルクトゥクへ変更された[8]。