クストディオ・カストロ
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| 名前 | ||||||
| 本名 |
クストディオ・ミゲル・ディアス・デ・カストロ Custódio Miguel Dias de Castro | |||||
| ラテン文字 | Custódio Castro | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1983年5月24日(42歳) | |||||
| 出身地 | ブラガ県ギマランイス | |||||
| 身長 | 181m | |||||
| 体重 | 75kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | MF | |||||
| 利き足 | 右足 | |||||
| ユース | ||||||
| 1996-1999 |
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| 1999-2001 |
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| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 2001-2003 |
| 48 | (5) | |||
| 2002-2007 |
| 95 | (4) | |||
| 2007-2008 |
| 9 | (0) | |||
| 2009-2010 |
| 28 | (0) | |||
| 2010-2015 |
| 87 | (8) | |||
| 2015-2017 |
| 76 | (4) | |||
| 通算 | 342 | (21) | ||||
| 代表歴 | ||||||
| 1999 |
| 5 | (0) | |||
| 2000 |
| 11 | (2) | |||
| 2000 |
| 7 | (1) | |||
| 2001–2003 |
| 8 | (3) | |||
| 2003 |
| 10 | (4) | |||
| 2003–2006 |
| 13 | (0) | |||
| 2006 |
| 1 | (0) | |||
| 2012–2013 |
| 10 | (0) | |||
| 監督歴 | ||||||
| 2020 |
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| 2022-2025 |
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| 2025- |
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1. 国内リーグ戦に限る。2017年6月28日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
クストディオ・ミゲル・ディアス・デ・カストロ(Custódio Miguel Dias de Castro, 1983年5月24日 - )は、ポルトガル・ギマランイス出身の元同国代表サッカー選手、サッカー指導者。ポジションは守備的MF。単にクストディオ (Custódio) としても知られている。
クラブ
ギマランイスに生まれたクストディオは、地元のヴィトーリアSCの下部組織からスポルティングCPの下部組織へ移籍。2001年からトップチームに登録され、2003年8月16日のアカデミカ・コインブラ戦(アウェイ2-1勝利)でトップリーグデビューを飾り、同2003-04シーズンは22試合に出場した。

以降を中心選手としてプレーし、2006-07シーズンには前シーズンの安定したプレーが認められパウロ・ベント監督から主将に任命されたが、同シーズン中に構想外となったことで出場機会が激減し、2007年6月にはロシア1部のFCディナモ・モスクワへと放出された[1]。
2009年1月にポルトガルの地へ戻り、同僚のシセロ・セメドと共にユース時代を過ごしたヴィトーリアSCへ移籍。2010年8月31日に同じミーニョ地方を拠点とするライバルのSCブラガへ移籍した[2]。
移籍1年目の2010-11シーズンは、ブラジル人で主将のヴァンジーニョ 、レアンドロ・サリーノとポジション争いをしながらも公式戦で約25試合に出場。2011年2月25日のCSマリティモ戦(アウェイ2-1勝利)で至近距離から決勝点にして移籍後初得点をあげる[3]等シーズンを4位で終えることに貢献した。5月5日、SLベンフィカとのUEFAヨーロッパリーグ 2010-11準決勝第2戦(ホーム1-0勝利)でコーナーキックから頭で得点を記録、これが決勝点となりブラガはアウェーゴールルールにより決勝進出した[4]。ちなみに第1戦は、ポジション争いをしているヴァンジーニョが得点を決めている。
翌2011-12シーズンは、ヴァンジーニョが移籍したこともあり出場機会が増加するかに思われた矢先、膝を怪我したことで前半戦を棒に振った[5]。怪我から復帰後は、ポジション争いをしていたサリーノがバイアーノの怪我により右SBへポジションを移し、さらに新加入のリビア代表のジャマル・マハマトがアフリカネイションズカップ2012へ参加するためチームを離脱したことで定期的に起用され、マリティモ戦(アウェイ2-1勝利)や古巣ギマランイス(4-0勝利)戦で得点を挙げる[6]など活躍し、シーズン終了までポジションを守った。
代表
U-21代表としてUEFA U-21欧州選手権に2004年、2006年と2大会に出場した。
2012年5月14日、それまでA代表出場未経験だったものの、シーズン後半にクラブで好調だったことと、他のMF陣と異なる特徴をパウロ・ベント監督に買われ、クラブでの同僚で同様に代表未経験のミゲル・ロペスと共にUEFA EURO 2012のメンバーに選出された[7]。また、同大会に出場する全16チームの登録メンバーのうち、代表未経験の選手の中で29歳と最年長だった[8]。大会前の6月2日にリスボンで行われたトルコとの親善試合でA代表初出場を飾り[9]、グループステージのオランダ戦(2-1勝利)で負傷したラウール・メイレレスに代わり後半残り20分から大会初出場を果たした[10]。