クリシュナ・ラージャ1世
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| クリシュナ・ラージャ1世 Krishna Raja I | |
|---|---|
| マイソール王 | |
|
クリシュナ・ラージャ1世 | |
| 在位 | 1714年 - 1732年 |
| 戴冠式 | 1714年3月3日 |
| 別号 | ラージャ |
| 出生 |
1702年3月18日 |
| 死去 |
1732年3月5日 シュリーランガパトナ |
| 子女 |
チャーマ・ラージャ7世(養子) クリシュナ・ラージャ2世(養子) |
| 王朝 | オデヤ朝 |
| 父親 | ナラサー・ラージャ2世 |
| 宗教 | ヒンドゥー教 |
クリシュナ・ラージャ1世(Krishna Raja I, 1702年3月18日 - 1732年3月5日)は、南インドのカルナータカ地方、マイソール王国の君主(在位:1714年 - 1732年)。ドッダ・クリシュナ・ラージャ(Dodda Krishana Raja)とも呼ばれる。
1714年2月18日、父王ナラサー・ラージャ2世が死亡し、息子であるクリシュナ・ラージャ1世が王位を継承した[1]。
その治世、南インドはムガル帝国の主権から離れ、マイソール王国をはじめ、カルナータカ太守やタンジャーヴール・マラーター王国、ケラディ・ナーヤカ朝、その他ナワーブの政権などが割拠する新しい地図が出来上がっていた。
1724年、カルナータカ太守をはじめとするナワーブの軍勢が王国の首都シュリーランガパッタナを包囲した[2]。この包囲を解くため、マイソール側は1000万ルピーを払わなければならなかった[3]。
1732年3月5日、クリシュナ・ラージャ1世はこのような情勢の中で死亡し、養子としていた一族のチャーマ・ラージャ7世が王位を継承した[1]。