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クリス・アギーラ

アメリカの野球選手 (1979 - ) From Wikipedia, the free encyclopedia

クリストファー・ルイス・アギーラ(Christopher Louis Aguila、1979年2月23日 - )は、アメリカ合衆国・カリフォルニア州レッドウッドシティ出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。

生年月日 (1979-02-23) 1979年2月23日(47歳)
身長
体重
5' 11" =約180.3 cm
180 lb =約81.6 kg
概要 基本情報, 国籍 ...
クリス・アギーラ
Chris Aguila
ソフトバンク時代(2009年7月16日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州レッドウッドシティ
生年月日 (1979-02-23) 1979年2月23日(47歳)
身長
体重
5' 11" =約180.3 cm
180 lb =約81.6 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1997年 ドラフト3巡目(全体96位)でフロリダ・マーリンズから指名
初出場 MLB / 2004年6月28日
NPB / 2009年4月3日
最終出場 MLB / 2008年7月10日
NPB / 2009年5月20日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
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経歴

プロ入り前

高校時代はリノにあるマックイーン高校でプレーし、同校の1シーズン最多本塁打記録を作った。3年時には高校の全米ファーストチームの指名打者に選出された[1]。

マーリンズ時代

1997年のMLBドラフトでフロリダ・マーリンズから三塁手として3巡目(全体96位)指名され、プロ入り[2]。入団当初は若手有望株と期待されていたが、2シーズンをルーキー級、2シーズン半をA級及びA+級で過ごすことになった。

1999年途中で外野手にコンバートされた[1]。

2001年はAA級ポートランド・シードッグスでプレーし、64試合で打率.257という成績だった。

2002年も引き続きポートランドでプレーし、打率.294という結果だった。

2003年はマーリンズが提携先を変えたため、引き続きAA級の所属となったもののチームはカロライナ・マドキャッツに変更。この年は93試合で打率.320という結果を残し、実力を証明したアギーラは翌年の2004年にはマーリンズのスプリングトレーニングに招待された。

アギーラは2004年の開幕メジャー入りは逃したものの、監督のジャック・マキーオンに印象を与えることになった。AAA級アルバカーキ・アイソトープスでは打率.312を残し、マーリンズでメジャー初昇格を果たす。この年は29試合の出場にとどまった。

2005年は開幕メジャー入りを果たした。ミゲル・カブレラ、フアン・ピエール、フアン・エンカーナシオン、ジェフ・コーナインに続く5番手の外野手としてプレー、しかし主な役割は代打となった。始めの2か月ではわずか16打数しか立てず、5月27日にはAAA級アルバカーキに降格した。AAA級アルバカーキでは正中堅手として起用され、35試合で打率.351・7本塁打・25打点と活躍し、7月7日にはジョシュ・ウィリンガムが故障者リスト入りしたことに伴いメジャーへ復帰した。この年の残りはマーリンズでプレーしたものの、引き続き代打としての起用が主で先発出場は12試合に終わり、そのほとんどが怪我のエンカーナシオンの代役としてのものだった。結局78打数で打率.244、本塁打ゼロ、4打点という結果でシーズンを終えたアギーラはこのオフはドミニカウインターリーグでプレーをした[3].。

2006年も開幕メジャー入りを果たした。ハーミダが控えの間、マーリンズがジョー・ボーチャードと契約するまでは右翼手として出場。ボーチャードと契約後はエリック・リードやレジー・アバークロンビーと中堅手を争うことになった(ウィリンガムは時々捕手として出場したものの、ほとんどは左翼手として出場)。リードは35打数4安打と不調だったためにAAA級アルバカーキへ降格したものの、その間にアバークロンビーは11試合連続安打を放ち、アギーラは出場機会を奪われ、5月3日以降の16試合で先発はわずか3試合だった。5月26日にはシンシナティ・レッズからコディ・ロスをトレードで獲得、そのためアギーラはAAA級アルバカーキへ降格することになった。3Aアルバカーキでは打率.383(47打数18安打)・1本塁打・13得点を記録し、ウィリンガムが故障者リスト入りしたためにマーリンズへ昇格した。その後再びAAA級アルバカーキに降格したがマイナーのシーズン終了後は再び昇格し、8試合で9打数3安打という内容だった[4]。先発出場は1試合も無かったものの、フィラデルフィア・フィリーズ戦では二塁打を含む3打数2安打と活躍し、このシーズン最後の勝利に貢献した[5]。オフの10月13日、マーリンズはアギーラのメジャー契約を解除した[6]。

パイレーツ傘下時代

2006年12月10日にピッツバーグ・パイレーツとキャンプ招待選手としてマイナー契約を結んだ[7]。しかし開幕メジャー入りは果たせず、この年は傘下のAAA級インディアナポリス・インディアンズで過ごすことになった[8]。

メッツ時代

2008年は3月にニューヨーク・メッツとマイナー契約し[9]、傘下のAAA級ニューオーリンズ・ゼファーズでプレーした。6月11日にエイブラハム・ヌニェスが戦力外になったことに伴い、メジャー昇格。しかし3試合に出場しただけで戦力外となった。再びメジャー昇格するものの、7月11日にまたも戦力外となり、7月15日にはそのままAAA級ニューオーリンズに降格した。シーズン終了後にFAとなった。

ホークス時代

2008年11月23日に福岡ソフトバンクホークスがアギーラの獲得を発表した[10]。

2009年2月5日、春季キャンプを張っていたチームに合流し、同日に入団会見も行った。キャンプでは走攻守3拍子揃ったところを見せて首脳陣から大きく期待され、その後右膝を痛めてやや出遅れたが、オープン戦終盤に2本塁打を打つなど、シーズンに向けて調子を上げているかに見えた。

ところが、シーズンに入ると極度の打撃不振に陥り、松田宣浩が離脱して固定できていなかった3番に入る試合もあったが、全く結果を残せずに4月17日に2軍落ち。その後、前年まで千葉ロッテマリーンズに在籍していたホセ・オーティズが加入し一旦外国人枠は埋まったが(この年のソフトバンクの外国人枠は基本的に投手3・野手1である)、アギーラが2軍で好成績を残したこと、開幕当初先発ローテーションに入っていたキャメロン・ローが2軍落ちして枠が1つ空いたことに伴い、5月15日に再昇格した。

だが、ここでも4試合でわずか1安打と不振で、5月21日に再度登録抹消。その後はジャスティン・ジャマーノがローテ入りしたこともあって1軍昇格がないまま、8月31日に帰国し12月2日限りで退団が決まった[11]。

ブルージェイズ傘下時代

ソフトバンクを退団後、トロント・ブルージェイズとマイナー契約した。

マーリンズ傘下時代

2012年まで古巣マイアミ・マーリンズ傘下のマイナーリーグでプレーしていた。

ボローニャ時代

2013年は、イタリアンベースボールリーグのフォルティチュード・ボローニャでプレーしていたが[12]、6月10日に解雇された[13]。 2016年2月に第4回WBC予選のフィリピン代表に選出された。

詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球 団 ...
年

度
球

団
試

合
打

席
打

数
得

点
安

打
二
塁
打
三
塁
打
本
塁
打
塁

打
打

点
盗

塁
盗
塁
死
犠

打
犠

飛
四

球
敬

遠
死

球
三

振
併
殺
打
打

率
出
塁
率
長
打
率
O
P
S
2004 FLA 29484510102132350010200120.222.255.511.766
2005 65817811193002240100300190.244.272.282.554
2006 47104955228103272100910262.232.298.337.635
2008 NYM 815120200020001020041.167.286.167.452
2009 ソフトバンク 14484204000400000600163.095.208.095.304
MLB:4年 14924823026531323791622201610613.230.280.343.624
NPB:1年 14484204000400000600163.095.208.095.304
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記録

NPB

背番号

  • 3 (2004年 - 2006年)
  • 29 (2008年)
  • 4 (2009年、2013年)

脚注

関連項目

外部リンク

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