グッドラック・ジョナサン

ナイジェリアの政治家、ナイジェリア連邦共和国第14代大統領 From Wikipedia, the free encyclopedia

グッドラック・エベレ・アジキウェ・ジョナサン(Goodluck Ebele Azikiwe Jonathan、1957年11月20日[1] - )は、ナイジェリア政治家。同国第14代大統領。第11代副大統領などを歴任。ナイジェリア議会国民民主党(人民民主党とも) (People's Democratic Party (Nigeria)) 所属議員。

概要 任期, 副大統領 ...
グッドラック・エベレ・ジョナサン
Goodluck Ebele Jonathan


任期 2010年5月5日 2015年5月29日
副大統領 モハメド・ナマディ・サンボ

任期 2010年2月9日 2010年5月5日

任期 2007年5月29日 2010年5月5日
元首 ウマル・ヤラドゥア

バイエルサ州
第6代 州知事
任期 2005年12月9日 2007年5月28日

出生 (1957-11-20) 1957年11月20日(68歳)
ナイジェリアバイエルサ州
政党 国民民主党
配偶者 ペイシェンス・ジョナサン
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2010年7月に西アフリカ諸国経済共同体の出席した首脳たちの集合写真。ジョナサンは右から5番目である。
2010年、アメリカワシントンで開催された核セキュリティ・サミットでのジョナサン(2列目の左から2番目)

経歴

ナイジェリア南部のリバーズ州(のちバイエルサ州)のオグビアLGAのオトゥエケで生まれた[1]。ポートハーコート大学で水生生物学/水産学の修士を経て動物学博士号を取得。妻はペイシェンス・ジョナサン。2005年12月知事のディエプレイェ・アラミエイェセイガ (Diepreye Alamieyeseigha) がロンドンでの資金洗浄の嫌疑で逮捕され、12月9日副知事のジョナサンが知事に就任した。

2006年12月には、大統領選挙に先立ち前副大統領のアティク・アブバカルが追放され、オバサンジョの後継候補ウマル・ヤラドゥアの副大統領候補に選ばれ、ヤラドゥアと共に4月に行われた2007年のナイジェリア総選挙に勝利し、2007年5月29日にヤラドゥア政権の副大統領に就任した。4月20日には選挙の遅延を図りジョナサンの暗殺が試みられたが失敗に終わり無事だった[2]

勝利後の5月16日にも選挙結果に不満を保つ者に自宅を襲撃され警官が2名殺害された[3]。ヤラドゥアの公約である資産公開に伴いジョナサンも2007年8月8日に5月30日時点での資産を公開し、総額 295,304,420 ナイラであった[4]

2009年11月より大統領のヤラドゥアが心臓病の治療で国外の病院に入院し、国政に混乱が生じたため翌2010年2月9日に大統領権限を移譲され、大統領代行に就任。この間、内閣改造を行い、ヤラドゥアに近い閣僚を外したとされる[5]5月5日にヤラドゥアが死去し、正式に大統領に就任。残り約1年の任期を引き継ぎ、2011年4月16日投開票の大統領選挙で57%の票を獲得し当選した[6]。2015年3月の大統領選挙で破れ、同年5月29日に退任。

政策

対テロ対策

就任以降、北部を中心にイスラム系武装組織ボコ・ハラムの活動が活発化。多数の集落や学校、教会が襲撃され、住民の殺害、誘拐が相次いだ。2013年に非常事態宣言を出したほか、2014年5月には対テロ戦争を宣言してボコ・ハラム側に徹底抗戦の姿勢を示した[7]

経済

先代のオバサンジョ大統領から引き続き、経済協力の相手先として中国を重視する[8]。2013年には中国を訪問して習近平国家主席と会見、2014年には李克強首相をナイジェリアに迎えるなど関係強化を進めた。こうした関係強化を背景に、多数の商業案件や沿岸部の鉄道プロジェクトがまとまるなどの成果を見せている[9]

エピソード

  • 先述のように副知事から知事へ、副大統領から大統領へと昇格する経歴の持ち主のため「その名のとおりに、出世が勝手に転がりこむ」と称したマスコミもある[10]
  • 2010年ワールドカップ南アフリカ大会で優勝するよう代表チームに厳命したが結果はグループリーグ敗退(2敗1分最下位)に終わったため、国際試合(大会)へ2年間出場しないよう命令したが、これがFIFAからの反発を受けたことから命令を撤回した[11]

脚註

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