グリア州
ジョージアの州
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地理
北西にサメグレロ=ゼモ・スヴァネティ州、北東にイメレティ州、南東にサムツヘ=ジャヴァヘティ州、南にアジャリア自治共和国に、西に黒海に接する。
地区
以下の3つの地区で構成される。
歴史

800年頃、ジョージアの歴史書に初めて「グリア」が現れる。 [3]
1463年以降、グルジア王国から独立し、グリエリ家が統治する公国になる。最大版図はグリア州+アジャリア自治共和国+バトゥミに及んだ。
オスマン帝国との度重なる紛争で、グリア公国の領土は徐々に削られ最終的に消滅する。
1810年、グリエリ家のマミア5世とロシア帝国は条約を結び、保護領となる。
1819年、ロシアへの暴動が起きる。
1840年、グリアは中心都市の名前からオズルゲティ郡と改名される。
1846年、新設されたクタイシ県に編入される。
1902年、小作人の抗議運動が始まる。
1904年時点で人口は10万人弱、面積は2150km2だった。 山地や沼の谷、黍畑、葡萄園、茶畑が広がっていた。 ジョージア地方の中では民族的に最も均一な地方で、少数の地方貴族と多数の小作人が州内で完結した経済を回していた。
1905年、ロシア第一革命の中で起きたグリア州暴動は、帝国内で最も効果的で組織化された小作人運動だった。3月にはグリア共和国が成立した。
1906年1月、ロシア軍のコサック部隊がグリア共和国を壊滅させた。 [5]
1918年~1921年、グリア州を基盤とするジョージア社会民主党がグルジア民主共和国を統治した。
ソ連時代のグリア州は農業地帯で、3つの地区に分けられた。
1995年、ジョージア政府は地名を歴史的なグリア州に戻した。
リクハウリとシェモクメディの東方正教会はグリア州の歴史的建築である。
経済
亜熱帯農業と観光が主要産業である。 水資源が豊富で、天然水のナベグラヴィの産地である。 ジョージア最大の茶の産地の1つである。
