グレプ (キエフ大公)
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ユーリー・ドルゴルーキーの第7子として生まれ、1147年の年代記記事に初めて登場する。
1149年に父ユーリーが大公位に就くと、彼はカネフを与えられる。
1151年にはペレヤスラヴリを獲得する。
1154年にはキエフを包囲するがこれに失敗する。
1160年にはペレヤスラヴリに援助を求めてきた岳父イジャスラフ3世を追い払う。
1168年には他の公と共にポーロヴェツ(クマン人)に遠征し、彼らを打ち破る。
兄アンドレイ・ボゴリュブスキーと共に、1169年にキエフを攻め、その陥落後に、兄により、キエフ大公位につけられる。
1170年には、ムスチスラフ(2世)によるキエフへの行軍を知り、キエフを捨ててペレヤスラヴリに退却、ムスチスラフの撤退後には再度キエフの大公位につき、そのまま1171年に死去。