グンゼワールドテニス
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| グンゼワールドテニス | |
|---|---|
| 現存しないテニス大会 | |
| スポンサー | グンゼ |
| 開始年 | 1974年 |
| 終了年 | 1993年 |
| 回 | 20回 |
| 開催地 |
|
| サーフェス | ハード / 室内 |
| ドロー | 8S / 4D |
グンゼワールドテニス(英語: Gunze World Tennis)は、グンゼが1974年から1993年まで毎年主催していたプロテニスのエキシビション大会である[1]。サーフェスは室内ハードコート。毎日放送との共催であり、TBS系列でテレビ放映されていた[2]。
創設当初は11月開催で、1979年の第6回大会からは5月開催、1988年の第15回大会からは7月開催となった。大会は男女8人ずつのシングルスとダブルスから成り、関東か関西のどちらかで各選手の1回戦を披露して他方の会場では決勝を見せるという形式だった[3]。1985年の第12回からは男女ごとのダブルスに代えて混合ダブルスで大会を構成した[4]。
原則として室内ハードコートの大会だが、初回の東京大会のみ屋外の青山国立西コートが使われた[5]。他に関東では青山学院記念館・東京体育館・横浜文化体育館などを、関西では松下電器体育館・神戸市立中央体育館・大阪府立体育会館・大阪城ホールなどその都度新しい会場を採用した[3]。
大会の創設
本大会の企画は1973年、広告代理店・萬年社の営業マネージャーが出張先のロサンゼルスでプロモーターのフレッド・バーマン[注 1]から日本でのエキシビション開催について打診を受けたことに始まる[8]。日本に帰国後、当時テレビCMに代わる新たな宣伝手法を模索していたグンゼの宣伝部門と思惑が一致し、毎日放送によるテレビ放映と共催も決定して開催の運びとなった[2][8]。
1974年の第1回大会は、11月22日から24日まで東京都新宿区の青山国立西コートと、11月27日から29日まで大阪府枚方市の松下電器体育館で開催された[5]。招待選手は男女のトッププレーヤー各8名で、日本からも神和住純と沢松和子が参加した[5]。男女のシングルス・ダブルスが行われ、男子シングルスはジョン・ニューカム、女子シングルスはクリス・エバートが初代王者に輝いた[3]。賞金総額10万ドル、シングルス優勝賞金1万5000ドルは当時としてはかなりの高額賞金であり、特に賞金が男女同額ではなかった時代に女子選手にとっては7試合を勝ち抜くウィンブルドンの優勝賞金(約1万6500ドル)に匹敵する額を3試合で獲得できる点が魅力となっていた[5][9]。
大会の発展
オーガナイザーであるバーマンの尽力により、大会には毎年話題性の高いスター選手が招かれた[8]。1975年の第2回大会では、全米オープン後にチェコスロバキアからアメリカへ亡命したばかりのマルチナ・ナブラチロワ(当時19歳)が初来日を果たした[2][10]。その後も、1978年(第5回)には前年史上最年少でウィンブルドン本戦にデビューして天才少女として脚光を浴びていた15歳のトレーシー・オースチンが[11][12]、1979年(第6回)には20歳でマスターズ・グランプリやWCTファイナルを制してブレイク中だったジョン・マッケンローがそれぞれ初来日を飾り、日本のテニスファンを沸かせた[2][13]。
1980年代半ばには、引退を表明していたビョルン・ボルグが1984年(第11回)から3年連続で来日して話題を呼んだ[3]。特に1986年(第13回)の男子シングルス決勝では、当時のツアー公式戦では顔を合わせることのなかったボルグとステファン・エドベリによる新旧スウェーデン・エース対決が実現している[14]。日本人選手も健闘を見せ、1983年(第10回)には神和住純が優勝、1992年(第19回)には松岡修造が準優勝を記録した[15][16]。
大会の終了
グンゼは1993年7月の第20回大会をもって、本大会の終了を決定した[17]。終了の主な背景には、テニス界の賞金高騰とプロツアーの構造変化があった。本大会の賞金総額は最終的に25万ドルまで増額されていたが、同年のウィンブルドン賞金総額は750万ドル以上にまで達するなど20年の間に差が大きくなり、トップ選手の招聘にかかる費用の負担が増大していた[9][18]。また、選手側もポイント獲得に直結する公式戦を優先する傾向が強まり、エキシビション大会としての維持が困難となった[17]。
本大会終了後、グンゼはスポーツ振興と宣伝の舞台を女子ゴルフのグンゼカップ・ワールドレディスへと移行させた[17]。
歴代優勝者
男子シングルス
| 年 | 優勝 | 準優勝 | 結果 | 出典 |
|---|---|---|---|---|
| 1974 | 2–6, 6–2, 7–6 | [5] | ||
| 1975 | 7–5, 4–6, 6–1 | [19] | ||
| 1976 | 6–4, 6–2 | [20] | ||
| 1977 | 4–6, 7–6, 6–4 | [21] | ||
| 1978 | 6–2, 6–4 | [11] | ||
| 1979 | 6–4, 7–5 | [22] | ||
| 1980 | 6–2, 6–3 | [23] | ||
| 1981 | 2–6, 6–1, 7–6 | [24] | ||
| 1982 | 3-1, 途中棄権 | [25] | ||
| 1983 | 6–3, 7–5 | [15] | ||
| 1984 | 6–2, 6–2 | [26] | ||
| 1985 | 6–4, 6–3 | [4] | ||
| 1986 | 6–3, 6–4 | [14] | ||
| 1987 | 6–2, 6–3 | [27] | ||
| 1988 | 6–4, 3–6, 6–4 | [28] | ||
| 1989 | 6–4, 3–6, 6–4 | [29] | ||
| 1990 | 6–1, 6–4 | [30] | ||
| 1991 | 6–4, 2–6, 6–4 | [31] | ||
| 1992 | 6–3, 6–3 | [16] | ||
| 1993 | 4–6, 6–4, 6–2 | [18] |
女子シングルス
| 年 | 優勝 | 準優勝 | 結果 | 出典 |
|---|---|---|---|---|
| 1974 | 6–0, 6–2 | [5] | ||
| 1975 | 6–2, 6–4 | [19] | ||
| 1976 | 6–2, 7–6 | [20] | ||
| 1977 | 7–5, 5–7, 6–1 | [21] | ||
| 1978 | 6–1, 6–1 | [11] | ||
| 1979 | 6–1, 6–1 | [22] | ||
| 1980 | 7–5, 6–3 | [23] | ||
| 1981 | 3–6, 6–3, 7–6 | [24] | ||
| 1982 | 6–3, 6–1 | [25] | ||
| 1983 | 6–2, 6–2 | [15] | ||
| 1984 | 6–2, 6–4 | [26] | ||
| 1985 | 6–2, 6–0 | [4] | ||
| 1986 | 6–4, 6–0 | [14] | ||
| 1987 | 6–7, 6–1, 6–3 | [27] | ||
| 1988 | 6–0, 6–0 | [28] | ||
| 1989 | 6–1, 6–2 | [29] | ||
| 1990 | 6–0, 6–1 | [30] | ||
| 1991 | 7–6(7–3), 6–2 | [31] | ||
| 1992 | 3–6, 6–3, 6–2 | [16] | ||
| 1993 | 7–6(7–1), 7–5 | [18] |