ペトル・コルダ
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2024年 | ||||
| 基本情報 | ||||
| 国籍 |
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| 出身地 |
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| 居住地 |
フロリダ州ブレイデントン | |||
| 生年月日 | 1968年1月23日(57歳) | |||
| 身長 | 190cm | |||
| 体重 | 72kg | |||
| 利き手 | 左 | |||
| バックハンド | 片手打ち | |||
| ツアー経歴 | ||||
| デビュー年 | 1987年 | |||
| 引退年 | 2001年 | |||
| ツアー通算 | 20勝 | |||
| シングルス | 10勝 | |||
| ダブルス | 10勝 | |||
| 生涯通算成績 | 644勝408敗 | |||
| シングルス | 410勝248敗 | |||
| ダブルス | 234勝160敗 | |||
| 生涯獲得賞金 | $10,448,900 | |||
| 4大大会最高成績・シングルス | ||||
| 全豪 | 優勝(1998) | |||
| 全仏 | 準優勝(1992) | |||
| 全英 | ベスト8(1998) | |||
| 全米 | ベスト8(1995・97) | |||
| 優勝回数 | 1(豪1) | |||
| 4大大会最高成績・ダブルス | ||||
| 全豪 | 優勝(1996) | |||
| 全仏 | 準優勝(1990) | |||
| 全英 | 2回戦(1990・91) | |||
| 全米 | 3回戦(1989・91・95) | |||
| 優勝回数 | 1(豪1) | |||
| キャリア自己最高ランキング | ||||
| シングルス | 2位(1998年2月2日) | |||
| ダブルス | 10位(1990年6月11日) | |||
ペトル・コルダ(Petr Korda, 1968年1月23日 - )は、チェコ・プラハ出身の元男子プロテニス選手。1998年全豪オープン男子シングルス優勝者である。左利き。自己最高ランキングはシングルス2位、ダブルス10位。ATPツアーでシングルス10勝、ダブルス10勝を挙げた。身長190cm、体重72kg。
1987年にプロ入り。コルダはテニス経歴の初期に、1990年全仏オープン男子ダブルスでゴラン・イワニセビッチと組み、エミリオ・サンチェス/セルヒオ・カサル組に5-7, 3-6で敗れて準優勝したことがある。それから2年後、1992年全仏オープン男子シングルスで準優勝を果たす。当時24歳のコルダは、最盛期にあった第1シードのジム・クーリエに5-7, 2-6, 1-6で完敗した。1996年全豪オープン男子ダブルスでステファン・エドベリと組んで優勝を飾っている。
1992年全仏オープン男子シングルス準優勝から6年後、コルダは1998年全豪オープンで優勝を果たす。その決勝ではマルセロ・リオスに6-2, 6-2, 6-2のストレートで圧勝した。コルダもリオスも左利きの選手で、この試合は“左利き対決の決勝”であった。
ところが半年後のウィンブルドン選手権で、コルダは筋肉増強剤の「ナンドロロン」に陽性反応を起こす。この件は年末の1998年12月に公表され、テニス界に波紋が広がる。それまでテニス選手のドーピング違反は若干の例があったものの、コルダのような「ごく最近の4大大会優勝者」の違反は前例がなかったため、その衝撃はひときわ大きかった。1999年8月に1年間の出場停止処分を科せられたが、本人は2ヶ月前の全仏オープン2回戦で大会前年優勝者のカルロス・モヤに敗れた試合を最後に現役を退いた。
家族
コルダはチェコのテニス選手レギナ・ライフルトヴァーと結婚し、娘でプロゴルファーのジェシカ・コルダとネリー・コルダ、息子でプロテニス選手のセバスチャン・コルダがいる。ジェシカはLPGAツアーで5勝を挙げた他、メジャー選手権で2度の4位タイがある。ネリーはLPGAツアーで6勝を挙げ、2021年全米女子プロゴルフ選手権でメジャー初制覇の他、東京オリンピックで金メダルを獲得。セバスチャンは2018年全豪オープンジュニア男子シングルスで優勝、ATPツアーでは2020年全仏オープンで4回戦進出を果たしている。なお、子供は全員アメリカ国籍でプレーしている。