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ケビン・ロバーソン

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生年月日 (1968-01-29) 1968年1月29日(57歳)
身長
体重
6' 4" =約193 cm
210 lb =約95.3 kg
ケビン・ロバーソン
Kevin Roberson
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アメリカ合衆国イリノイ州メイコン郡ディケーター[1]
生年月日 (1968-01-29) 1968年1月29日(57歳)
身長
体重
6' 4" =約193 cm
210 lb =約95.3 kg
選手情報
ポジション 右翼手
プロ入り 1988年 MLBドラフト16巡目
初出場 MLB / 1993年7月15日[1]
最終出場 MLB / 1996年5月2日[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ケビン・リン・ロバーソン(Kevin Lynn Roberson , 1968年1月29日 - )は、アメリカ合衆国イリノイ州メイコン郡ディケーター出身の元プロ野球選手(右翼手)[1]。右投両打[1]。

ケビン・ローバーソン[2]と表記される場合もある。

MLB時代

アイゼンハワー高等学校(英語版)を経てパークランド大学(英語版)に進学した[1]。1988年のMLBドラフトでシカゴ・カブスから16位(全体404位)で指名を受けて入団[3]。

1991年はカブス傘下のマイナーリーグAA級シャーロット・ナイツで136試合に出場し、打率.256、19本塁打、67打点を記録した[4]。

1992年は背番号34の外野手として開幕40人枠入りするが[5]、実際にメジャーの試合に出場することはなかった。

1993年は背番号19の外野手として開幕40人枠入りし[2]、カブス傘下のAAA級アイオワ・カブスで67試合に出場し、打率.304、16本塁打、50打点、OPS.927を記録した[4]。同年7月15日にメジャーデビューを果たし、同年から1995年まではカブスでプレーした[3]。1993年は62試合に出場、180打数、34安打、打率.189、9本塁打、27打点を記録した[6]。

1994年は44試合に出場、55打数、12安打、打率.218、4本塁打、9打点を記録した[6]。

1995年は32試合に出場、38打数、7安打、打率.184、4本塁打、6打点を記録した[6]。同年にFAでニューヨーク・メッツ傘下のAAA級ノーフォークへ移籍し[7]、1996年はメッツでプレーした[3]。1993年から1995年までの3年間のMLB通算成績は138試合出場、273打数、53安打、打率.194、17本塁打、42打点[6]。

1996年12月上旬、NPBの阪神タイガースは四番打者を任せられる左打もしくは両打の新外国人選手と獲得を目指し、マーク・スウィーニー(セントルイス・カージナルス)、マーク・ウィッテン(英語版)(シアトル・マリナーズ)、エリック・アンソニー(コロラド・ロッキーズ)、ロベルト・ペタジーニ(メッツ)とともに、ロバーソンを新外国人選手候補として調査していた[6]。当時、阪神は新外国人として内野手のフィル・ハイアットの獲得が決まっていた一方[8]、清原和博、広沢克、落合博満といった日本人の長距離打者の獲得に失敗していたことから、四番候補として新外国人選手をもう1人獲得することを検討していた[6]。同月3日、阪神監督の吉田義男、ヘッドコーチの一枝修平ら現場首脳陣はビデオ映像を見て候補の中から絞り込みを行い[8]、最終候補をアンソニーとロバーソンの2人に絞ったと報じられた[9]。『デイリースポーツ』は同月5日時点で、阪神はアンソニーを第1候補、ロバーソンを第2候補として検討しており、アンソニーの場合は3億円程度、ロバーソンの場合は1億円程度をそれぞれ獲得予算として検討していると報じていたが[8]、最終的にはアンソニーは同年3度にわたって故障者リストに入りしたことから獲得を断念[10]、またロバーソンも優先順位を下げた上で、当初はリストアップされていなかったマイク・グリーンウェル(前ボストン・レッドソックス)の獲得に方針転換したと報じている[11]。最終的にロバーソンは阪神に入団することはなかった。

引退まで

1997年以降はメジャー昇格はできず、同年はサンフランシスコ・ジャイアンツ傘下のAAA級フェニックス・ファイヤーバーズ(英語版)で、1998年はシカゴ・ホワイトソックス傘下のAAA級カルガリー・キャノンズ(英語版)でプレーした[4]。

2000年はミネソタ・ツインズ傘下のAAA級ソルトレイク・ビーズ、またメキシカンリーグのモンテレイ・サルタンズとドスラレドス・オウルズでプレーした[4]。

2001年はメキシカンリーグのカフェテラス・デ・コルドバ(スペイン語版)とラグナ・ユニオン・コットンファーマーズでプレーした[4]。

2002年は北米独立リーグであるアメリカン・アソシエーション(北地区)のセントポール・セインツで、2003年は同リーグ(西地区)のリンカーン・ソルトドッグスで、2004年はフロンティアリーグ(東地区)のジョリエット・ジャックハンマーズでそれぞれプレーした[4]。

選手としての特徴

身長190 cm近い両打のパワーヒッターと評されていた[6]。1996年時点で阪神のヘッドコーチを務めていた一枝修平はロバーソンについて、MLBでの実績が豊富なアンソニーと比較しても甲乙つけがたいと評していた[12]。

詳細情報

年度別打撃成績

年

度
球

団
試

合
打

席
打

数
得

点
安

打
二
塁
打
三
塁
打
本
塁
打
塁

打
打

点
盗

塁
盗
塁
死
犠

打
犠

飛
四

球
敬

遠
死

球
三

振
併
殺
打
打

率
出
塁
率
長
打
率
O
P
S
1993 CHC 621951802334419672701001203482.189.251.372.623
1994 4459388124042890000202143.218.271.509.780
1995 324538571042060100601141.184.311.526.837
1996 NYM 274636881031890002701170.222.348.500.848
MLB:4年 1653453094461101201335102022707936.197.275.430.705

記録

背番号

脚注

関連項目

外部リンク

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