ケヴィン・ホフラント
オランダのサッカー選手・監督
From Wikipedia, the free encyclopedia
ケヴィン・キーガン・ホフラント(Kevin Keegan Hofland, 1979年6月7日 - )は、オランダ・リンブルフ州ブルンスム出身の元同国代表サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー。
| ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
|
フェイエノールト時代(2007年) | ||||||
| 名前 | ||||||
| 本名 |
ケヴィン・キーガン・ホフラント Kevin Keegan Hofland | |||||
| ラテン文字 | Kevin HOFLAND | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
| |||||
| 生年月日 | 1979年6月7日(47歳) | |||||
| 出身地 | ブルンスム | |||||
| 身長 | 185cm | |||||
| 体重 | 79kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | DF (CB) | |||||
| 利き足 | 左足 | |||||
| ユース | ||||||
| 1983-1989 |
| |||||
| 1989-1997 |
| |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 1997-2000 |
| 59 | (1) | |||
| 2000-2004 |
| 78 | (4) | |||
| 2004-2007 |
| 76 | (2) | |||
| 2007-2011 |
| 55 | (3) | |||
| 2010-2011 |
→ | 25 | (5) | |||
| 2011-2012 |
| 10 | (0) | |||
| 1997-2012 | 通算 | 233 | (15) | |||
| 代表歴2 | ||||||
| 1999-2000 |
| 4 | (1) | |||
|
| 1 | (0) | ||||
| 2000-2006 |
| 7 | (0) | |||
| 監督歴 | ||||||
| 2014 |
| |||||
| 2014-2015 |
| |||||
| 2020 |
| |||||
| 2021 |
| |||||
| 2022- |
| |||||
|
1. 国内リーグ戦に限る。2017年6月15日現在。 2. 2017年6月15日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
選手経歴
初期
ヘールレンに生まれ、ブルンスムで育つ。4歳の時に地元のSVリンブルヒアに入団すると、6年後にはフォルトゥナ・シッタートへと移籍する。ユース時代には左サイドを中心とした様々なポジションを経験したが、当時のヘンク・デュート監督によって後にキャリアを通じて本職となるCBにコンバートされる。1997年9月10日のスパルタ・ロッテルダムとのアウェイ戦(1-1のドロー)でエールディヴィジデビューを果たす。プロ初年度はリーグ戦6試合の出場に留まったが、翌1999-00シーズンはレギュラーを勝ち取りクラブのリーグ12位フィニッシュに貢献した。
PSV
2000年夏の移籍市場でPSVアイントホーフェンに加入。若手ながらも激しいチーム内競争を制してポジションを確保したが、UEFAチャンピオンズリーグのグループステージ・アーセナルFC戦において足首に重傷を負って以降はヴィルフレート・ボウマにスタメンの座を譲った。2003-04シーズンはアヤックス・アムステルダムに次ぐリーグ2位で終えたクラブでリーグ20試合に出場した。チェルシーFCからのローンでアレックスが加入すると、PSVを退団することを決断。同クラブでは5つのタイトルを獲得した。
ヴォルフスブルク
PSV時代の指揮官であるエリック・ゲレツ率いるVfLヴォルフスブルクに加入。ブンデスリーガでのデビュー戦は2004年8月7日に行われたボルシア・ドルトムントとの試合で、フル出場を果たし2-1で勝利を収めた。その後2シーズンを過ごし、何れもリーグ15位と苦しむクラブで49試合に出場し2ゴールを記録した。
フェイエノールト以降
2007年6月28日、フェイエノールトと4年契約を交わし母国へ復帰。2008年には自身初にして唯一となるKNVBカップを獲得したが、2009-10シーズンはリーグ戦8試合の出場に終わった。翌シーズンはキプロス・ファーストディビジョンのAEKラルナカに期限付き移籍。同クラブではキャプテンに就任し、自身キャリアハイとなるシーズン5ゴールを挙げクラブはリーグ4位となった。2011年7月には完全移籍することが発表された。2012年3月17日、新たな足首の負傷により現役を引退することを表明した[1]。
代表
2000年11月15日、セビージャで開催されたスペインとの親善試合でオランダ代表デビューし、2-1の勝利で飾った。2002 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選にも4試合でプレーしたが、チームは予選突破を逃した。
指導者経歴
2020年4月22日、2020-21シーズンからフォルトゥナ・シッタートの監督に就任することが発表された。キャリアで初めてトップリーグのクラブを指揮することになる。
2021年6月2日、マルク・ファン・ボメルのアシスタントコーチとしてVfLヴォルフスブルクのスタッフ入りをした[2]。
2022年3月14日、2021-22シーズン終了までヴィレムIIの指揮を執ることが決定した[3]。就任時は降格圏に沈んていたが、就任後はチームを復調させてチームを残留に導いたことで契約を2024年まで延長した[4]。
人物
既婚者であり、3人の息子がいる[5]。
タイトル
選手時代
- PSVアイントホーフェン
- エールディヴィジ:2回(2000-01、2002-03)
- ヨハン・クライフ・スハール:3回(2000-01、2001-02、2003-04)
- フェイエノールト
- KNVBカップ:1回(2007-08)