ゲイル・コリンズ
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イギリスのJ・R・R・トールキンに大きな影響を受け、彼と短い書簡を交わしたこともあった[1]。
1967年、後に夫になるフェリックス・パパラルディ[注釈 1]がイングランドのロック・バンドのクリームのセカンド・アルバムのプロデューサーに起用されると、パパラルディ、メンバーのエリック・クラプトンと「ストレンジ・ブルー」、パパラルディと「苦しみの世界」を共作した。
1969年、パパラルディと結婚[注釈 2]。同年、彼がベーシスト兼ヴォ―カリストとしてマウンテンを結成すると、アルバム・ジャケットと夫のステージ衣装をデザインし[2]、共作者として曲作りにも携わった[3][注釈 3]。1974年末にマウンテンが解散した後も夫の音楽活動に参加し、『クリエイション・ウィズ・フェリックス・パパラルディ』(1976年)では夫と共に収録曲の全曲に共作者もしくは編曲者として名を連ねた[4]。
1983年4月17日、マンハッタンのアパートの自宅でパパラルディの首を撃ち、死に至らしめた[5][6][注釈 4]。パパラルディは享年43歳[7]。彼女は第二級殺人で訴追されたが、射撃練習中の事故と主張[注釈 5]し、過失致死罪として懲役4年の実刑判決を受けた[5][8]。収監されて服役したが、刑期の半分で仮釈放された。