ゴンチェク From Wikipedia, the free encyclopedia 在位 1307年 - 1308年死去 1308年子女 フラド家名 チャガタイ家ゴンチェク チャガタイ・ウルスの第13代当主第8代ハン在位 1307年 - 1308年死去 1308年子女 フラド家名 チャガタイ家父親 ドゥアテンプレートを表示 ゴンチェク(? - 1308年)は、チャガタイ家の第13代当主で、チャガタイ・ハン国の第8代ハン(在位:1307年 - 1308年)。漢語史料では寛徹と表記される。 第12代君主ドゥアの子。1307年に父が死去したため、跡を継いだ。短い治世の間にはオゴデイ家の王族キュレスベによる反乱が起きるが、傍流であるブリ家の諸王ヤサウルとジンクシによって反乱は鎮圧される[1]。 1308年に没し、没時にドゥアの子の中に後継者候補と言える人物が不在であったため、チャガタイ家の長老格であるブリ家のナリクがハン位を襲った[2]。 系図 チャガタイ家の系図 脚注 [脚注の使い方] 注釈 出典 ↑ 加藤 1999, p. 37,47. ↑ 加藤 1999, p. 47-48. 参考文献 C.M.ドーソン『モンゴル帝国史』 6巻、佐口透訳注、平凡社〈東洋文庫365〉、1979年11月。ISBN 4582803652。 加藤和秀『ティームール朝成立史の研究』北海道大学図書刊行会、1999年2月。ISBN 4832960318。 先代ドゥア チャガタイ・ウルスの当主第13代1307年 - 1308年 次代ナリク 先代ドゥア チャガタイ・ハン国のハン第8代1307年 - 1308年 次代ナリク 表話編歴チャガタイ・ウルスの君主統一時代 チャガタイ1225年頃–1242年 カラ・フレグ1242–1246年 イェス・モンケ1246–1251年 カラ・フレグ1251年 オルガナ1252–1260年 アビシュカ1260年 アルグ1260–1265/66年 ムバーラク・シャー (チャガタイ家)1266年 バラク (チャガタイ家)1266–1271年 ニグベイ1271年–? ブカ・テムル?–1274年? ドゥア1274年/1282–1307年 ゴンチェク1307–1308年 ナリク1308–1308/09年 ケベク1308/09–1309年 エセン・ブカ1309–1318年? ケベク(復位)1318–1326年 イルジギデイ1326–1326/1327–1330年? ドレ・テムル1326/1331年?–? タルマシリン1326/1331–1334年 ブザン (チャガタイ家)1334年 ジンクシ1334?/1335–1338年 イェスン・テムル (チャガタイ家)1338–1339/1340年 アリー・スルターン1339/40年 ムハンマド?–1341年6月–? カザン (チャガタイ家)1341/42?/1343?–1346/47年 西チャガタイ・ハン国 ダーニシュマンド1346/47年 バヤン・クリ1346/47–1358年? ティムール・シャー1358年 トゥグルク・ティムール1360–1363年(占領) カブール・シャー1364–1366年 アーディル・スルターン1366–1370年 ソユルガトミシュ1370–1388年 スルターン・マフムード1388–1403年 東チャガタイ・ハン国(モグーリスタン・ハン国) トゥグルク・ティムール1347/1348–1362/1363年 イリヤース・ホージャ1362/1363–1365年 カマルッディーン1365?–1389年 ヒズル・ホージャ1389?–1403?年 シャムイ・ジャハーン1403?–1407/1408年 ムハンマド (モグーリスタン)1407/1408–1415/1416年 ナクシ・ジャハーン1415/1416–1417/1418年 ワイス (モグーリスタン)1417/1418–1421?年 シール・ムハンマド1421?–1425?年 ワイス(復位)1425?–1432年 エセン・ブカ (モグーリスタン)1432–1461/1462年 ドースト・ムハンマド1461/1462–1468/1469年 ユーヌス (モグーリスタン)1468/1469–1487年 マフムード (モグーリスタン)1487–1508/1509年 ウイグリスタン(トルファン) アフマド・アラク1487 - 1502/1503年 マンスール (モグーリスタン)1502/1503–1543年 バーバーチャク1543年 シャー (モグーリスタン)1543–1565年 マスウード (モグーリスタン)1565–1605年 モンゴル帝国:元 / ジョチ・ウルス / イルハン朝 / チャガタイ・ウルス Related Articles