ヒズル・ホージャ

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在位 1389年? - 1403年?
子女 テュケル(トゥカル)
家名 チャガタイ家
ヒズル・ホージャ
خضر خواجه
モグーリスタン・ハン国の4代ハン
在位 1389年? - 1403年?

子女 テュケル(トゥカル)
家名 チャガタイ家
父親 トゥグルク・ティムール
宗教 イスラム教
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ヒズル・ホージャ(Khizr Khwaja ? - 1403年?)は、モグーリスタン・ハン国の君主(在位1389年? - 1403年?)。 『明史』などの漢語史料では「黒的児火者」と表記される。トゥグルク・ティムールの子で、イリヤース・ホージャの弟。

ドゥグラト部カマルッディーンによってイリヤース・ホージャが暗殺された後、イリヤース・ホージャの兄弟ヒズル・ホージャはイリ川谷から離れてウイグルスタンに移り、トルファンで再起を図った[1]

1389年ティムールのモグーリスタン遠征ではカマルッディーンだけでなくウイグルスタンのヒズル・ホージャも攻撃を受け、敗れたヒズル・ホージャはゴビ砂漠に逃走した[1]1390年にカマルッディーンは消息を絶ち、ヒズル・ホージャはドグラト部の当主ホダーイダードの助けを得てハンに即位する[2]。即位から間も無く、ティムールと講和した[2]

1397年春、ティムール朝に留められていた息子のシャムイ・ジャハーンがモグーリスタンに送り返され、ティムールからヒズル・ホージャの娘テュケル(トゥカル)との結婚が提案された[3]。ティムールとトゥカル・ハーヌムの婚姻が成立すると両国は講和し、同年11月にトゥカル・ハーヌムはティムールの元へ到着した[3]

脚注

参考文献

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