シャーフージー2世 From Wikipedia, the free encyclopedia 在位 1738年 - 1739年別号 ラージャ家名 ボーンスレー家父親 サラボージーシャーフージー2世Shahuji II タンジャーヴール・マラーター王在位 1738年 - 1739年別号 ラージャ家名 ボーンスレー家父親 サラボージー宗教 ヒンドゥー教テンプレートを表示 シャーフージー2世(Shahuji II, 生年不詳- 1739年以降)は、南インドのタミル地方、タンジャーヴール・マラーター王国の君主(在位:1738年 - 1739年)。 カトゥ・ラージャ(Kattu Raja)、サワーイー・シャーフージー(Sawai Shahuji)とも呼ばれる。 1728年、父であるサラボージーが死亡したとき、シャーフージーは非嫡出子であったため、その弟であるトゥッコージーが王位を継承し、父の後を継ぐことはできなかった。 1736年、トゥッコージーが死亡し、息子ヴィヤンコージー2世が王位を継承したが、シャーフージーは王位を主張しなかった。 1737年、ヴィヤンコージー2世が死亡し、その妃スージャナ・バーイーが王位を継承すると、シャーフージーはフランス東インド会社の助力を得て、その打倒を考えるようになった。 1738年、女王スージャナ・バーイーは権臣サイイドに投獄され、シャーフージーはシャーフージー2世として即位することが出来た。 1739年2月、カルナータカ太守の娘婿チャンダー・サーヒブはシャーフージーにフランス東インド会社へカーライッカールを割譲するように要求し、同年4月に拒否したものの、7月にはこの地を割譲せざるを得なかった。そのため、彼はナーガパッティナムのオランダ東インド会社やセント・デーヴィッド要塞のイギリス東インド会社に接近して助力を求めたが、失敗に終わった。 シャーフージー2世の企みはまもなくチャンダー・サーヒブの知る所となり、タンジャーヴール・マラーター王国はカルナータカ太守の軍勢に侵攻された。シャーフージー2世はマラーター王国に救援の手紙書いたが間に合わず、首都タンジャーヴールは落とされ、彼は洗濯女の息子であることを理由に廃位された。 タンジャーヴールが敵の手に落ちたとき、シャーフージー2世はヴィヤンコージー2世の弟プラタープ・シングに手紙を書き、王になるよう求めた。 こうして、新たにプラタープ・シングが王となり、シャーフージー2世は彼の治世で余生を送ることとなった。 参考文献 辛島昇『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』山川出版社、2007年。 The Maratha Rajas of Tanjore by K.R.Subramanian 関連項目 タンジャーヴール・マラーター王国 表話編歴 タンジャーヴール・マラーター王タンジャーヴール・マラーター王 ヴィヤンコージー1675-1684 シャーフージー1684-1712 サラボージー1712-1728 トゥッコージー1728-1736 ヴィヤンコージー2世1736-1737 スージャナ・バーイー1737-1738 シャーフージー2世1738-1739 プラタープ・シング1739-1763 トゥラジャージー2世1763-1787 サラボージー2世1787-1792 タンジャーヴール藩王 サラボージー2世1792-1793 アマル・シング1793-1798 サラボージー2世1798-1832 シヴァージー1832-1855 カテゴリ Related Articles