ジェイソン・バートレット
From Wikipedia, the free encyclopedia
|
パドレス時代 | |
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 |
|
| 出身地 | カリフォルニア州マウンテンビュー |
| 生年月日 | 1979年10月30日(45歳) |
| 身長 体重 |
6' 0" =約182.9 cm 190 lb =約86.2 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 遊撃手 |
| プロ入り | 2001年 ドラフト13巡目でサンディエゴ・パドレスから指名 |
| 初出場 | 2004年8月3日 アナハイム・エンゼルス戦 |
| 年俸 | $5,500,000(2012年)[1] |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
この表について
| |
ジェイソン・アラン・バートレット(Jason Alan Bartlett, 1979年10月30日 - )は、アメリカ合衆国・カリフォルニア州マウンテンビュー出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。アメリカ人の父と、フィリピン人の母を持つハーフ。
プロ入り
2000年に、ドラフト13巡目でサンディエゴ・パドレスから指名を受け、プロ入り。
ツインズ時代
2002年7月12日に、ブライアン・ブキャナンとのトレードでミネソタ・ツインズへ移籍。
2004年8月3日のアナハイム・エンゼルス戦でメジャーデビューを果たした。2004年は8試合の出場に留まり、結果を伴わせる事は出来なかった。
2005年は、ワシントン・ナショナルズにFA移籍したクリスチャン・グーズマンの穴埋め要員として期待され、開幕からショートのレギュラーとして試合に出場。しかし、5月頃にスランプに陥り、マイナー降格。しかし、8月にメジャー復帰を果たすと、その後はまずまずの成績を残すようになった。
2006年は、開幕メジャーこそ果たせなかったものの、シーズン途中にメジャー昇格を果たすと、最後まで調子を維持し、打率.300超えを達成。シカゴ・ホワイトソックスのオジー・ギーエン監督から「ピラニア軍団」と形容された(ピラニア軍団とは、本塁打などで豪快に得点するのでは無く、バントや走塁などで相手を撹乱し、嫌らしい得点パターンで得点するツインズの選手をからかって言ったもの。他にルイス・カスティーヨ、ニック・プント、ジェイソン・タイナーの3人も含まれる。)。
2007年は、140試合に出場したが、遊撃手でリーグワーストの26失策を記録した。
レイズ時代
2007年11月28日にデルモン・ヤング、ブレンダン・ハリスらとの3対3のトレードでマット・ガーザらと共にタンパベイ・レイズへ移籍。
2008年は岩村明憲と二遊間を組み、広い守備範囲で球団創設11年目で初のリーグ優勝とワールドシリーズ進出に貢献。チームのMVPに選出された。
2009年は開幕から打撃好調で一時は打率トップになるなど、その活躍で初のオールスターに選出された。
パドレス時代
2010年12月17日にコール・フィゲロア、ブランドン・ゴームス、シーザー・ラモス、アダム・ラッセルとのトレードで古巣・パドレスに復帰した。
ツインズ復帰
2013年11月11日に、古巣のミネソタ・ツインズとマイナー契約を結んだ[2]。
2014年3月29日にツインズとメジャー契約を結んだ[3]。開幕ロースター入りしたが、4月7日に左足首を捻挫し、15日間の故障者リスト入りした[4]。4月17日にリハビリのため、A+級フォートマイヤーズ・ミラクルへ異動した。4月18日に現役引退することを発表した[5]。4月21日に契約を解除された。