デルモン・ヤング

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生年月日 (1985-09-14) 1985年9月14日(40歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
240 lb =約108.9 kg
デルモン・ヤング
Delmon Young
ボルチモア・オリオールズ時代
(2014年9月13日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アラバマ州モンゴメリー
生年月日 (1985-09-14) 1985年9月14日(40歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
240 lb =約108.9 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 2003年 ドラフト1巡目(全体1位)でタンパベイ・デビルレイズから指名
初出場 2006年8月29日
最終出場 2015年6月29日
年俸 $750,000(2013年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
派遣歴

デルモン・ダマルカス・ヤングDelmon Damarcus Young, 1985年9月14日 - )は、アメリカ合衆国アラバマ州モンゴメリー出身の元プロ野球選手外野手)。

実兄は同じく元プロ野球選手のドミトリー・ヤング。父のラリー・ヤングは、アフリカ系アメリカ人最初のF-14戦闘機操縦士の1人で、現在はデルタ航空でパイロットをしている。

デビルレイズ時代

2003年MLBドラフト1巡目(全体1位)でタンパベイ・デビルレイズから指名され、9月8日に総額625万ドルの5年契約を結んだ[2]

2004年3月11日にA級チャールストン・リバードッグスへ異動。A級では131試合に出場し、打率.320、本塁打25本、打点116の好成績を記録した。

2005年3月16日にAA級モンゴメリー・ビスケッツへ異動し、AA級で開幕を迎えた。84試合に出場し、打率.336、20本塁打、71打点、25盗塁と活躍。7月にAAA級ダーラム・ブルズへ昇格した。AAA級では打率.285、6本塁打、28打点、7盗塁だった。オフにベースボール・アメリカが選出するマイナーリーグの最優秀選手に選ばれた[3]

2006年3月16日にAAA級ダーラムへ異動し、AAA級で開幕を迎えたが、4月26日に行われたポータケット・レッドソックス戦で、球審の三振判定に不服を述べバッターボックスに居座ったため、退場宣告を受けるが、帰り際に投げつけたバットが球審に命中する。幸い球審にケガは無かった。翌日ヤングは代理人を通じて謝罪し、当てるつもりはなかったとも伝えたが、インターナショナルリーグから50試合の無給出場停止処分を受ける。処分に対して不服申し立てをする選択肢もあったがせず、裁定に服した。AAA級では86試合に出場し、打率.316、8本塁打、59打点、22盗塁だった。8月28日にジョニー・ゴームスが故障者リスト入りしたためメジャーへ昇格し[4]、8月29日のシカゴ・ホワイトソックス戦でメジャーデビュー。「8番・右翼手」として先発起用され、初打席は死球だったが、6回表一死一塁の場面で迎えた3打席目にフレディ・ガルシアからメジャー初安打初本塁打となる、2点本塁打を放った。この日は3打数2安打、(1本塁打)2打点、1死球だった[5]。その後はゴームスが手術で長期離脱したこともあり、シーズン終盤まで右翼手として先発に固定され、この年は30試合に出場。3本塁打10打点2盗塁、打率.317だった。

タンパベイ・デビルレイズ時代
(2007年3月31日)

2007年は前年まで正右翼手だったデーモン・ホリンズが退団したため、正右翼手に抜擢。全162試合に出場し、打率.288、13本塁打、93打点、10盗塁だった。しかし併殺打はリーグ最多の23本を記録した。新人王投票ではダスティン・ペドロイアに次ぐ2位だった。

ツインズ時代

2007年11月28日にマット・ガーザジェイソン・バートレットエディ・モーランとのトレードでブレンダン・ハリスジェイソン・プライディと共にミネソタ・ツインズへ移籍した[6]

ミネソタ・ツインズ時代
(2008年9月13日)

2008年は前年まで指名打者として出場していたジェイソン・タイナーが移籍し、左翼手のジェイソン・クベルが指名打者として起用されたため、ヤングは左翼手に転向した。この年は152試合に出場し、打率.290、10本塁打、69打点、14盗塁だった。

2009年2月12日にツインズと115万ドル2000ドルの1年契約に合意[7]。この年は忌引リスト入りなど欠場が増え、108試合の出場にとどまり、打率.284、12本塁打、60打点、2盗塁だった。

2010年1月19日にツインズと260万ドルの1年契約に合意[8][9]。この年は153試合に出場し、打率.298、自己最高となる21本塁打、112打点、5盗塁を記録。

2011年2月16日にツインズと537万5000ドルの1年契約に合意[10]。開幕後は16試合に出場していたが、4月27日に胸郭の故障で15日間の故障者リスト入りした[11]。5月13日に復帰した[12]が、6月25日に右足首の故障で再び15日間の故障者リスト入りした[13]。7月10日に復帰[14]。ツインズでは84試合に出場し、打率.266、4本塁打、32打点、1盗塁だった。

タイガース時代

2011年8月15日にコール・ネルソン後日発表選手[15]とのトレードでデトロイト・タイガースへ移籍[16]。移籍後は正左翼手のブレナン・ボッシュが故障で離脱していたため、左翼の定位置を獲得。タイガースでは40試合に出場し、打率.274、8本塁打、32打点だった。

デトロイト・タイガース時代
(2012年7月13日)

2012年1月17日にタイガースと672万5000ドルの1年契約に合意[17][18]。開幕前に指名打者のビクター・マルティネスが故障で長期離脱することが決まり、開幕後は指名打者兼左翼手として起用された。4月26日にニューヨーク・ヤンキース戦のため、ニューヨーク州マンハッタンヒルトンホテルへ移動したが、4月27日の早朝にホテル前で「悪質な嫌がらせ」を行った[19]として逮捕され、同日の夕方に保釈金5000ドルを支払い保釈が許可された。4月28日にタイガースはヤングの制限リスト入りを決定し、4月30日にMLB機構から7試合の出場停止処分を受けた[20]。5月4日に制限リストから外れた[21]。5月29日に事実審理前の証言録取のため、マンハッタンの裁判所に出廷[22]。同日のボストン・レッドソックス戦には出場している。この年は151試合に出場し、打率.267、18本塁打、74打点だった。プレーオフのロースターにも加わり、ヤンキースとのアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズでは打率.353、2本塁打、6打点を記録し、シリーズMVPを獲得[23]。オフの10月29日にFAとなった。ヤングは再契約を望んでいたが、タイガースはドラフト指名権を重要視し、1330万ドルのクオリファイング・オファーを提示せず[24]、デーブ・ドンブロウスキーGMも「来季はビクター・マルティネスが故障から復帰するため、ヤングが指名打者として出場することは厳しい」と話している[25]。11月7日の裁判で有罪判決となり、ニューヨークのミュージアム・オブ・トレランスで10日間の社会奉仕を命じられた[26]。11月10日に右足首の手術を受けた[27]

フィリーズ時代

A+級クリアウォーター時代
(2013年4月21日)

2013年1月22日にフィラデルフィア・フィリーズと75万ドル+出来高[28]の1年契約を結んだ[29]。犯罪行為や過去の素行不良などが影響し、前年の年俸から600万5000ドル減の契約となった。フィリーズの外野手はメジャー4年目のドモニク・ブラウン、同じく4年目のベン・リビア、5年目のジョン・メイベリー・ジュニアと比較的若い選手が在籍しており、ルーベン・アマロ・ジュニアGMは「経験が豊富なデルモンが外野の競争に加わることで、経験の浅い選手に良い影響を与えるだろう」と話している[30]。前年11月に行った右足首の手術後はスプリング・トレーニングには間に合うと予想されていたが、スプリング・トレーニング前にヤングは「右足首の調子は良いが、私は医者ではないので開幕に間に合うかはわからない」と話し[31]、結局スプリング・トレーニングには参加せず、3月27日に15日間の故障者リスト入りした[32]。リハビリでA+級クリアウォーター・スレッシャーズに異動し3試合に出場後、4月24日にAAA級リーハイバレー・アイアンピッグスへ昇格。4月30日に故障者リストから復帰し[33]、同日のクリーブランド・インディアンス戦で移籍後初打席にザック・マカリスターから本塁打を放つなど[34]、好調なスタートを切った。その後は主に右翼手や指名打者として起用されていたが、80試合の出場で、打率.261、8本塁打、31打点と落ち込み、8月9日にDFAとなり[35]、8月14日にヤングがマイナー契約を拒否したため、放出された[36]

レイズ復帰

2013年8月22日に古巣・レイズとマイナー契約を結んだ[37]。移籍後はAA級モンゴメリー・ビスケッツで7試合に出場し、1本塁打3打点、打率.233だった。9月1日にレイズとメジャー契約を結んだ[38]。昇格後は主に指名打者や代打として起用され、23試合に出場し、打率.258、3本塁打、7打点だった。オフの10月31日にFAとなった。FA前にヤングは「チームのオフシーズンの計画はわからないが、来年もレイズに戻りたい」と話していた[39]が、レイズは当時外野手がロースターに5人在籍しており、一塁手のバックアップを必要としていたため、構想外となった。

オリオールズ時代

ボルチモア・オリオールズ時代
(2014年5月1日)

2014年1月13日にボルチモア・オリオールズとマイナー契約を結んだ[40]。メジャーへ昇格した際は、100万ドル+出来高75万ドルの契約となる[41]。スプリング・トレーニングでは17試合の出場で、1本塁打5打点、打率.298と結果を残し、3月30日にオリオールズとメジャー契約を結んだ[42]。開幕後は主に指名打者として起用されたが、オリオールズには指名打者兼左翼手のネルソン・クルーズが在籍していたため、83試合の出場にとどまり、打率.302、7本塁打、30打点、2盗塁だった。オフの10月30日にFAとなった。

2015年1月9日にオリオールズと225万ドル+出来高[43]の1年契約で再契約した[44][45]。7月1日にDFAとなり[46]、9日に自由契約となる。

オリオールズ退団後

2015年オフはドミニカ共和国のウィンターリーグでプレー。

2017年10月10日にオーストラリアン・ベースボールリーグに参加し、メルボルン・エイシズに所属することになった[47]

2018年メキシカンリーグモンクローバ・スティーラーズと契約するが、4月18日に解雇となる。7月3日にプエブラ・パロッツと契約。オフはベネズエラのウィンターリーグでプレー。

2019年は所属球団なく、冬季にオーストラリアン・ベースボールリーグのメルボルン・エイシズでプレー。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2006 TB 30131126164091360102201103240.317.336.476.812
2007 16268164565186380132639310307262312723.288.316.408.723
2008 MIN 15262357580167284102336914515357710519.290.336.405.741
2009 108416395501121621216860250512149217.284.308.425.733
2010 1536135707717046121281112540928568116.298.333.493.826
2011 843253052681160410932100218205512.266.305.357.662
DET 40178168284651877320003502307.274.298.458.756
'11計 124503473541272111218664100523228519.268.302.393.695
2012 1516085745415327118236740207201711220.267.296.411.707
2013 PHI 80291272227113081083100021403697.261.302.397.699
TB 237062816303287000160191.258.329.452.780
'13計 1033613343087160111363800032004788.260.307.407.715
2014 BAL 83255242277311171073020001003516.302.337.442.779
2015 52180174204760259160001401298.270.289.339.628
MLB:10年 111843714108473116221811109172956636211431791840784136.283.316.421.737
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績



左翼(LF)中堅(CF)右翼(RF)




































2006 TB -140001.0003050410.982
2007 -2962030.9541332521647.985
2008 MIN 1512821182.973--
2009 98175451.973--
2010 1492391242.984--
2011 75144451.967--
DET 4070322.973--
'11計 115214773.969--
2012 3135120.947--
2013 PHI --64115452.960
TB --10000----
'13計 --65115452.960
2014 BAL 27293001.000-231011.000
2015 261001.000-4056720.969
MLB 57398039268.9753066030.957270476321210.977
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰

背番号

  • 26(2006年 - 同年途中、2007年 - 同年途中)
  • 35(2006年途中 - 同年、2007年途中 - 同年)
  • 21(2008年 - 2012年)
  • 3(2013年 - 同年途中)
  • 15(2013年 - 同年)
  • 27(2014年 - 2015年)

脚注

関連項目

外部リンク

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