ザ・ビースト (プロレスラー)

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リングネーム ザ・ビースト
ビースト・マーチン
ブルート・マーチン
イヴォン・ザ・ランバージャック
イワン(アイヴァン)・ザ・ランバージャック
ジョー・ギャンプ
ピエール・ルベール
本名 イヴォン・コーミエ
ニックネーム カナダの獣人
身長 178cm[1]
ザ・ビースト
プロフィール
リングネーム ザ・ビースト
ビースト・マーチン
ブルート・マーチン
イヴォン・ザ・ランバージャック
イワン(アイヴァン)・ザ・ランバージャック
ジョー・ギャンプ
ピエール・ルベール
本名 イヴォン・コーミエ
ニックネーム カナダの獣人
身長 178cm[1]
体重 114kg[1] - 116kg[2]
誕生日 (1938-11-03) 1938年11月3日[3]
死亡日 (2009-03-04) 2009年3月4日(70歳没)[3]
出身地 カナダの旗 カナダ
ニューブランズウィック州の旗 ニューブランズウィック州ドーチェスター[3]
デビュー 1950年代[4]
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ザ・ビーストThe Beast、本名:Yvon Cormier1938年11月3日 - 2009年3月4日)は、カナダプロレスラーニューブランズウィック州ドーチェスター出身[1]

リングネーム通りの野獣系ラフファイターとして、地元のニューブランズウィックを拠点とするカナダ沿海州を主戦場に活躍した[4]。弟のレオ・バークルディ・ケイ英語版ボビー・ケイ英語版もプロレスラーとして活動していた[2]

1950年代末にプロレス界に入り、1962年アメリカインディアナ州インディアナポリスにて本格的なトレーニングを積んだ後、ピエール・ルベール(Pierre Lebelle)、イワン・ザ・ランバージャック(Ivan The Lumberjack)、ジョー・ギャンプ(Joe Gump)などのリングネームで活動[4]1963年下期、ジム・クロケット・プロモーションズのジム・クロケット・シニアよりザ・ビーストThe Beast)のリングネームとギミックを与えられ[4]、髪と髭を伸ばし放題にした悪相ヒールとなって活動する[5]

1960年代後半より、スチュ・ハートが主宰していたカルガリースタンピード・レスリングに参戦して、1966年12月2日にカナディアン・ヘビー級王座を奪取[6]1967年7月12日にはボブ・スウィータンと組んでカルガリー版のインターナショナル・タッグ王座を獲得した[7]

本拠地マリタイムズイースタン・スポーツ・アソシエーション(ESA)ではベビーフェイスとなって、1969年7月5日に北米ヘビー王座の初代チャンピオンに認定されている(以降、モンゴリアン・ストンパーキラー・カール・クラップグレート・クマを破り、1974年にかけて同王座を通算4回獲得)[8]。同月29日には弟のルディ・ケイ英語版をパートナーに、アル・コステロ&ドン・ケントファビュラス・カンガルーズからマリタイムズ版のインターナショナル・タッグ王座を奪取している(以降もルディ、ボビー英語版レオ・バークらとの兄弟タッグで、1975年にかけて同王座を再三獲得した)[9]

ESAでの活動と並行して、ドリー・ファンク・シニアが主宰していたテキサスアマリロ地区にもヒールとして参戦し、1969年11月24日にテキサス・マッケンジーからNWAウエスタン・ステーツ・ヘビー級王座を奪取[10]リッキー・ロメロテリー・ファンクとも同王座を争った[10]1970年代前半にはラボックエルパソオデッサなどテキサス西部各地で、ドリー・ファンク・ジュニアの保持していたNWA世界ヘビー級王座に度々挑戦した[11]

1973年1月、アマリロ地区との提携ルートで全日本プロレスの『新春ジャイアント・シリーズ』に初来日[12]。同年10月開幕の『創立1周年記念ジャイアント・シリーズ』にも再来日して、ジャンボ鶴田大木金太郎サンダー杉山ザ・デストロイヤーらとシングルマッチで対戦した[13]1976年4月には『第4回チャンピオン・カーニバル』に出場[14]アブドーラ・ザ・ブッチャーら上位陣には敗退したものの、ジャイアント馬場との公式リーグ戦では30分時間切れ引き分けに持ち込むなどの伏兵ぶりを見せた[15]

その後もESAおよび後継団体のアトランティック・グランプリ・レスリング(AGPW)を主戦場としつつ、1970年代末からはカンザスセントラル・ステーツ・レスリングテネシーのNWAミッドアメリカおよびCWAにも出場。テネシーではトージョー・ヤマモトジプシー・ジョーマイケル・ヘイズ&テリー・ゴディファビュラス・フリーバーズとも共闘して、リッキー・モートンロバート・ギブソンココ・ウェアロッキー・ジョンソンなどと対戦[16][17]メンフィスのミッドサウス・コロシアムではビル・ロビンソンとのシングルマッチが行われた[18]

1984年のセミリタイア後も、1987年から1990年にかけてAGPWに単発出場して、ロン・スターキューバン・アサシンボブ・ブラウンボビー・バス、そして海外武者修業中だったトーキョー・チョーノこと蝶野正洋などと対戦[19]。引退後も1999年にマリタイムズのレジェンドとして一時的に復帰し、新人時代のレネ・ルージョーことレネ・デュプリともタッグを組んだ[19]

2008年5月、悪性リンパ腫と診断されて治療を受けたが、後に骨髄に転移[20]2009年3月4日ニューブランズウィック州モンクトンの病院で死去[4]70歳没[1]

得意技

獲得タイトル

脚注

外部リンク

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