ジェフ・フロート
アメリカの男子競泳選手
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ジェフリー・ジェームズ・フロート(Jeffrey James Float、1960年4月10日 - )は、アメリカ合衆国・ニューヨーク州バッファロー出身の元男子競泳選手。
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1984年頃のフロート | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 選手情報 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| フルネーム | ジェフリー・ジェームズ・フロート | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 国籍 |
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| 泳法 | 自由形、個人メドレー | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 大学 |
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| 生年月日 | 1960年4月10日(66歳) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 生誕地 |
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| 身長 | 191cm | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 体重 | 85kg | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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1984年ロサンゼルスオリンピック4×200mフリーリレーの金メダリストであり、同種目の元世界記録保持者。オリンピック競泳競技で金メダリストに輝いた初の聴覚障害を持つ選手、オリンピックとデフリンピックの両大会で金メダリストに輝いた初の選手、法的に聴覚障害を持つアメリカ人でオリンピック金メダリストに輝いた初の選手である。
経歴
生後13カ月の時にウイルス性髄膜炎にかかって命を落としかけ、右耳の90%、左耳の65%の聴力を失った[1][2]。幼少期をニューヨーク州バッファローで過ごした後、7歳の時にカリフォルニア州サクラメントに引っ越し、近所にあるアーデン・ヒルズ・スイムクラブ(Arden Hills Swim Club)で水泳を始めた。そこでフロートは、マーク・スピッツ、マイク・バートン、デビー・メイヤーらと共に、伝説的な水泳コーチとして知られるSherm Chavoorの下で泳いだ[3][1]。
イエズス会高校(Jesuit High School)時代には地元の記録を次々に塗り替えた[3]。南カリフォルニア大学時代には400y個人メドレーでNCAAタイトルを獲得[4]、オールアメリカに6度選出されるなど活躍し[2]、心理学の学位を取得して1983年に卒業した[3]。
1977年ブカレストデフリンピック
ブカレストデフリンピック(当時の名称は世界ろう者競技大会)では、100m・200m・1500m自由形、100m・200m背泳ぎ、100m・200mバタフライ、400m個人メドレー、4×200mフリーリレー、4×100mメドレーの10種目で金メダルを獲得し、200m背泳ぎを除いた9種目と800m自由形で世界ろう記録を樹立した[5][6][7][8][9][10][11][12][13][14][15][16]。
1978年西ベルリン世界選手権
西ベルリン世界選手権の400mでは、3分51秒94の大会記録を樹立したソ連のウラジーミル・サルニコフに1秒48及ばなかったが、同じアメリカのビル・フォレスターを0秒55抑えて銀メダルを獲得した[17]。この時フロートが樹立した3分53秒42の世界ろう記録は現在も破られておらず、最古の競泳世界ろう記録として残り続けている[18][19]。
1980年モスクワオリンピック
個人3種目でモスクワオリンピックの出場権を獲得していたが、アメリカのボイコットにより出場は叶わなかった[2]。
1981年アメリカ・ソ連対抗戦
キエフで開催されたアメリカ・ソ連対抗戦では、400m自由形、400m個人メドレー、4×200mフリーリレー(3泳)の3種目で優勝した[20]。400m自由形ではモスクワオリンピック金メダリストのウラジーミル・サルニコフを1秒05[21]、400m個人メドレーではモスクワオリンピック銀メダリストのセルゲイ・フェセンコ・シニアを0秒42抑えた[22]。
1982年グアヤキル世界選手権
グアヤキル世界選手権の4×200mフリーリレーで2泳を務め、アンカーのロウディ・ゲインズらと共に2位のソ連に3秒82差をつけて金メダルを獲得した[23]。
1984年ロサンゼルスオリンピック
ロサンゼルスオリンピックでは競泳アメリカチームのキャプテンを務め[2]、4×200mフリーリレーで金メダル獲得、200m自由形で4位入賞を果たした。
最初の決勝となった200m自由形では、ミヒャエル・グロス(1分47秒44=世界記録)、マイク・ヒース(1分49秒10)、トーマス・ファーナー(1分49秒69)に次ぐ4位に終わり、メダルには0秒49届かなかった[24]。
翌日の4×200mフリーリレー決勝では3泳を務め、1泳のマイク・ヒース、2泳のデイヴィッド・ラーソン、アンカーのブルース・ヘイズと共に世界記録樹立と金メダル獲得に貢献した。予選で7分18秒87の世界記録を樹立したアメリカは[注釈 1]、当時世界最高の競泳選手だったミヒャエル・グロス擁する西ドイツに勝利するため、4秒ほどの追い越せない差をつけてアンカーに繋ぐ計画を立てて決勝に臨んだ。計画通りの差はつけられなかったものの、フロートは0秒90だった差を1秒56に広げてアンカーのヘイズに繋いだが、今大会の200m自由形のチャンピオンであり当時の世界記録保持者(1分47秒44)であるグロス相手にこの差は安全とは言えず、案の定100mでグロスに抜かされ、そのまま残りの50mを迎えた。しかし、アメリカはヘイズが残り10mでグロスに並ぶとそのままほぼ同時にフィニッシュし、当時の史上最速スプリットタイムとなる1分46秒89をマークしたグロス相手に、自己ベストが2秒以上も遅いヘイズが1分48秒41のスプリットタイムをマークして0秒04差で競り勝った。2位西ドイツと3位イギリスとの差は9秒05もあり、アメリカがマークした7分15秒69と西ドイツがマークした7分15秒73は、アメリカが予選で樹立した当時の世界記録を3秒以上も上回った。このレースは水泳の歴史において、2008年北京オリンピックの男子4×100mフリーリレーと並び、歴史に残る名リレーとして語り継がれている[25][26][27]。
フロートはリレーで3泳を泳いだ直後、プールから上がった時に観客の歓声が聞こえたといい、その時の心境を次のように語った[2]。
- 大会で独特の歓声を聞いたのは初めてだった。
"It was the first time I remember hearing distinctive cheers at a meet." - 1万7000人の歓声がどんなに響き渡ったか、決して忘れません。信じられないくらいでした。
"I’ll never forget what 17,000 screaming people sound like. It was incredible."
フロートはこのメダル獲得により、オリンピック競泳競技で金メダリストに輝いた初の聴覚障害を持つ選手[28][29]、オリンピックとデフリンピックの両大会で金メダリストに輝いた初の選手[5]、法的に聴覚障害を持つアメリカ人でオリンピック金メダリストに輝いた初の選手となった[2]。また、オリンピックのメダル授与式において、世界共通のハンドサインであるILY(I Love You)を観衆とテレビカメラに向けて披露した初の選手となった[5][30]。
決勝を泳いだ4人は翌朝のロサンゼルス・ヘラルド・エグザミナーの一面を飾り、そこにはグロスの写真に赤い丸と斜線が描かれ、上には大きな文字で「グロスバスターズ(GROSS BUSTERS)」と書かれていた[2]。これは約2カ月前に公開されたヒット映画「ゴーストバスターズ」にちなんだもので、4人の愛称となった[26]。4人はアメリカの女優であるラクエル・ウェルチと共にヴァニティ・フェアの表紙を飾った[1]。
現役引退後
1984年ロサンゼルスオリンピックを最後に現役を引退し[4]、その後はモチベーショナルスピーカー、水泳のコーチやディレクターなどの仕事をしている[28][31]。
人物
表彰・受賞
成績
主要国際大会
| 年 | 大会 | 場所 | 種目 | 結果 | 記録 | 泳順 | 備考 | 脚注 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1977 | デフリンピック | ブカレスト | 100m自由形 | 金メダル | 55秒74 | 世界ろう記録 | [5] | |
| 200m自由形 | 金メダル | 2分02秒46 | 世界ろう記録 | |||||
| 1500m自由形 | 金メダル | 17分04秒42 | 世界ろう記録 | |||||
| 100m背泳ぎ | 金メダル | 1分04秒19 | 世界ろう記録 | |||||
| 200m背泳ぎ | 金メダル | 2分21秒55 | デフリンピック記録 | |||||
| 100mバタフライ | 金メダル | 1分00秒29 | 世界ろう記録 | |||||
| 200mバタフライ | 金メダル | 2分15秒14 | 世界ろう記録 | |||||
| 400m個人メドレー | 金メダル | 4分56秒76 | 世界ろう記録 | |||||
| 4x200mフリーリレー | 金メダル | 8分32秒31 | 4泳 | 世界ろう記録 | ||||
| 4x100mメドレーリレー | 金メダル | 4分16秒89 | 1泳 | 世界ろう記録 | ||||
| 1978 | 世界選手権 | 西ベルリン | 400m自由形 | 銀メダル | 3分53秒42 | [35] | ||
| 1982 | 世界選手権 | グアヤキル | 4x200mフリーリレー | 金メダル | 7分21秒09 | 2泳 | [35] | |
| 1984 | オリンピック | ロサンゼルス | 200m自由形 | 4位 | 1分50秒18 | [35] | ||
| 4x200mフリーリレー | 金メダル | 7分15秒69 | 3泳 | 世界記録 | ||||
記録
自己ベスト
樹立した長水路の世界ろう記録
| 種目 | 記録 | 泳順 | 日付 | 大会 | 場所 | 脚注 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 200m自由形 | 2分04秒08 | 1976年7月10日 | サウスフィールド | [7] | ||
| 1500m自由形 | 17分23秒47 | [9] | ||||
| 100m背泳ぎ | 1分07秒11 | [10] | ||||
| 100m背泳ぎ | 1分04秒38 | [10] | ||||
| 100mバタフライ | 1分03秒43 | [12] | ||||
| 200m背泳ぎ | 2分16秒17 | 1976年7月11日 | [11] | |||
| 200m背泳ぎ | 2分14秒51 | [11] | ||||
| 400m個人メドレー | 5分01秒98 | [14] | ||||
| 100m自由形 | 55秒74 | 1977年7月18日 | デフリンピック | ブカレスト | [6] | |
| 4x200mフリーリレー | 8分32秒31 | 4泳 | [15] | |||
| 800m自由形 | 9分10秒30 | 1977年7月19日 | [8] | |||
| 1500m自由形 | 17分04秒42 | [9] | ||||
| 400m個人メドレー | 5分01秒70 | [14] | ||||
| 400m個人メドレー | 4分56秒76 | [14] | ||||
| 100m背泳ぎ | 1分04秒19 | 1977年7月20日 | [10] | |||
| 100mバタフライ | 1分02秒50 | [12] | ||||
| 100mバタフライ | 1分00秒29 | [12] | ||||
| 200mバタフライ | 2分25秒89 | 1977年7月21日 | [13] | |||
| 200mバタフライ | 2分15秒14 | [13] | ||||
| 200m自由形 | 2分02秒46 | 1977年7月22日 | [7] | |||
| 4x100mメドレーリレー | 4分16秒89 | 1泳 | 1977年7月22日 | [16] | ||
| 400m自由形 | 3分53秒42 | 1978年8月23日 | 世界選手権 | ベルリン | [36] | |