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ジェームズ5世 (スコットランド王)

スコットランド王 From Wikipedia, the free encyclopedia

生涯

父ジェームズ4世のフロドゥンの戦い(英語版)での死により、生後1年5ヶ月でスターリング城にて即位した[2]。幼年期には母、次いでジェームズ2世の孫(ジェームズ5世の従叔父)にあたり王位継承権第2位のオールバニ公ジョン・ステュアート(英語版)が摂政を務めた[3]。1525年に義理の父親(母マーガレットの2度目の夫)アンガス伯アーチボルド・ダグラス(英語版)が後見人となったが、実際にはジェームズ5世は軟禁状態に置かれた[4]。1528年にこれを逃れ、親政を開始した[5]。

ジェームズ5世はフランスとの古い同盟を更新し、1537年1月1日にフランス国王フランソワ1世の王女マデリン(マドレーヌ)とパリのノートルダム寺院にて結婚する。しかしマデリンは、結婚後数ヶ月後にホリールード宮殿で結核で病没した[6]。

1538年6月、フランスの大貴族である初代ギーズ公クロードの長女メアリー(マリー)とセント・アンドルーズで結婚する。2人の間には長男ジェームズ、次男アーサーが生まれるが、2人とも1歳を待たずして1541年4月に夭折した[7]。

1541年にイングランド出身の母が死去すると、もはや和平を保つべき理由も薄れ、ついにイングランドとの戦争が勃発した。ローマ・カトリック教会から離脱したヘンリー8世は甥のジェームズ5世にもカトリックからの離脱を強要したが、ジェームズ5世は教会の改革をひどく嫌った。1542年11月、国境近くのソルウェイ湿原の戦いで敗北し[8]、フォークランド宮殿へ帰ったジェームズ5世はそのまま熱病に倒れた[9]。12月8日、王妃メアリーが女子(女王メアリー1世として王位を継承)を出産した知らせを聞くが、回復することなく6日後の14日に死去した[10]。

子女

メアリ・オブ・ギーズとの間に2男1女が生まれた。

  • ジェームズ(1540年5月22日 - 1541年4月)
  • アーサー(ロバート)(1541年4月) - 生まれて8日後に死去
  • メアリー(1542年 - 1587年) - スコットランド女王

さらに身分が低いマーガレット・アースキン(英語版)との間に1男が生まれた。

脚注

参考文献

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