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ジェームズ4世 (スコットランド王)

1488年から1513年まで統治したスコットランドの王 From Wikipedia, the free encyclopedia

生涯

1488年、ソーキバーンの戦いで死んだ父の跡を継いで15歳で即位[2]。ソーキバーンの戦いでは反乱軍の名目上の指導者となっていたのであるが、父の死に際して自分が演じた役割に気付いて、四旬節のたびごとにシリス(英語版)を着用して自らの罪の償いを行った。

ジェームズ4世は大変有能な統治者で、反乱を鎮圧し、芸術を奨励し[3]、銃器製造や造船業[4]などにとりわけ力を注いだ。イングランドとは1502年に平和条約(Treaty of Perpetual Peace)を締結し[5]、1503年にヘンリー7世の娘マーガレット・テューダーとホリールード寺院で結婚式を挙げた。2人の間には4男2女が生まれたが、成人したのは三男のジェームズ(のちのジェームズ5世)だけだった[6]。

イタリア戦争の余波でイングランドとフランスの間で戦争が始まると、イングランドとの平和条約とフランスとの古い同盟 (Auld Allianc) の板挟みになった。1513年イングランドの新しい国王ヘンリー8世がフランスへの侵入を図ると、イングランドへ宣戦布告したが[7]、フロドゥンの戦い(英語版)でノーフォーク公に大敗し、ジェームズ4世も戦死した[8][9]。

子女

マーガレット・テューダーとの間には以下の4男2女が生まれたが、三男のジェームズ以外は早世した。

  • ジェームズ(1507年2月21日 - 1508年2月27日)
  • 女子(1508年7月15日) - 生まれた日に死去
  • アーサー(1509年10月20/21日 - 1510年7月14/15日)
  • ジェームズ5世(1512年 - 1542年) - スコットランド国王
  • 女子(1512年11月) - 生まれた日に死去
  • アレグザンダー(1514年4月30日 - 1515年12月18日) - ロス公

マリオン・ボイド(英語版)との間に以下の庶子をもうけた。

  • アレグザンダー(英語版)(1493年? - 1513年) - セント・アンドルーズ大司教(英語版)
  • キャサリン(? - 1554年以降) - 第3代モートン伯爵ジェームズ・ダグラス(英語版)と結婚

ジャネット・ケネディ(英語版)との間に以下の庶子をもうけた。

  • ジェームズ(英語版)(1500年 - 1544年) - 初代マリ伯

初代ドラモンド卿ジョン・ドラモンド(英語版)の娘マーガレット(英語版)との間に以下の庶子をもうけた。

  • マーガレット(英語版)(1497年? - ?) - ゴードン卿ジョン・ゴードン(英語版)と結婚、のちサー・ジョン・ドラモンド(英語版)と結婚。

初代バカン伯爵ジェームズ・ステュアート(英語版)の娘イザベラとの間に以下の庶子をもうけた。

研究

言語獲得が後天的か先天的か調べるために、インチキース島(英語版)の言語をしゃべれない女性の元に二人の子供を預ける言語剥奪実験(英語版)を行ったとされるが信憑性が低いともされる[10][11]。

脚注

参考文献

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