ジャン2世 (キプロス王) From Wikipedia, the free encyclopedia 在位 1432年 - 1458年出生 1418年5月16日 キプロス ニコシア死去 1458年7月28日 キプロス ニコシア配偶者 アメデーア・パレオロガジャン2世Jean II エルサレム国王キプロス国王キリキア・アルメニア国王 在位 1432年 - 1458年出生 1418年5月16日 キプロス ニコシア死去 1458年7月28日 キプロス ニコシア配偶者 アメデーア・パレオロガ エレニ・パレオロギナ子女 シャルロットクレオーファ(庶子)ジャック2世家名 リュジニャン家父親 ジャニュ母親 シャルロット・ド・ブルボンテンプレートを表示 ジャン2世(Jean II de Chypre, 1418年5月16日 - 1458年7月28日)は、キプロス王、名目上のエルサレム王、キリキア・アルメニア王(在位:1432年 - 1458年)。 キプロス王ジャニュと、その2番目の妻でラ・マルシュ伯ジャン1世の娘であるシャルロット・ド・ブルボンの間の長男として生まれた。王位に就く以前は、名目上のアンティオキア公の称号を帯びていた。 1432年、ジャンは、ニコシアにてキプロス王、名目上のエルサレム王、キリキア・アルメニア王として戴冠し、宗主であるマムルーク朝のスルタン、アシュラフ・バルスバーイに報告した。1437年、モンフェッラート侯ジョヴァンニ・ジャコモの娘アメデーアと代理結婚により婚姻した。アメデーアは1440年にキプロス島に輿入れし、同年7月3日に正式な結婚式を挙げたが、新妻はその2か月後に急死した。1441年には、ジェノヴァの支配下に置かれていたファマグスタへの攻撃を行ったが、失敗に終わった。1442年2月3日、モレアス専制公テオドロス2世(東ローマ皇帝ヨハネス8世の弟)の娘エレニと再婚し、間に2人の娘をもうけた。 シャルロット(1444年 - 1487年) - キプロス女王 クレオーファ(? - 1448年) また、ジャン2世には愛妾マリエット・ド・パトラとの間に庶出の息子があった。 ジャック2世(1440年頃 - 1473年) - キプロス王 1448年、マムルーク朝の攻撃により、キリキア地方の拠点コリクスを失った。 庶子ジャックは1456年にニコシア大司教の聖職を授けられるが、とてもその任に堪える素行の人物とは言えず、宮廷の侍従を殺害する事件を起こして大司教の位を剥奪され、ロドス島に送られた。だが、ジャン2世は、後に、ニコシアへの帰還を果たしたジャックを大司教に復させている。 王妃エレニとジャックの仲は険悪で、両者はジャン2世王に対する影響力をめぐり、競い合った。1458年にエレニが死ぬと、ジャン2世はジャックを後継者に据えようとしたようだが、それが実現する前に死亡した。 先代ジャニュ キプロス王〈名目上〉エルサレム王〈名目上〉キリキア・アルメニア王1432年 - 1458年 次代シャルロット 表話編歴キプロス王リュジニャン家 ギー1192-1194 エメリー1194-1205 ユーグ1世1205-1218 アンリ1世1218-1253 ユーグ2世1253-1267 ユーグ3世1267-1284 ジャン1世1284-1285 アンリ2世1285-1324 ユーグ4世1324-1359 ピエール1世1359-1369 ピエール2世1369-1382 ジャック1世1385-1398 ジャニュ1398-1432 ジャン2世1432-1458 シャルロット1458-1460 ジャック2世1460-1473 ジャック3世1473-1474 カタリーナ・コルナーロ1474-1489 ※1489年、ヴェネツィア共和国に譲渡 カテゴリ 典拠管理データベース 全般VIAF国立図書館ドイツポーランド人物ドイッチェ・ビオグラフィー Related Articles