ジャン2世 (ロレーヌ公)

From Wikipedia, the free encyclopedia

ジャン2世・ダンジュー(Jean II d'Anjou, 1425年 - 1470年12月16日)は、ロレーヌ(在位:1453年 - 1470年)。カラブリア公も称した(1435年 - 1470年)。ロレーヌ女公であった母イザベルから公位を継承した。父は母の共同統治者としてロレーヌ公でもあったナポリルネ・ダンジュー。妹にヴォーデモン伯フェリー2世妃ヨランドイングランドヘンリー6世マルグリットがいる。

ジャン2世と妃マリー・ド・ブルボン(17世紀画)

生涯

1453年に母が亡くなり、父から公位を譲られた[1]

父はナポリを巡りアラゴンアルフォンソ5世と戦い、敗れてナポリを諦めた過去があった。ジャン2世も父と同じくナポリへの野望を抱き、ナポリ王でアルフォンソ5世の庶子フェルディナンド1世に戦いを仕掛け、1457年1459年から1462年にかけてナポリへ遠征した。しかしミラノフランチェスコ・スフォルツァがフェルディナンド1世に味方し援軍を送ったため、ジャン2世は敗れてナポリ王位を断念した[2]

1465年フランスルイ11世とも対立しブルゴーニュシャルルブルターニュフランソワ2世ブルボン公ジャン2世ら反国王派貴族が結成した公益同盟フランス語版に加わったが、軍備に手間取っているうちにまとまりの弱い公益同盟が分裂、ルイ11世と交渉して同盟から離れた[3]

1466年、息子のニコラとルイ11世の娘アンヌ・ド・ボージューが婚約、国王から10万リーブルの持参金を与えられた。これを機にアラゴン王フアン2世(アルフォンソ5世の弟)から王位を奪い取るため、カタルーニャの支援でイベリア半島へ向かった(父もフアン2世の対立王に推戴される)。アラゴンと戦っている最中に再び反ルイ11世派となりニコラとアンヌの婚約は破棄されたが、アラゴン王位を奪えないまま1470年、父に先立ちバルセロナで病死した[4]

ブルボン公シャルル1世の娘マリー(1428年 - 1448年)と結婚し、4子をもうけたが、ニコラ1世以外の3人の娘は夭逝、ジャン2世の死後ニコラ1世が後を継いだが、1473年にニコラ1世も亡くなると甥ルネ2世(妹ヨランドの子)がロレーヌを相続した。

脚注

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI