ジュリー・ルブラン
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- ジャンヌ=ジュリー=ルイーズ・ニグリス
- Dlle Nigris
- ブルネット(ニックネーム)
- ジャン=バティスト=ピエール・ルブラン(父)
- エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン(母)
ジュリー・ルブラン | |
|---|---|
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エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン『ジュリー・ルブランの肖像』(1789年)ボローニャ国立美術館 | |
| 生誕 |
ジャンヌ=ジュリー=ルイーズ・ルブラン Jeanne-Julie-Louise Le Brun 1780年2月12日 フランス王国パリ |
| 死没 |
1819年12月8日 フランス王国旧パリ10区 |
| 別名 |
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| 親 |
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| 親戚 | シャルル・ルブラン、ルイ・ヴィジェ |
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ジャンヌ=ジュリー=ルイーズ・ルブラン[1]あるいはジャンヌ=ジュリー=ルイーズ・ニグリス(Jeanne Julie Louise Le Brun、1780年2月12日 - 1819年12月8日)はフランスの画家である。
母親にとってのロールモデル
ジャンヌ=ジュリー=ルイーズ・ルブランは、画家であり美術商でもあったジャン=バティスト=ピエール・ルブランと、画家エリザベート・ヴィジェ・ルブランの娘であり、彼女は母親の多くの絵画のモデルを務めた[2]。母親は何度か娘と一緒に自画像を描いており、特に「ヴィジェ夫人と娘」(1789)では二人が抱き合っている様子が描かれている。
フランス革命から逃れるため、彼女の母親は11月5日の夜にジュリーと家庭教師、そして80ルイ・ドール金貨を持ってパリを離れた。1789年10月6日[3]イタリアへ向かう[4]。彼らはまずトリノに住み、次にパルマ、フィレンツェ、ローマ、ウィーン、サンクトペテルブルクに長期間滞在する[4]。
ジュリー・ルブランは若い頃に数多くのパステル画を制作しており、その中には画家ヤコブ・オルトの作品に触発された作品も含まれている[5]。彼女の母親は回想録の中で「絵を描くことに対する彼女の幸福な気質」について触れ、娘のことを自分の人生の幸福[6]
と表現している。
エリザベート・ヴィジェ・ルブランは、娘が自分と同じ社会階級に属し、画家になれることを望んでいた[7]。しかし、ジュリー・ルブランは独自のアイデンティティを好み、最終的には反抗した[7]。母娘の決裂はロシアで起こった。両親は彼女を新古典主義の画家ピエール=ナルシス・ゲラン[8], [9]と結婚させたかった。しかし、ジュリーはサンクトペテルブルクでガエタン=ベルナール・ニグリス(1766年頃~1831年頃)と出会った。彼はサンクトペテルブルク帝国劇場の支配人イワン・グリゴリー・チェルヌィシェフ伯爵(1762年~1831年)の秘書であり、ジュリーの母親はチェルヌィシェフ伯爵の肖像画を描いていた[10]。1799年8月31日母親の意向に反してジュリーとガエタンはサンクトペテルブルクで結婚した[11]。ジュリーと母親とは決して完全に和解することはなかった[4]。彼女の両親は1794年に離婚した[12]。
1804年、ジュリー・ルブランはパリに戻った[13]。ニグリス夫妻は結婚8年後に別居した[4]。
ジュリー・ルブランは芸術で生計を立てようとし、1811年には「マドモワゼル・ニグリス」という名前でサン・ラザール通りの展覧会に出展した[5]。
彼女は1819年12月8日に亡くなった。父親の借金を相続したため、当時、彼女は貧困寸前の状態だった[4]。
母親は、二人の関係がぎくしゃくしていたにもかかわらず、回想録の中で次のように書いている。
しかし、この打撃(夫の死)は、娘の死で私が経験した残酷な悲しみに比べれば、はるかに小さなものでした。娘の病気の知らせを聞くとすぐに駆けつけましたが、病状は急速に進行し、娘を救う望みがなくなった時の私の気持ちは言葉では言い表せません。最後の日に娘を見舞いに行った時、恐ろしくやつれた顔を見た瞬間、私は気を失いました。旧友のノワヴィル夫人が悲しみの床から私を救い出してくれました。私の足は動かなかったので、彼女は私を支え、家に連れて帰ってくれました。翌日、私は子供を失っていました!ヴェルダン夫人がその知らせを持ってやって来て、私の絶望を和らげようとしましたが、無駄でした。かわいそうな小さな娘のあらゆる悪行は消え去り、私は再び彼女に会いました。今でも、幼い頃の彼女の姿が目に浮かびます。ああ!彼女はまだとても若かったのに!なぜ私より先に逝ってしまったのでしょう?
これらの肖像画は、母親の娘に対する強い愛情を反映しており、サロンでの成功は[4]、18世紀後半のこの時期のヨーロッパにおいて、子供時代は大人時代とは異なる特別な時期であるという意見の重要性を証明している[2]。
- エリザベート・ヴィジェ・ルブランが描いたジュリー・ルブラン
- 『ジュリー・ルブラン』(1787年)、ミシェル・ダヴィッド=ワイルコレクション[14].。
- 『ジュリー・ルブランの肖像』(1792年)、パルマ国立美術館
- 『水浴びをするジュリー・ルブラン』(1792年)、個人蔵
- 『ローマ神話の花の女神フローラに扮するジュリー』、(1799年)、セントピーターズバーグ美術館。
注釈と出典
- この記事は、英語版ウィキペディアの記事「Julie Le Brunから一部または全部を引用しています。
- ↑ “Site officiel du musée du Louvre”. cartelen.louvre.fr. 2018年7月3日閲覧。
- 1 2 “Julie Le Brun (1780–1819) Looking in a Mirror” (英語). www.metmuseum.org. 2020年5月27日閲覧。.
- ↑ F. -R. Hervé-Piraux (1930) (フランス語). Trois grandes artistes : Élisabeth Vigeé-Lebrun, Rosa Bonbeur, Marie Bashkirtseff (Les Éditions Ardant ed.). p. 28
- 1 2 3 4 5 6 Wrightsman, Jayne (2005) (英語). The Wrightsman Pictures (Metropolitan Museum of Art ed.). ISBN 978-1-58839-144-5. https://books.google.co.uk/books?id=Gh_4yssGQgcC&pg=PA251&dq=Ga%C3%ABtan-Bernard+Nigris&hl=fr&sa=X&ved=0ahUKEwju5rrUwtTpAhWhdN8KHWjkC88Q6AEIKzAA#v=onepage&q=Ga%C3%ABtan-Bernard%20Nigris&f=false 2020年5月27日閲覧。 .
- 1 2 Profile in the Dictionary of Pastellists Before 1800.
- ↑ Vigée-Lebrun, Louise-Elisabeth; Haroche-Bouzinac, Geneviève (2008). Souvenirs, 1755-1842 (フランス語). H. Champion. ISBN 978-2-7453-1695-0. 2020年5月27日閲覧..
- 1 2 Hyde, Melissa (2016-07-06). “« Peinte par elle-même? »” (英語). Arts et Savoirs (6). doi:10.4000/aes.794. ISSN 2258-093X. https://journals.openedition.org/aes/794 2022年1月30日閲覧。.
- ↑ Vigée-Lebrun, Louise-Elisabeth; Haroche-Bouzinac, Geneviève (2008) (フランス語). Souvenirs, 1755-1842 (H. Champion ed.). ISBN 978-2-7453-1695-0. https://books.google.co.uk/books?hl=fr&id=ZazqAAAAMAAJ&dq=Ga%C3%ABtan-Bernard+Nigris&focus=searchwithinvolume&q=pierre+narcisse+gu%C3%A9rin 2020年5月27日閲覧。 .
- ↑ Baillio, Joseph; Vigée-Lebrun, Louise-Elisabeth (1982) (英語). Élisabeth Louise Vigée Le Brun: 1755-1842 (Kimbell Art Museum ed.). ISBN 978-0-912804-06-4. https://books.google.co.uk/books?id=XFpQAAAAMAAJ&q=Ga%C3%ABtan-Bernard+Nigris&dq=Ga%C3%ABtan-Bernard+Nigris&hl=fr&sa=X&ved=0ahUKEwju5rrUwtTpAhWhdN8KHWjkC88Q6AEISzAD 2020年5月27日閲覧。 .
- ↑ Joseph Baillio, Katharine Baetjer, Paul Lang. Vigée Le Brun (The Metropolitan Museum of Art ed.). New York. p. 167 ; titre du tableau : Count Grigory Ivanovich Chernyshev, 1793, lieu de conservation : The State Hermitage Museum, Saint Petersburg
- ↑ Baillio, Joseph; Baetjer, Katharine; Lang, Paul (2016-02-15) (英語). Vigée Le Brun (Metropolitan Museum of Art ed.). ISBN 978-1-58839-581-8. https://books.google.co.uk/books?id=YLqzCwAAQBAJ&pg=PA16&lpg=PA16&dq=Ga%C3%ABtan-Bernard+Nigris&source=bl&ots=ztzaJlw6tx&sig=ACfU3U0NDVBUkwaCMg0XJXC-oBCi6che3A&hl=fr&sa=X&ved=2ahUKEwjD84WhwdTpAhVpdt8KHawvBu8Q6AEwEHoECAkQAQ#v=onepage&q=Ga%C3%ABtan-Bernard%20Nigris&f=false 2020年5月27日閲覧。 .
- ↑ Julia Kathleen Dabbs (2009) (英語). Life Stories of Women Artists, 1550-1800 : an anthology (Ashgate ed.). p. 441 .
- ↑ Baillio, Joseph; Vigée-Lebrun, Louise-Elisabeth (1982) (英語). Elisabeth Louise Vigée Le Brun: 1755-1842 (Kimbell Art Museum ed.). ISBN 978-0-912804-06-4. https://books.google.co.uk/books?hl=fr&id=XFpQAAAAMAAJ&dq=Ga%C3%ABtan-Bernard+Nigris&focus=searchwithinvolume&q=Julie+Nigris 2020年5月27日閲覧。 .
- ↑ (英語) “Catalog Number 25”. www.batguano.com. 2020年5月27日閲覧。.