ジュリーとの自画像
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| フランス語: Madame Vigée Le Brun et sa fille 英語: Self-Portrait with Julie | |
| 作者 | エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン |
|---|---|
| 製作年 | 1786年 |
| 素材 | 板上に油彩 |
| 寸法 | 105 cm × 84 cm (41 in × 33 in) |
| 所蔵 | ルーヴル美術館、パリ |
『ジュリーとの自画像』(ジュリーとのじがぞう、仏: Madame Vigée Le Brun et sa fille、英: Self-Portrait with Julie)、または『母の優しさ』(ははのやさしさ、英: Maternal Tenderness)は、17世紀から18世紀のフランスの女性画家エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランが1786年に板上に油彩で制作した絵画である。画家が娘のジャンヌ=リュシー=ルイーズ (Jeanne-Lucie-Louise, 1780-1819年)、通称「ジュリー」とともに自身を表している。作品はヴィジェ=ルブランの希望により彼女の姪トリピエ・ル・フラン (Tripier Le Franc) 夫人から寄贈されて以来[1]、パリのルーヴル美術館に所蔵されている[1][2](pp43–46)[3]。
ヴィジェ=ルブランは、最初パステル画家であった父から絵画を習った。その後、風景画家クロード・ジョセフ・ヴェルネの強い推薦もあり、パリの王立絵画彫刻アカデミーに入会を許された数少ない女性画家の1人となる。彼女は肖像画を得意としたが、肖像画は、社会的に女性にふさわしいとされていた[4]。
まもなく影響力のあるパトロンたちの眼に留まったヴィジェ=ルブランの才能は、フランス、ロシア、オーストリア、イタリアの王室に知られるようになる。中でも、フランス王妃マリー・アントワネットは、彼女がお気に入りであった。700点ほどの肖像画を描いた彼女は当時、数少ない女性職業画家として自立した生活を送ることができた[4]が、その最も華やかな時期はフランス革命以前のアンシャン・レジーム (旧体制) 時代最後の時期である[5]。
作品
1780年代になると、ヴィジェ=ルブランは娘ジュリーを抱いた自画像を多く描くようになる。画家の自信作で1787年のサロン・ド・パリに出品された本作も、6歳の娘のジュリーを膝の上に載せた画家の姿を描いている[6]。最前景にいる母子は鑑賞者を見つめつつ、母は娘を腕に強く抱きしめているが、その仕草は目立ち、抱擁を強調している[7]。


当時は、普及していた教育思想により、家族を称える肖像が流行していた[6]。ヴィジェ=ルブランも、ジャン=ジャック・ルソーの「子供」と「母性愛」の概念に影響を受けている[3]。このような画家としてよりも母としてのヴィジェ=ルブランの姿のために、サロンでは、ラファエロの『小椅子の聖母』 (パラティーナ美術館、フィレンツェ) からの構図の借用が指摘された。本作は母子の愛を表しながらも、聖母子像に通じる伝統的な人物配置と着飾った姿、布地の繊細な表現から、サロンに出品することを意識して描かれた公的な肖像画となっている[6]。
ヴィジェ=ルブランは、歯を見せて微笑んでいる。一部の批評家は、歯を見せるのは自身の容貌を利用して鑑賞者を誘惑していると批判し、議論を巻き起こした。当時の女性画家の社会的立場はまだ弱かったため、このような論争に巻き込まれることも多かった[6]。一方、研究者のコリン・ジョーンズ (Collin Jones) によれば、歯を見せて微笑むことは、本作が描かれる以前、エリートの人物の肖像画において異例なことであったという。ジョーンズは、歯学の向上により、(ヴィジェ=ルブランのように) よい歯並びが社会的地位の表象となるにいたったと提案している[8](pp1–2)。
なお、3年後の1789年に、ヴィジェ=ルブランは、ふたたび自身を娘と表した『ヴィジェ=ルブラン夫人と娘のジャンヌ=リュシー=ルイーズ』 (ルーヴル美術館) を制作している[9]。