ジョナサン・エルリック

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フルネーム Jonathan Dario Erlich
愛称 Yoni (ヨニ)
ジョナサン・エルリック
Jonathan Erlich
2016年全仏オープンでのジョナサン・エルリック
基本情報
フルネーム Jonathan Dario Erlich
愛称 Yoni (ヨニ)
国籍 イスラエルの旗 イスラエル
出身地 アルゼンチンの旗 アルゼンチンブエノスアイレス
生年月日 (1977-04-05) 1977年4月5日(47歳)
身長 180cm
体重 78kg
利き手
バックハンド 片手打ち
ツアー経歴
デビュー年 1996年
ツアー通算 18勝
シングルス 0勝
ダブルス 18勝
生涯獲得賞金 2,827,240 アメリカ合衆国ドル
4大大会最高成績・シングルス
全英 予選2回戦(1999)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 優勝(2008)
全仏 3回戦(2004・07・08・14)
全英 ベスト4(2003・15)
全米 ベスト8(2005)
優勝回数 1(豪1)
4大大会最高成績・混合ダブルス
全豪 ベスト4(2004)
全仏 1回戦(2004-08)
全英 ベスト8(2011)
全米 2回戦(2007)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 292位(1999年10月4日)
ダブルス 5位(2008年7月7日)
2022年10月2日現在

ジョナサン・ダリオ・エルリックヘブライ語יונתן דאריו ארליך、Jonathan Dario Erlich、1977年4月5日 - )は、アルゼンチンブエノスアイレス出身のイスラエルの男子プロテニス選手。ダブルスのスペシャリストとして知られ、2008年全豪オープン男子ダブルスで同じイスラエルのアンディ・ラムとペアを組んで優勝した。身長180cm、体重78kg、右利き。

シングルスにはほとんど出場せず、ダブルスのみに活動を絞っている。ATPツアーでシングルスの優勝はないが、ダブルスで2008年全豪オープンを含む18勝を挙げている。ATP自己最高ランキングはシングルス292位、ダブルス5位。

アルゼンチンの首都ブエノスアイレスでアルゼンチン系ユダヤ人[1]の両親の長男として生まれ、1歳の時にイスラエルハイファに移住した後、イスラエルに帰化した。

3歳からテニスを始め、7歳で初めてのトーナメントに出場した。少年時代はサッカーもプレーしていたが、12歳の時に職業としてテニスを選択した。ジュニア時代はITFジュニアサーキットへの出場はあまり無かったが、唯一のグランドスラムジュニア参加大会となった1994年ウィンブルドン選手権男子ジュニアダブルスでベスト8の成績を残している。1996年にプロ入りし、2000年から男子テニス国別対抗戦デビスカップイスラエル代表選手になり、2001年後半からダブルスでアンディ・ラムとペアを組み始めた。2003年から、ラムとのペアは男子ツアーのダブルスで成績を伸ばし始め、2003年ウィンブルドン選手権男子ダブルスでヨナス・ビョルクマン/トッド・ウッドブリッジ組との準決勝に進んだ。2004年アテネ五輪男子ダブルスにも第8シードで出場し、ドイツニコラス・キーファー/ライナー・シュットラー組との準々決勝まで進出した。2005年全米オープン男子ダブルスでベスト8に進出した。

2006年にはラムとのダブルスで年間4勝を挙げ、世界ランキング上位8組のみに出場資格が与えられるATPツアー年間最終戦テニス・マスターズ・カップのダブルスにも初出場を果たし、2007年8月にはラムとともに「ユダヤ人スポーツ財団」を設立した。9月20日-23日にデビスカップ2007ワールドグループ・プレーオフが行われ、イスラエルチリを「3勝2敗」で破り、世界最上位16か国からなるワールドグループ昇格を決めた。デビスカップでは、イスラエルは「ヨーロッパ・アフリカゾーン」に振り分けられ、ワールドグループでのプレーは1994年以来となる。

2008年全豪オープン男子ダブルスでは、ラムとのダブルスで第8シードから初の決勝戦に勝ち上がり、アルノー・クレマン/ミカエル・ロドラ組を7-5, 7-6のストレートで破って初優勝した。デビスカップ2008ワールドグループ1回戦では、イスラエルスウェーデンと対戦した。ラムとは第3試合のダブルス戦に順当に勝ったが、2勝2敗で迎えた最終第5試合のシングルス戦でイスラエルハレル・レビスウェーデンヨナス・ビョルクマンに敗れたため、イスラエルはスウェーデンに2勝3敗で敗れた。9月のワールドグループ・プレーオフではペルーに4勝1敗で勝ち、ワールドグループ残留を決めた。また、ラムとは北京五輪でもダブルスでペアを組み、第3シードのイスラエル代表として2大会連続出場を果たしたが、1回戦でアルノー・クレマン/ミカエル・ロドラ組に4-6, 4-6のストレートで敗れた。9月には右肘を痛めてツアーを離脱し、手術を行った[2]

2009年4月第4週のATPチャレンジャーツアーエーゲ・テニスカップで復帰すると、デビスカップ2009準々決勝ロシア戦ではラムとのダブルスでイゴーリ・クニツィン/マラト・サフィン組に勝利し、イスラエルの準決勝進出に貢献した。同年9月にはダブルスランキングがツアー離脱前の6位タイから278位まで落ちることもあったが、アルノー・クレマンと組んでノーシードで出場した2010年全豪オープン男子ダブルスでネナド・ジモニッチ/ダニエル・ネスター組との準々決勝まで進出する好成績を収め、この活躍もあって翌2月15日付のATPダブルスランクではトップ100復帰を果たしている。

2012年ロンドン五輪で3度目のオリンピックに出場し、2回戦では前回金メダルを獲得したスイスロジャー・フェデラー/スタニスラス・ワウリンカ組に1-6, 7-6(5), 6-3で勝利し、ベスト8に進出した。準々決勝ではブライアン兄弟に6-7(4), 6-7(10)で敗れた。9月のデビスカップ2012ワールドグループ・プレーオフでは日本と対戦してイスラエルは3勝2敗で勝利し、3年ぶりのワールドグループ復帰を果たした。

普段からシングルスにはほとんど出場せず、4大大会の男子シングルスには予選も含めて一度も出場記録が無い。2010年2月時点での最後のATPツアーシングルス出場は2007年10月のリヨン・グランプリ予選1回戦でヤロスラフ・レビンスキーに6-4, 3-6, 6-7(5)のフルセットで敗れた試合が最後となっている。また、ツアーシングルス通算成績の点で見ても、6勝6敗に留まっている。

ATPツアー決勝進出結果

脚注

外部リンク

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