ジョン・カザール
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生い立ち
マサチューセッツ州リビアに生まれた[1]。父親はイタリア系アメリカ人、母親はアイルランド系のアメリカ人だった。高校はボクストン・スクール。東部の名門であるオバーリン大学とボストン大学で演劇を学び、同校を卒業した。10代の頃には後に『ゴッドファーザー』などで共演することになるアル・パチーノと親交を深めた 。
スターに
イスラエル・ホロヴィッツ(en:Israel Horovitz)の『The Indian Wants the Bronx』にアル・パチーノと共演した。同作品で、1967-1968年シーズンのオフ・ブロードウェイのオビー賞を受賞した。ホロヴィッツの『Line』での演技が映画プロデューサーのフレッド・ルース(en:Fred Roos)の目に止まり、ルースがフランシス・フォード・コッポラに推薦したことにより映画出演の足がかりをつかむ。
1972年、『ゴッドファーザー』で映画デビュー。フレド・コルレオーネ役で出演した。映画は興行、批評の双方で大きな成功をおさめ、友人のアル・パチーノ等と共に無名俳優から一躍スターダムにのし上がった。
1974年4月、コッポラが監督した『カンバセーション…盗聴…』に出演。同年12月、『ゴッドファーザー PART II』に出演。
1975年、『狼たちの午後』で再びパチーノと共演し、こちらでも自身がゴールデングローブ賞にノミネートされるなど成功を収めた。
1976年、ニューヨーク・シェイクスピア・フェスティバルで上演された舞台『尺には尺を』にメリル・ストリープと共演[2]。これがきっかけでストリープとの交流が生まれ、彼女との関係はカザールが1978年に没するまで続いた[3]。
死去
映画『ディア・ハンター』(1978年12月公開)の制作が始まっていた時には彼は既に肺癌の診断を受けていた。病気を知らされた制作者のユニバーサル・スタジオは彼の出演に難色を示したが、カザールの精力的な姿勢を尊重した監督のマイケル・チミノや共演のロバート・デ・ニーロ、メリル・ストリープらの尽力により制作は続行された。映画制作時にカザールとストリープは婚約している。
その後、治療もむなしく癌は骨にも転移。撮影終了後の1978年3月12日、封切りを待つことなく死去した。42歳没。
備考
- カザールの出演作は死後も含めて全てIMDBの選出した250本の映画作品のリストに含まれている他、アカデミー作品賞にノミネートされており、そのうち3作が受賞した。
- 2009年1月、カザールの生涯と作品を追ったドキュメンタリー映画『I Knew It Was You』がサンダンス映画祭で公開された。
出演作品
映画
| 公開年 | 題名 | 役名 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 1972 | ゴッドファーザー The Godfather | フレド・コルレオーネ | |
| 1974 | カンバセーション…盗聴… The Conversation | スタン | |
| 1974 | ゴッドファーザー PART II The Godfather Part II | フレド・コルレオーネ | |
| 1975 | 狼たちの午後 Dog Day Afternoon | サル | ゴールデングローブ賞ノミネート |
| 1978 | ディア・ハンター The Deer Hunter | スタン | |
| 1990 | ゴッドファーザー PART III The Godfather Part III | フレド・コルレオーネ | ※回想シーンとして |
テレビ
| 年 | 題名 | 役名 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 1968 | ニューヨーク警察 N.Y.P.D. | トム・アンドリュース | シーズン2 第8話 "The Peep Freak" |
| 1977 | ゴッドファーザー テレビ完全版 The Godfather: A Novel for Television | フレド・コルレオーネ | 映画『ゴッドファーザー』『ゴッドファーザーPARTII』2作のテレビ放映用再編集版。 |