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ジョン・カーワン

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生年月日 (1964-12-16) 1964年12月16日(60歳)
出身地 ニュージーランド・オークランド
身長 1.91 m (6 ft 3 in)
体重 100 kg (15 st 10 lb)
Sir John Kirwan
生年月日 (1964-12-16) 1964年12月16日(60歳)
出身地 ニュージーランド・オークランド
身長 1.91 m (6 ft 3 in)
体重 100 kg (15 st 10 lb)
学校 ド・ラサール・カレッジ(英語版)
配偶者 Fiorella Kirwan
愛称 JK
親族 ニコ・カーワン(英語版)(息子)
ジョン・アー・クオイ(英語版)(義兄弟)[1]
職業 ラグビーユニオンコーチ
ラグビーリーグでの経歴
ポジション ウイング
シニア経歴
年 チーム 出場 (得点)
1995–96 オークランド・ウォーリアーズ(英語版) 35 (52)
ラグビーユニオンでの経歴
ポジション ウイング
All Black No. 854
シニア経歴
年 チーム 出場 (得点)
1983–94
1985–89
1989–90
1997–99
マリスト(英語版)
Treviso
Thiene
NEC
?
60
?
?
(?)
(184)
(?)
(?)
州代表
年 チーム 出場 (得点)
1983–94 オークランド(英語版) 142 ()
代表
年 チーム 出場 (得点)
1984–94  ニュージーランド 63 (143)
コーチ歴
年 チーム
1999–2001
2001
2001–02
2002–05
2007–11
2012
2013–15
NEC
ブルーズ(アシスタント)
 イタリア(アシスタント)
 イタリア
 日本
バーバリアンズ
ブルーズ
更新日:  2013年11月18日

サー・ジョン・ジェイムズ・パトリク・カーワン(Sir John James Patric Kirwan、1964年12月16日 - )KNZM MBE は、ニュージーランド、オークランド出身のラグビーユニオン指導者、元ラグビーユニオン選手、元ラグビーリーグ選手。現役時代のポジションはウィング。愛称は「JK」。日本代表ヘッドコーチとしても、ワールドカップに2回(2007、2011)参加している。

ラグビーユニオン

地元のアマチュアチーム、オークランド・マリストクラブで活躍。当時オークランド州ラグビー代表セレクター(スカウト)を務めていたジョン・ハート(元オールブラックスヘッドコーチ)に見出される。NPCオークランド州代表、イタリアのラグビーチームトレヴィーゾでプレーした。

ラグビーリーグに転向してしばらくプレーした後、再びラグビーユニオンに戻り、選手生活晩年の1997年から1999年の3シーズンを日本のNECグリーンロケッツで過ごし、NECを最後に現役生活から引退した。

ラグビーリーグ

30歳の時に、カーワンは新たに設立されたラグビーリーグクラブ・オークランド・ウォーリアーズと契約した。契約年はオーストラリアンラグビーリーグ(英語版)(ARL)1995シーズンの1年で、翌年はミューチュアル・オプションとした[2]。ポジションはウイングでプレーした[3]。1996シーズンにはウォーリアーズのトップトライスコアラーとなった。

ラグビーニュージーランド代表

1984年から1994年までラグビーニュージーランド代表(オールブラックス)に選出される。1984年6月のフランス戦、当時19歳6か月でオールブラックスデビュー。オールブラックスとして通算96試合に出場(そのうちテストマッチ63キャップ)、67トライ(そのうちテストマッチ35トライ)を積み重ねる。

ラグビーワールドカップ1987(第1回W杯)でクレイグ・グリーンと同数でトライ王に輝き、優勝に貢献。開幕戦の対イタリア戦では、192センチ、92キロの巨体で90メートルを独走しラグビー史に名を残す伝説のトライを決める。ニュージーランドラグビー100周年記念ベストオールブラックスフィフティーンにも選出された。1987年秋にはオールブラックスの一員として来日しており、この来日でのテストマッチ第2戦では当時世界一の大型フィニッシャーと評価されていたカーワンの落球から日本は1つだけトライを挙げている。

ラグビー指導者

ラグビーイタリア代表ヘッドコーチ

NECチームアドバイザー、オークランド・ブルース(現在のブルース)アシスタントコーチを経て、2002年から2005年まで、ラグビーイタリア代表ヘッドコーチに就任。ラグビーワールドカップ2003で指揮を執りカナダとトンガを破りイタリアチームをヨーロッパ6強に育てた。

ラグビー日本代表ヘッドコーチ

2006年10月に日本代表アドバイザーに就任。実質的にヘッドコーチとしての職務を務め、同年11月に香港で開催された第6回ワールドカップ予選で日本代表を本大会出場に導いた。2007年1月に正式にラグビー日本代表ヘッドコーチへ就任。現ラグビー日本代表ゼネラルマネージャーの太田治が、NECグリーンロケッツ時代のチームメイトであり友人であったことがヘッドコーチを引き受ける決め手になったと話す(日本経済新聞の「交遊抄」において、カーワンは、太田と行きつけの飲み屋でラグビー談義をしたエピソードも交えて、この就任の経緯を披露した)。2007年に開催されたラグビーワールドカップではラグビー日本代表(通称:カーワン・ジャパン)を率いて出場し2勝を目標に掲げたがかなわず、一次リーグを4戦1分3敗で敗退。しかしこの大会でベスト8入りしたフィジーに4点差にまで迫り、カナダ相手にロスタイムで同点に追いつく采配が評価され同年10月26日に続投が決定した。

2008年5月には、この年から新設されたアジア五カ国対抗でチームを優勝に導き、5月末に行われたクラシック・オールブラックスとの試合では2点差での惜敗、続くパシフィック・ネイションズカップではオーストラリアA、ニュージーランドマオリ(前年までのジュニアオールブラックスに代わって、この年から加入)には大敗したものの、フィジーやサモア相手にはかなりの健闘を見せ、ホームでのトンガ戦では昨年に続く勝利をおさめた。

同年の7月に、2011年ラグビーワールドカップまで契約が延長された。2011年ラグビーワールドカップは、4戦1分3敗で、本大会一次予選で敗退。大会終了後、HCの退任を発表し、2011年12月に退任(後任は、エディー・ジョーンズ)。

バーバリアンズコーチ

2012年2月、バーバリアンズ2012年夏季ツアーコーチに内定。

ブルースヘッドコーチ

2012年7月17日、パット・ラムの後任としてブルースヘッドコーチに内定。2013年シーズンより2年契約でチームを指揮する予定。

その他

出典

参考文献

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