コールマンは1883年にナショナルリーグのフィラデルフィア・クエーカーズ(現在のフィラデルフィア・フィリーズ)でプロ野球選手としてのキャリアを始め[3]、1883年4月2日、レクリエーション・パークで行われたアマチュアチームとの球団史上初となる試合で11-0のスコアで勝利し、勝利投手となった。
5月1日にMLBデビューを果たしたが、チームはプロビデンス・グレイズ相手に3対4で敗れ、敗戦投手となった。
当シーズン、クエカーズは開幕から徐々に投手が不足することとなったため、コールマンは99試合のうち61試合と、チームの半分以上の試合で先発登板した。また、打撃面でもリーグ最低の打率.240で、守備でもミスが多かった。
結果的に、クエーカーズはシーズンを17勝81敗で終え、ナショナルリーグ最下位。コールマンは、合計65試合に登板(うち先発61、完投12)、538.1イニングを投げ、12勝48敗、防御率4.87、159奪三振を記録した[4]。
この1シーズンにおけるコールマンの記録である、48敗、772被安打、291自責点、510失点は、いずれもMLBのシーズン記録として未だ破られていない。
一方、外野手としても31試合に出場し、打率は.234だった。
1884年シーズン、 8月時点で投手として5勝15敗という結果であったため、クエーカーズから解雇された。8月後半、フィラデルフィア・アスレチックスと契約し、主に外野手としてプレーしたが、守備は上手ではなかった。投手としてもプレーし、0勝2敗だった。打席では、シーズンを通して打率.230を記録した[4]。
1885年シーズン、主に外野手として96試合に出場し、リーグの打率ランキングで8位となる打率.299とキャリアハイの成績を記録し、また、守備も向上した。投手としては8試合に登板し、2勝2敗だった[4]。
1886年シーズン、シーズン131試合に出場し、打率.254。投手としては3試合に登板し、1勝1敗であった。また、シーズン途中にピッツバーグ・アレゲニーズに移籍した[4]。
1887年シーズン、115試合に出場し、打率.293であった。この年は投手としての試合出場はなかった[4]。
1888年シーズン、116試合に出場したが、打率は.231まで低下した[4]。
1889年初頭は一度メジャーリーグを離れたが、5月にフィラデルフィア・アスレチックスに復帰。6試合に出場し、打率.053に終わったが、うち5試合に投手として登板し、3勝2敗だった。
1890年シーズンはマイナーリーグのインターナショナルリーグに所属するトロント・カナックスでプレーを始めた。外野手兼投手としてプレーし、49試合に出場して打率.280、11勝3敗の成績を残した。
同年、ピッツバーグ・アレゲニーズに復帰。2試合に登板し、0勝2敗だった。このシーズンをもってメジャーリーグを引退した。
メジャーリーグ通算成績は、打者としては、629試合、打率.257、7本塁打、279打点。投手としては、107登板、23勝72敗、防御率4.68、224奪三振であった。