エッパ・リクシー

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生年月日 1891年5月3日
没年月日 (1963-02-28) 1963年2月28日(71歳没)
エッパ・リクシー
Eppa Rixey
1912年、フィリーズ時代のウエスト・サイド・パークでの投球練習
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 バージニア州
生年月日 1891年5月3日
没年月日 (1963-02-28) 1963年2月28日(71歳没)
身長
体重
6' 5" =約195.6 cm
210 lb =約95.3 kg
選手情報
投球・打席 左投右打
ポジション 投手
プロ入り 1912年
初出場 1912年6月21日
最終出場 1933年8月5日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
殿堂表彰者
選出年 1963年
選出方法 ベテランズ委員会選出

エッパ・リクシーEppa Rixey, 1891年5月3日 - 1963年2月28日)は、アメリカ合衆国バージニア州カルペパー町出身のプロ野球選手投手)。左投げ右打ち。

ニックネームは名前に引っ掛けた"Jephtha"エフタ:古代イスラエルの士師のこと)。通算266勝を上げ、ウォーレン・スパーンが破るまで、左腕投手の通算勝利数ナショナルリーグ記録を持っていた。

バージニア大学を卒業後、1912年にフィリーズに入団。23試合に登板して10勝10敗、防御率2.50の成績を上げ、先発投手として定着する。フィリーズでは1915年にワールドシリーズに出場、翌1916年には22勝を上げ、ピート・アレクサンダールーブ・マーカードに次ぐ防御率1.85を記録した。

1918年は第一次世界大戦のため従軍し、まる1年野球をしなかった。復帰後2年ほどは負けが込んでしまい、1920年オフにフィリーズからレッズに移籍。レッズ移籍後リクシーはかつての勢いを取り戻し、1922年には25勝13敗で最多勝利投手となり復活を果たす。1930年以降は衰えを隠せなくなったが、レッズには42歳まで在籍し、その間20勝以上を3度(1922年、1923年、1925年)記録している。1933年に現役を引退。通算266勝は、当時左腕投手の勝利数のナショナルリーグ記録だった。

1959年レッズ野球殿堂入り選手となり、1963年にはベテランズ委員会によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出された。1963年シンシナティにて死去。

詳細情報

関連項目

外部リンク

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