クリフ・リー

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生年月日 (1978-08-30) 1978年8月30日(47歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
205 lb =約93 kg
クリフ・リー
Cliff Lee
フィラデルフィア・フィリーズでの現役時代
(2009年7月31日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アーカンソー州ベントン郡
生年月日 (1978-08-30) 1978年8月30日(47歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
205 lb =約93 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2000年 MLBドラフト4巡目(全体105位)
初出場 2002年9月15日
最終出場 2014年7月31日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

クリフトン・ファイファー・リーClifton Phifer Lee, 1978年8月30日 - )は、アメリカ合衆国アーカンソー州ベントン郡出身の元プロ野球選手投手)。左投左打。

2000年代後半から2010年代前半のMLBを代表する投手の1人である。

プロ入り前

短大時代の1998年ドラフト20巡目(全体609位)でボルチモア・オリオールズに指名されたが[1]、契約せず[2]、地元アーカンソー州アーカンソー大学に進学した。

プロ入りとエクスポズ傘下時代

2000年MLBドラフト4巡目(全体105位)でモントリオール・エクスポズに指名され[3]、契約[2]。まず、マイナーリーグ A級のケープフィア・クロックス英語版に所属した。

2001年マイナーリーグ A+級のジュピター・ハンマーヘッズで21試合(先発20試合)に登板し、6勝7敗、防御率2.79を記録。

2002年はマイナーリーグ AA級のハリスバーグ・セネターズで15試合に登板し、7勝2敗、防御率3.23を記録。

インディアンス時代

2002年6月27日にグレイディ・サイズモアブランドン・フィリップスリー・スティーブンスと共にバートロ・コローンの交換要員としてトレードクリーブランド・インディアンスへ移籍[2]。AA級のアクロン・ラバーダックスに所属し、ほどなくしてAAA級のバッファロー・バイソンズに昇格。9月15日にメジャーデビューを果たし、6回途中まで投げ、4四球を与えたものの、被安打2、自責点1に抑えるもチームが1点も援護できずに敗戦投手となった[4]

2003年は6月30日のダブルヘッダー第1戦でメジャー初登板し、6回2失点(自責点0)と好投したものの、すぐにマイナーリーグ降格となった。その後、8月16日から先発ローテーションに入って8試合に登板した。このシーズンは9試合に登板して3勝3敗、52.1で防御率3.61と一定の成果を挙げた。マイナーリーグでは主にAAA級バッファロー・バイソンズで登板し、そこでは11試合で防御率3.27の好成績を維持した。

2004年は開幕から好調で、5月末では10試合に登板し、5勝0敗という成績を残していた[5]。しかし、6月に入ると月間防御率が5点台にまで落ち、7月と8月は月間防御率が7点台で、6月以降の23試合で被本塁打は28本[5]。最終的にはチーム最多タイの14勝でシーズンを終えたが、防御率は5.43で、自身のキャリアで最低の与四球率4.1という不安定な内容だった。

2005年、かつては右打者を苦手としていたが、カット・ファスト・ボールで抑えられるようになった[6]。18勝(リーグ2位)5敗、防御率3.79などを記録し、サイ・ヤング賞の投票では4位だった[7]。勝率リーグ1位(.783)は球団史上、1951年のボブ・フェラー以来であった[8]

2006年、球団とリーは契約延長の交渉をスプリングトレーニング中から進めていたが、交渉がまとまらずに開幕を迎えた[9]。5月に6試合で1勝4敗と調子を崩したが、6月は5試合で4勝と持ち直し、最終的には2005年ほどの数字は残せなかったものの、チーム2位の14勝を記録した。8月には2007年から3年総額1400万ドル、4年目の2010年は800万ドルの球団オプションで契約延長した[9]

インディアンス時代のリー(2008年)

2007年、スプリングトレーニングで左脇腹を痛め、開幕を故障者リスト入りで迎えた[10]。5月3日にメジャー復帰を果たしたが、制球が悪く[10]、7月16日から26日にかけて球団史上ウェス・フェレル以来74年ぶりとなる3試合連続7自責点を記録し[11]、7月26日のレッドソックス戦では地元ファンから容赦ないブーイングを浴び[12]、翌27日にAAA級のバッファローへ降格[13]。復帰戦となった9月2日以降、リリーフとして4試合に登板してレギュラーシーズンを終えた。チームはプレーオフ進出を果たしたが、リーはロースターから外れた[8]。シーズン終了後にはトレードを噂されるようになったが、球団はリーが本調子でないことを理解しており、見返りが期待できないため放出する意向はなく残留[12]

2008年、先発投手の5番手を争う立場となった[12]スプリングトレーニングでは速球の制球力と故障をしないことを重点を置き、レギュラーシーズンを迎えた[8]。開幕から好調で5試合に先発登板した時点での被出塁率.163は99年ぶりの低い数字で、4月は防御率0.96、5勝0敗で月間最優秀投手に選出された[14]。5月7日にかけて6回の登板全てで勝利投手となり、6月9日にリーグで最初に10勝に到達した[8]。7月15日のオールスターゲームではアリーグの先発投手を務め、2回を投げチッパー・ジョーンズの1安打、無失点に抑えた。シーズン後半も勝ち星を重ね、8月には5勝0敗を記録し、2回目の月間最優秀投手に選出された。9月1日には両リーグ1番にシーズン20勝に到達し、球団史上1974年のゲイロード・ペリーの大台に到達[15]。最終的に22勝3敗、防御率2.54(最多勝最優秀防御率の2冠)、223.1回(リーグ2位)などを記録し、ロイ・ハラデイ、歴代最多62セーブフランシスコ・ロドリゲスらを抑えてサイ・ヤング賞を受賞した。カムバック賞も受賞した。

2009年は自身初の開幕投手を務めた。

フィリーズ時代

フィリーズはワールドシリーズ連覇に向け、先発投手を補強するため、ロイ・ハラデイの獲得を試みたが、交換相手で折り合いがつかず交渉は不成立に終わった[16]。その後、リー獲得に向け、ドジャースを上回るトレード要員を提示し[17]、7月29日にベン・フランシスコと共にカルロス・カラスコルー・マーソンジェイソン・ドナルドジェイソン・ナップ英語版との交換トレードでフィラデルフィア・フィリーズへ移籍した[18]。移籍後は球団史上1980年マーティ・バイストロム英語版以来となる最初の先発登板から5戦・5勝を記録[19]。自身初のポストシーズンではニューヨーク・ヤンキースとのワールドシリーズでは第1戦と第5戦に登板し、いずれも勝利投手となったが、チームは敗れて連覇とはならなかった。

マリナーズ時代

2009年12月16日にロイ・ハラデイをはじめとする4チーム、9人の絡むトレードでシアトル・マリナーズに移籍し、契約最終年を迎えることとなった。マリナーズは3人のマイナーリーグ選手を交換要員として放出した。

2010年は開幕を腹部の故障で出遅れたものの、前半戦を8勝3敗、5完投、防御率は2.34と好調だった。

レンジャーズ時代

2010年ワールドシリーズで登板したリー(レンジャーズ時代)

2010年7月9日にマーク・ロウと共に交換トレードで同地区首位のテキサス・レンジャーズへ移籍。8月6日のオークランド・アスレチックス戦でメジャー通算100勝目を達成した。また背中の故障に見舞われ失速したが、WHIPは両リーグ1位の1.00を記録。チームのプレーオフ進出に貢献した。タンパベイ・レイズとの地区シリーズでは2度先発登板し、それぞれ7回無四球10奪三振1失点、9回11奪三振1失点と好投した。ニューヨーク・ヤンキースとのリーグ優勝決定シリーズでは第3戦に先発登板し、5回二死まで無安打など、8回13奪三振無失点で勝利投手になった。しかしワールドシリーズでは、初戦は7失点で5回持たずに降板。最終戦となった第5戦でも6回まで無失点ながら7回に3点の先制点を許し、敗戦投手となった。シーズンでは12勝9敗、防御率3.18(リーグ6位)、212.1回(同10位)などを記録し、サイ・ヤング賞の投票では7位だった[20]

フィリーズ復帰

2010年シーズン終了後、FA戦線の目玉として去就が注目されていた。友人のCC・サバシアが在籍するニューヨーク・ヤンキースが大型契約で獲得するか、レンジャーズに残留するかと思われていたが、2010年12月15日、フィラデルフィア・フィリーズが5年総額1億2000万ドルでの獲得を発表した。フィリーズの契約はヤンキースやレンジャースと比べても合計契約金や契約年数も短かったが、本人が契約した理由として「お金より気分よく幸せになれて、ワールドシリーズ優勝の可能性が一番高いチームを選んだ」と語った[21]。総額ではこのオフで3番目に高額だった(カール・クロフォードの1億4200万ドル(ボストン・レッドソックス)、ジェイソン・ワースの1億2600万ドル(ワシントン・ナショナルズに次ぐ)。

2011年は17勝(リーグ4位)8敗、防御率2.40(リーグ3位)、232.2回(同4位)などを記録し、サイ・ヤング賞の投票ではクレイトン・カーショウロイ・ハラデイに次ぐ3位だった[22]。シーズン6完封は1989年ティム・ベルチャーが記録(8回)して以来22年ぶりの快挙であり、以降MLBで誰も記録したことがない。セントルイス・カージナルスとのディビジョンシリーズでは第2戦で先発したが6回5失点で敗戦投手となり、自身の登板はその1試合のみでシリーズ敗退となった。自身最後のポストシーズンでの登板となった。

2012年4月18日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦では10回無失点(102球)の好投の末、その後チームが敗れる不運があった。先発投手が延長戦でも続投したのは、MLBでは2007年アーロン・ハラングが記録して以来約5年ぶりのことであった(次に記録したのは2017年リッチ・ヒル)。5月15日のヒューストン・アストロズ戦、7月18日のロサンゼルス・ドジャース戦ではともに8回1失点で勝利投手になれなかった。このシーズンは防御率3.16(リーグ9位)、211回(同7位)と安定していたが、勝ち星に恵まれず6勝9敗に終わった。

2013年、14勝(リーグ10位)8敗、防御率2.87(リーグ6位)、222.2回(同3位)などを記録し、サイ・ヤング賞の投票では6位だった[23]

2014年ロイ・ハラデイの引退、コール・ハメルズの故障により、自身5年ぶり2度目の開幕投手を務めた。左肘の故障により13試合の登板に終わった。

2015年スプリングトレーニングで前年8月に痛めた左肘の炎症を再発し、レギュラーシーズンを全休し、マイナーリーグで登板することもなかった。オフに翌年の契約オプションを破棄され自由契約となる[24]

現役引退

2016年2月に代理人より現役続行断念が発表された[25]

選手としての特徴

  • ダイナミックなフォームから投げ降ろされる速球(フォーシーム)は、スピードが常時90-93mph(約145-150km/h)[26]で、典型的なフライボールピッチャーだった。ストレート系の失投が本塁打になりやすいのが欠点であったのが[10]、インサイドを強気で攻める投球スタイルに変えてから、2008年はゴロで打たせるケースが増え、フライによるアウトをゴロのアウトが上回り[8]、MLBを代表する左腕投手として評価を上げた。フォーシームツーシームカッターといった速球とチェンジアップナックルカーブを投げる。
  • 通算与四球率が1.9と非常にコントロールがよく、通算奪三振率が7.8とそれほど多くないこともあり、少ない投球数でテンポよく抑える。2010年は212回を投げて185奪三振に対し、与四球は僅かに18であった。1与四球あたりの奪三振数を示すK/BBは10.28という驚異的な数値を示した。
  • 打撃では通算打率.175(291打数51安打)、2本塁打、19打点、24犠打などを記録。

人物

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2002 CLE 220000100.0004410.160810601221.741.35
2003 990003300.50021052.14172012443028213.611.17
2004 333300014800.636802179.01883081111161601131085.431.50
2005 323210018500.783838202.01942252101434091853.791.22
2006 3333100141100.560882200.222429583812930114984.401.41
2007 20161005800.38544397.1112173617665073686.291.52
2008 313142322300.880891223.12141234151704068632.541.11
2009 22223127900.438641152.01651033131076053533.141.30
PHI 12123107400.63632879.28071002741035303.391.13
'09計 3434622141300.519969231.22451743151817088833.221.24
2010 SEA 13135138300.727408103.2925600892131272.340.95
TEX 15152014600.400435108.2103111221961053483.981.06
'10計 282871412900.571843212.11951618211853184753.181.00
2011 PHI 323266217800.680920232.21971842062380066622.401.03
2012 30300006900.400847211.02072628002074079743.161.11
2013 313121114800.636876222.21932232042221077712.871.01
2014 13131004500.44435281.110071201721040333.651.38
MLB:13年 3283242912121439100.61189172156.22116223464125018244129238433.521.20
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績



投手(P)












2002 CLE 212001.000
2003 91510.857
2004 3357001.000
2005 3251030.833
2006 3331810.955
2007 207512.923
2008 31161412.968
2009 2281711.962
PHI 1231211.938
'09計 34112922.952
2010 SEA 135530.769
TEX 155911.933
'10計 28101441.857
2011 PHI 3272611.971
2012 3062233.903
2013 3172811.972
2014 1348001.000
MLB 328831881812.938
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

表彰

記録

  • その他
    • シーズン奪三振/与四球:10.2778(2010年)※アメリカンリーグ記録、左投手MLB記録[29]
    • 4先発登板連続与四球無し(2010年6月)※シアトル・マリナーズ球団記録
    • 38.1イニング連続与四球無し(2010年6月)※シアトル・マリナーズ球団記録
    • 月間4完投(2010年6月)※2003年9月のロイ・ハラデイ以来

脚注

関連項目

外部リンク

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