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ジル・バイデン

アメリカの女性教育学者、アメリカ合衆国第46代大統領・ジョー・バイデン夫人 From Wikipedia, the free encyclopedia

ジル・トレイシー・ジェイコブス・バイデン(英語: Jill Tracy Jacobs Biden , 1951年6月3日 - )は、アメリカ合衆国の教育学者。第47代アメリカ合衆国副大統領・第46代アメリカ合衆国大統領ジョー・バイデンの2番目の妻でもある。2009年1月20日から2017年1月20日までアメリカ合衆国のセカンドレディの役割を担い、2021年1月20日から2025年1月20日までアメリカ合衆国のファーストレディの役割を担った。

任期 2021年1月20日 - 2025年1月20日
次代 メラニア・トランプ
概要 ジル・バイデン Jill Biden, アメリカ合衆国のファーストレディ ...
ジル・バイデン
Jill Biden

任期 2021年1月20日 - 2025年1月20日
元首 ジョー・バイデン
先代 メラニア・トランプ
次代 メラニア・トランプ

任期 2009年1月20日 - 2017年1月20日
先代 リン・チェイニー
次代 カレン・ペンス
個人情報
生年月日 (1951-06-03) 1951年6月3日(75歳)
出生地 ニュージャージー州ハモントン
配偶者
子女
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身校
職業 教育学者
政党 民主党
宗教 ローマ・カトリック[1]
署名
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生い立ち

ジル・トレイシー・ジェイコブスは1951年6月3日にアメリカ合衆国のニュージャージー州ハモントン(英語版)にて出生した(2009年の『ワシントン・ポスト』[1]などに記載されている誕生日6月5日は間違いである)[2][3]。その後に一家は移住し、ジルと彼女の4人の妹はペンシルバニア州ウィローグローブ(英語版)で子ども時代の大半を過ごした[4]。父親のドナルド・カール・ジェイコブス(1927–1999)[5]は銀行の出納係(英語版)を務め、貯蓄貸付組合の頭取に昇進した[6]。シチリア出身者を祖先に持つジルの家系の姓は元々はジャコッポであったが、途中からイギリス化をしてジェイコブスに改称した[7]。母親のボニー・ジーン・ジェイコブス(1930–2008)[5]は主婦であった[6][8]。

キャリアを求めて15歳の時にアルバイトを始めた[6]。1969年にアッパーモアランド高校(英語版)を卒業した[3]。

結婚と仕事

若かりしころのバイデン夫妻
1980年4月。バチカン市国でローマ教皇ヨハネ・パウロ2世と会見するバイデン夫妻

ペンシルベニア州の短期大学に入学したジルはファッションのマーチャンダイジングについての勉強を始めたが、満足のいくものではないことに気付き、すぐに中退した[9]。1970年2月にビル・スティーブンソンと結婚[10]。一緒にデラウェア大学に通うことを決め、英語を専攻した[9]。

それから数年してスティーブンソンはデラウェア州ニューアークのデラウェア大学近くに「ストーン・バルーン」をオープンした[10]。このバーは最も商業的に成功を収めた大学のバーの一つとなった[10]。十分なお金を稼ぐために地元の代理店のモデルを務めたりしたが、スティーブンソンとは次第に疎遠になっていった[9]。

その後にジルは大学に戻った。1975年3月に連邦上院議員ジョー・バイデンが広告に掲載されたジルの写真を見て一目惚れし、ジョーの弟のフランクは兄のために二人のブラインドデート(初対面相手とのデート)を設定した[6]。ジルは同年に文学士号を取得してデラウェア大学を卒業し[11]、高校の英語教師の道を歩み始めた[6][12]。その一方で、彼女はスティーブンソンとの大荒れの離婚訴訟を経験していた[9]。裁判では彼女が望んでいた「ストーン・バルーン」の利益の半分の分け前を受け取れていなかったとする判断が下され、1976年に終了した[9]。

1977年6月17日にバイデンとジルはニューヨークにある国際連合礼拝堂で結婚式をあげた[3][12][13]。バイデンの最初の妻と乳児の娘が自動車事故で死亡してから4年半の歳月が経過していた[3]。ジルは事故を生き延びたバイデンの幼い2人の息子であるボーとハンターの継母となることに躊躇し、バイデンが5度結婚を申し込んだ末にこれを受け入れた[14]。

妊娠中も高校教師を続け、1981年にウェストチェスター大学(英語版)(読解分野)の教育学修士を取得した[15]。同年に二人の間の唯一の子どもである娘のアシュリーが出生し、義理の息子のボーとハンターを含めた3人の子どもを育てるためにひとまず教職を離れた[16]。

その後に学校に復帰して(非英語話者向けの)英語教師・読解専門家の仕事と情緒障害の学生を指導する活動を再開した[6]。彼女は1980年代の5年間にロックフォードセンターの精神科病院で思春期プログラムの教育も担当した[3]。1987年に2つ目の学術修士をヴィラノヴァ大学(英語分野)で取得した[3]。バイデンは1988年アメリカ合衆国大統領選挙に民主党候補の一人として名乗りを上げた。この時にジルはもし自分がファーストレディになったとしても、情緒障害の子どもに教える仕事はこれまで通りに続けると述べている[17]。彼女は公立高校の教師を13年続けた[12]。

1993年から2008年まではデラウェア工科短期大学(英語版)で講師を務めた[18][19]。彼女は生徒に自信を植えつけることに重きを置き、英作文教育(英語版)やリメディアル教育を行った[18][20]。

乳がんと診断された4人の友人を持つジルは1993年にデラウェア州内の学校などに乳房の健康意識を向上させるためのプログラムを無償で提供する非営利団体「バイデン乳房健康イニシアチブ」を創設している[21]。組織は20年あまりで1万人以上の女子高生に乳がんの早期発見の重要性を強調する指導を行った[22]。2007年に低所得層の子どもたちに本を提供する「ブック・ベイビーズ」のプログラムに対する支援を行い[22]、アメリカ軍関係者とその家族を支援する「デラウェアブーツ・オン・ザ・グラウンド」でも非常に精力的に活動している[23]。週に5回、5マイル(約8km)の距離を走り、海兵隊マラソン(英語版)にも参加している[12]。

2007年1月、55歳の時にデラウェア大学で教育リーダーシップ(英語版)の教育学博士を取得した[3][22][24]。彼女の学位論文『Student retention at the community college: Meeting students' needs』のコピーはオンライン上での購入が可能である[25]。

2008年アメリカ大統領選挙に向けて

2008年8月23日。左からバラク・オバマ、ミシェル夫人とジョー・バイデン、ジル夫人(イリノイ州スプリングフィールドにて副大統領候補発表時)

2004年アメリカ合衆国大統領選挙でジョージ・W・ブッシュがアメリカ合衆国大統領に再選された後、ジルは夫に大統領選挙に再挑戦するように促した[19]。彼女は後年に、夫ならイラク戦争など状況が刻々と悪化している世情を変えることができると考えたと述べている[26]。

ジルはジョー・バイデンの2008年大統領選挙キャンペーン(英語版)期間中も教師としての務めを続ける傍ら、週末は夫のキャンペーンに参加した[19]。彼女はファーストレディになった後も肥満や喫煙の危険性、若い女の子向けの乳がんに関する知識向上と乳房自己検診の重要性など健康上の問題も含めた教育が活動の中心になると述べた[27]。また、基本的に政治に無関心なので、閣議への参加を求めるつもりはないことも述べている[19]。

バイデンが2008年アメリカ合衆国大統領選挙に民主党の大統領候補として出馬するバラク・オバマのランニングメートとなった後、ジルはキャンペーンを再開した。彼女は義理の息子のボー・バイデンのイラクへの従軍にかんがみ、「ブルースターズ・クラブ(英語版)」のピンバッジを身に着けていた[18]。洗練された政治の話はできなかったが、観衆とのつながりや感情的な共鳴によって支持を獲得することに成功した[28]。ミシェル・オバマとの共演も何度か果たした[29]。夫がアメリカ合衆国副大統領候補として名乗りを上げた後、2008年秋学期もデラウェア工科短期大学で平日は授業を行い、週末に夫と合流してキャンペーンに参加した[14][18]。

アメリカ合衆国のセカンドレディとして

第一期

2009年3月。公式ポートレート
2009年1月20日。バラク・オバマの第一期大統領就任式後の祝賀パーティーでダンスを披露するバイデン夫妻

ジルはアメリカ合衆国のセカンドレディとしてアメリカ海軍天文台敷地内のオブザーバトリー・サークル1番地(ワシントンD.C.に位置する副大統領公邸)に移住したが、彼女はワシントン地区のコミュニティ・カレッジでも教職を続けることを意図し、そのうちの数か所は彼女を採用した[30][31][32]。2009年1月にアメリカで2番目に大きいコミュニティ・カレッジであるバージニア州北部コミュニティ・カレッジ(英語版)(NOVA)のアレクサンドリア・キャンパスで非常勤教授として英語2コースを教え始めた[24][33]。ジルはコミュニティ・カレッジの公共の擁護者としての役割を担い、関連した教育政策についてオバマ政権に提言することを予定した[33]。現職副大統領の配偶者であるセカンドレディが仕事をすることは稀であり[29][31]、ジルはセカンドレディになった後もそれ以前からの有給の仕事を続ける初のセカンドレディではないかと考えられている[24]。ホワイトハウスの公式ホームページなどでは彼女は本人の好みにより、「Dr. Jill Biden(ジル・バイデン博士)」と呼ばれている[24][34]。

セカンドレディの役割を担うジルの専属スタッフチームのメンバーには連邦上院外交委員会の元顧問であるキャサリン・ラッセルがまず首席補佐官に選ばれた[35]。ハワード・ディーンとエリザベス・エドワーズ(英語版)の元スポークスパーソンであるコートニー・オドネルがコミュニケーションズ・ディレクター(英語版)に任命され[36]、法律事務所「モルガン・ルイス・アンド・バッキアス(英語版)」の弁護士を務めるキルスティン・ホワイトが政策ディレクターに任命された[37]。セカンドレディとしてジルは合わせて8人の専属スタッフを抱えており、そのオフィスはアイゼンハワー行政府ビルの一角を占めている[34]。

ジルはバラク・オバマの第一期大統領就任式直前に『オプラ・ウィンフリー・ショー』に出演してバラク・オバマがアメリカ合衆国国務長官になるかアメリカ合衆国副大統領になるかを選択する権利を夫に与えたという爆弾発言をしたため[38][39]、バイデンのスポークスパーソンは副大統領職しか打診されていないとして、これを否定する声明を発表している[39][40]。

2009年6月にニューヨーク市ブルックリン区にあるキングスボロー・コミュニティ・カレッジ(英語版)(KBCC)で卒業式のスピーチ(英語版)を行った[41]。2009年秋もNOVAで英語のリーディング&ライティング2コースの授業を続けた[42]。2010年1月にはデラウェア州の冬に卒業式がある主要な大学で卒業式のスピーチを行った[43]。2010年8月にはアメリカ軍人とその家族への関心を高めることを目的として「ライフタイム(英語版)」のテレビドラマシリーズ『アーミー・ワイフ』に自分自身の役で出演した[44]。

ミシェル・オバマのファーストレディとして初の単独外遊となった2010年4月のメキシコ訪問の旅にジルも同行した。二人は途中で予告なしにハイチに立ち寄り、同年に発生したハイチ地震による被災状況などを視察した[45][46]。2011年4月にジルとミシェルはアメリカ軍人とその家族にスポットライトを当て、その支援体制を強化することを目的とした国家主導の構想「ジョイニング・フォーシズ」を起動させた[47][48]。2011年9月に1300万人に影響を与えるアフリカの角における飢饉、戦争、干ばつによる危機的状況への人々の意識を向上させることを目的としたアメリカ合衆国国際開発庁(USAID)の国民啓発キャンペーンに参加した[49]。ジルはNOVAで教職を続けている[50]。2011年には終身雇用の准教授に任命されて週2日は英語ライティング・コンポジション3コースの授業を行っていた[51]。

バイデン夫妻はオブザーバトリー・サークル1番地に移住した後も夫婦生活や近くに住む孫たちと一緒に過ごす時間を大切にしており、公的活動よりも非公式な活動の方を優先している[52]。2012年6月に出版された子ども向けの本『Don't Forget, God Bless Our Troops』は義理の息子ボーの従軍が彼の若い家族にどのように影響を与えたかについて書いたものである[53]。同じ月にデラウェア州の青少年とその家族のためにソーシャルワーカーとして働く実の娘アシュリー・ブレイザーが結婚した[54]。

ジョー・バイデンが副大統領の再選を狙って2012年アメリカ合衆国大統領選挙に出馬したが、ジルは人前での話と政治の話の両方を嫌っているため、選挙キャンペーンには控えめに関与した[55]。コミュニティ・カレッジの授業スケジュールは削減せず、キャンペーンに姿を見せないことが何度かあった[55]。

第二期

2013年1月のバラク・オバマの第二期大統領就任式(英語版)後の舞踏会にはヴェラ・ウォンが手がけたシルクの青いガウンを身にまとって出席した[56]。

セカンドレディとして第二期に入った後も切断患者のためのリハビリテーション施設「イントレピッドセンター(英語版)」を何度も訪問したり、ロンドンで開催の「インヴィクタス・ゲーム(英語版)」の開会式に出席するなど、アメリカ軍人とその家族に対する支援を続けている[57]。2014年アメリカ合衆国中間選挙(英語版)中は注目度の高い選挙戦が繰り広げられたコロラド州のマーク・ユーダル(英語版)とジョージア州のミシェル・ナン(英語版)を含む多くの民主党候補のためにキャンペーンに積極的に関与した[58][59]。

ジョー・バイデンが2015年10月21日にホワイトハウスのローズガーデン(英語版)で、同年5月に長男ボーが脳腫瘍で亡くなった悲しみがまだ癒えていないことを理由に2016年アメリカ合衆国大統領選挙への不出馬を表明したとき、バラク・オバマとともにその記者会見の場に立ち会った[60][61]。夫が大統領にふさわしい人物だと確信するジルはその後のインタビューで「最高の大統領になれたでしょう」と話し、彼の決定に失望を隠すことができなかった[62]。

ジルはNOVAでの授業を続け、2015年秋の英語5コースをすべて引き受けた[63]。 2016年は夫ががんの撲滅を目指し、主導するプロジェクト「がん月打ち上げ2020(英語版)」のリスニングツアーに同行した[64]。2016年3月に1年間のISS滞在(英語版)から地球へ帰還したアメリカの宇宙飛行士スコット・ケリーを大勢のNASA職員らとともに出迎えた[65]。

アメリカ合衆国のファーストレディとして

2021年1月20日、夫のジョーが前年の大統領選挙で2期目を目指した現職のドナルド・トランプ(共和党)を破り当選を果たして第46代アメリカ合衆国大統領に就任した事に伴い、メラニア・トランプの後任としてアメリカ合衆国のファーストレディに就任した。

2021年7月23日に東京オリンピックスタジアム(国立競技場)で行われた2020年東京オリンピックの開会式に米国政府代表団団長として参列するため単独訪日。22日に東京都のアメリカ空軍横田飛行場(横田基地)に到着後、同日夜に赤坂迎賓館で菅義偉内閣総理大臣・真理子夫人主催の夕食会に参加し、皇居で他国の政府代表らとともに今上天皇に面会した[66][67]。

2023年5月6日にイギリス・ロンドンのウェストミンスター寺院で行われた同国及び英連邦王国国王チャールズ3世と王妃カミラの戴冠式に参列するため訪英。前日の5日、ロンドンでリシ・スナク英首相の妻アクシャタ・ムルティ夫人と会談し、バッキンガム宮殿での国王チャールズ3世主催のレセプションに出席した。義理の孫娘フィネガン・バイデン(Finnegan Biden)とジョン・フォーブズ・ケリー気候問題担当大統領特使(英語版)の同伴で、夫の名代かつ米国代表として参列した[68][69]。同年9月4日には新型コロナウイルスの感染したことがホワイトハウスから発表された[70]。

その後

2026年に回顧録を出版。回顧録では、ジョー・バイデンが大統領選討論会の中で、言い間違いや言葉に詰まる場面を連発したことについて「脳卒中を起こしたのかと思った」として素直な感情をつづっている[71]。

著書

  • Don't Forget, God Bless Our Troops(Simon & Schuster, 2012、ISBN 978-1442457355)
  • Where the Light Enters(Flatiron Books, 2019、ISBN 978-1250182326)
  • Joey: The Story of Joe Biden(Simon & Schuster, 2020) 絵本
  • Willow the White House Cat(Simon & Schuster, 2024) 絵本

脚注

参考文献

外部リンク

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