スルツェイ島
アイスランドの島
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概要
歴史
- 1963年
- 11月14日 - アイスランド南西海域付近で操業中の漁船が硫黄臭に気付き、午前7時に噴煙を確認。
- 11月15日 - 海上に新島を確認。
- 12月6日 - フランスの週刊誌記者が上陸。この事件をきっかけに新島を「Surtsey」と命名。
- 12月16日 - 科学者による初上陸。
- 1964年
- 1月 - たびたびの噴火で標高173メートルを記録。
- 2月2日 - 第二火口が形成され、第一火口の活動が停止。
- 4月 - 4月までに新島の周囲は1.7キロメートルに達する。
- 4月4日 - 地上に出現した第二火口から溶岩の湧出が始まる(29日まで)。
- 7月9日 - 溶岩の湧出が再開(翌年1965年4月まで)。
- 1965年
- 5月 - アイスランド政府が聖域宣言。入島は許諾制となる。Surtsey Research Society(スルツェイ島研究学会)が設立される。
- 1967年
- 6月4日 - 火山活動が停止。
- 2008年
- 7月8日 - 第32回世界遺産委員会でアイスランド初の自然遺産として登録された。
スルツェイ式噴火
動植物の定着と人間の入島規制
スルツェイ島はベストマン諸島の南方20キロメートルにある孤立した陸地で、全くの荒れ地から始まった土地に植物や動物が繁殖してゆく順序やきっかけを調査する貴重な研究拠点となっている[2]。
植物はほとんどが海鳥が持ち込んだものである。噴火1年後にカビ、細菌、菌類が出現し、2年後の1965年に維管束植物の生育が初めて観察され、10年後には10種の維管束植物が見られた[3]。灌木が現れたのはようやく1998年になってからだった[2]。2004年には75種のコケ植物、71種の地衣類、24種の菌類と60種の維管束植物が見られた[3]。
海鳥が島に群れを作るようになったのは1970年頃からで、最初にフルマカモメとハジロウミバトが留鳥として住みついた。海鳥の大量のフンにより、溶岩と火山灰からなる荒れた島の土壌は、次第に植物の生育に適したものに変えられていった[2]。アザラシの繁殖が始まったのは1983年である。2004年には89種の鳥類および335種の無脊椎動物が見られた[3]。
スルツェイ島での活動は、アイスランド環境・食品庁に代わりスルツェイ島研究学会が監督しており、学会から許可を得た科学者以外はスルツェイ島と周辺海域への立ち入りはできず、島への有機物や鉱物や土砂の持ち込みも、廃棄物投棄も、島の自然を妨げる狩猟などの行為も厳重に禁止されている[2]。島にある建物は、研究者用の簡素なプレハブ小屋1棟のみである。
神話との関わり
「スルト」とは、北欧神話に登場する、炎の剣を振りかざして南から神々に襲いくる巨人の名である。島の名付け親となった地質学者シーグルズル・ソゥラリンソンは、まさにアイスランドの南の海上で炎を吹き上げる様子からこの名を提案したが、このことが、神話を現在に伝える『詩のエッダ』や『散文のエッダ』がその内容に火山活動からの影響を受けていることを一般に知らしめた。
1965年6月にはスルツェイ島の浜辺に植物が生えているのが発見され、今日では緑に覆われて、アザラシや海鳥も集まる自然の楽園となっている。スルツェイ島出現以前にも新しく生まれた火山島でみられてきたこうした出来事が、『エッダ』で語られている、スルトの火焔によって焼かれて海に沈んだ大地が再び浮かび上がり、そこでは種を蒔かずとも穀物が実る、という描写として記録されたと考えることもできる[4]。

