セリーヌ・ディオン
カナダの女性歌手 (1968-)
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人物
カナダ人歌手として史上最多売上記録を持つほか、全世界での総売上枚数は2億枚を超えている[2][3][4]。1990年代には、「ビコーズ・ユー・ラヴド・ミー」や、1997年公開の映画『タイタニック』の主題歌になった「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」の世界的大ヒットなどで、ディオンは英語圏、フランス語圏におけるポピュラーミュージック界で有名となった。
1991年に母国カナダ最大の音楽賞ジュノー賞で年間最優秀女性ヴォーカリストを受賞して以降、1999年まで同賞20冠の最優秀タイトルを獲得している。全米では『FALLING INTO YOU』で最優秀アルバム賞、「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」で最優秀レコード賞など計5回のグラミー賞を受賞している[5]。ニールセン・サウンドスキャンの集計で、ディオンは全米で2番目に売れた女性アーティストであり、『FALLING INTO YOU』と『レッツ・トーク・アバウト・ラヴ』はいずれもアメリカ国内でダイアモンドに認定されているほか、イギリスでは売り上げが100万枚を超えるシングルが2枚ある唯一の女性アーティストでもある[6]。また、1995年のアルバム『フレンチ・アルバム』は、フランス語アルバムとしては史上最多売上枚数を記録した[7]。全世界におけるアルバム売上枚数が1億7500万枚を上回った直後の2004年、ディオンは最多売上枚数の女性アーティストを決めるワールド・ミュージック・アワードでショパールダイヤモンド賞を受賞している[8][9]。
ディオンが曲を発売するたび、その圧倒的な声量と技術的に卓越した歌唱力が評価の対象となっている[10][11][12]。
その音楽は、ポップス、ロック、R&B、ソウルのほかに、ゴスペル、クラシックなど幅広いジャンルに影響されていて、ファンや評論家にはディオン自身の声、歌詞の持つ本来の意味を歌い上げる能力などが高く評価されている。
もともとフランス語が母語であるが、英語も日常的に使っている。
名前の正式な表記はフランス語のアクセント符号(アキュート・アクセント)を用いた「Céline」であるが、アクセント符号の文化がない英語圏などでは「Celine」という表記も併用されている。
来歴
カナダ東部のケベック州はフランス系移民(フランス系カナダ人)の多い地域であり、フランス語(カナダ・フランス語)が公用語となっている。1968年、ディオンはそのケベック州のシャルルマーニュ(モントリオール郊外)で、14人兄弟の末っ子として生まれた。
幼少より、たぐいまれな歌の才能を発揮した。その才能を早くから見抜いたのがルネ・アンジェリルで、のちにディオンの音楽マネージャー、さらにはディオンの夫となる人物である。アンジェリルはディオンの才能に惚れ込み、自宅を抵当に入れてまでディオンのデビューアルバムの発売資金を調達するなどして、尽力した。
キャリア
ディオンはさまざまなジャンルの音楽の影響を受け、12歳でプロとしてデビューした。
1980年代

1981年にフランス語のファースト・アルバムを発売。ファーストアルバム発売後、数多くのツアーの誘いがあったにもかかわらず、アンジェリルは「この才能をつぶすわけにはいかない」という理由ですべての依頼を断った。
1982年、「第13回ヤマハ世界歌謡音楽祭」出場のために初訪日し金賞を獲得した。1984年にはパリのオランピア劇場に最年少で出演。
1980年代初頭に多くリリースしたフランス語アルバムに続き、1986年にはCBSレコードカナダと契約した。1987年の8枚目のアルバム『INCOGNITO』(インカニート)は地元ケベック州で大ヒットとなり、音楽関係者にその存在を知られるようになった。1988年のユーロビジョン・ソング・コンテストで「スイス代表」として出場し、スイス勢32年ぶりの優勝を勝ち取るなど、数多くの国際コンテストの賞を総なめにした。このようにして 1980年代には国際的な認知を得はじめていた[13][14]。
ディオンはフランス語圏(カナダ・フランス語)の出身であったことから、カナダで活動していた当時は簡単な会話すらできないほど英語が不得手であったものの、その後英語を猛勉強し流暢に話せるまでになった。
1990年代
ディオンは最初の英語のアルバムのレコーディングのために、デイヴィッド・フォスターとともにロス・アンジェルス(L.A.)に居を移した。なおこの時点で、ディオンはL.A.に知り合いがひとりもいない状態だった[注 1]。
1991年に初の英語アルバム『ユニゾン』を発売し、世界的スターへの道を歩みはじめる。 1992年にはアルバム『Celine Dion』を発売。
1991年の『美女と野獣』(上述の『Celine Dion』にも集録)、1997年の『タイタニック』など、数多くの映画にサウンドトラックを提供し、また1996年のアトランタオリンピックの開会式で『パワー・オブ・ザ・ドリーム』を歌った。
1994年、初の訪日公演。12月17日にアンジェリルと結婚。
日本ではフジテレビの1995年のドラマ『恋人よ』の主題歌に使われた「トゥ・ラヴ・ユー・モア」が130万枚以上を売り上げる大ヒットとなった。この曲にはクライズラー&カンパニーが参加した(この縁で1996年からのワールドツアーに3年間、葉加瀬太郎が参加[15])。
1995年に発売されたフランス語アルバム『フレンチ・アルバム』がフランス国内で400万枚を超える売上となり、歴代最高売上記録となる。この功績により翌年1996年にフランス政府より芸術文化勲章を授与される。
1997年、2度目の来日公演、全国6都市10公演のアリーナツアー。同年のアルバム『レッツ・トーク・アバウト・ラヴ』からはビー・ジーズが楽曲提供した「イモータリティ」がヒット。

1998年、ケベック国家勲章(National Order of Quebec)、カナダ勲章(Order of Canada)を受勲。ビー・ジーズのラスベガス公演にゲスト出演。
1999年、3度目の来日公演、全国3都市5公演のドームツアー。ベストアルバム『ザ・ベリー・ベスト』発売と同時に活動休止を発表。
1990年代にはアンジェリルのマネージメントのもと、エピック・レコードとの契約、英語アルバムやそれまでと同様にフランス語アルバムのリリースを経て世界的な名声を獲得し、ポップミュージックの歴史上もっとも成功したアーティストのひとりとなっていた[16][17]。しかし人気絶頂であった1999年、自身の出産や、癌を患っていた夫との時間を大切にしたいとの理由から芸能活動の休止を発表した[17][18]。
2000年代
2002年には活動を再開し、アルバム『ア・ニュー・デイ・ハズ・カム』で復帰。2003年からはネバダ州パラダイス(ラスベガス都市圏の一部)のシーザーズ・パレスコロシアムにおいて専用の劇場ショーを契約し、New Day... Live in Las Vegasという定期公演を毎晩3年間(のちに2007年までに延長)にわたって継続した[19][20][21]。

2005年1月6日、スターの名前を刻んだハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに2,244人目の仲間入りをした。このときの全世界でのセールスは1億5千万枚。
2007年1月、アメリカの経済誌『フォーブス』がエンターテイメント界で活躍する女性で資産の多い女性トップ20を発表し、総資産303億円で第5位にランクインした。2007年11月7日、アルバム『Taking Chances』を日本先行でリリース。

2008年2月14日から10年ぶりとなるワールドツアー『Taking Chances』を行なった。2008年には9年ぶりとなる4度目の来日公演(東京・大阪で全4公演のドームツアー)を行なった。
2008年から現在に至るコンサートでは、尊敬するクイーンのフレディ・マーキュリーへのトリビュートとして「ウィ・ウィル・ロック・ユー」と「ショウ・マスト・ゴー・オン」を歌っている。
2010年代
出産のわずか5ヶ月後、2011年3月15日よりシーザーズ・パレス・ホテルの特設コロシアムにて2度目の長期公演「セリーヌ」を開始。2019年6月8日まで計1,141回行なわれた[22]。

2014年11月11日から19日に5度目の訪日公演が予定されていたが、マネージャーでもある夫の看病や家族との時間に専念するため、またディオン本人も喉に炎症が起きる病気を患い完治していなかったため、全公演中止となった。これに伴い、7月29日以降ラスベガスで予定されていた公演の無期限中止、アジアツアーの全日程も中止となった[23]。
2015年8月27日、ラスベガスのシーザーズ・パレスのショーから復帰[24]。
2016年1月14日に夫のアンジェリル、その2日後の16日には兄のダニエルを癌により相次いで亡くす[25]。この頃からディオンは健康不安説が囁かれるほど急激に痩せ細っており、その姿が度々メディアでも取り上げられるようになる[26]。
2020年代

2020年1月16日、セリーヌの歌手としての才能を見出した母・テレーズが死去。セリーヌはワールドツアー『Courage』の真っ只中であり翌17日にもマイアミでの公演を控えていたが、モントリオールで兄弟たちと共に母の最期を看取ったあとその足でマイアミへ飛び予定どおり公演を行った。
2022年12月8日、痛みを伴う筋肉の硬直や痙攣などの症状が出る難病「スティッフパーソン症候群」と診断されたことを明らかにし、翌年のツアーの延期や中止を発表した[28]。
2024年7月26日、パリオリンピック開会式の最後にエッフェル塔の特設ステージからエディット・ピアフの『愛の讃歌』をフランス語で歌唱。闘病公表後初めて公の場に姿を見せ、式典を締めくくる圧巻のパフォーマンスを披露した[29]。
2026年3月30日、58歳の誕生日を迎えたこの日に自身のインスタグラムへメッセージ動画を投稿。同年9月に開催されるパリ公演でコンサート活動に復帰することを発表した[30]。
ディスコグラフィ(抜粋)
英語スタジオアルバム
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フランス語スタジオアルバム
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シングル
| 年 | シングル | 最高位 | |||
|---|---|---|---|---|---|
| 加 | 米 | 英 | 日 | ||
| 1990 | 「哀しみのハートビート」 | 6 | 4 | 72 | — |
| 1992 | 「イフ・ユー・アスクト・ミー・トゥ」 | 3 | 4 | 57 | — |
| 「ビューティー・アンド・ザ・ビースト〜美女と野獣」 (ピーボ・ブライソンとのデュエット) | 2 | 9 | 9 | — | |
| 1993 | 「パワー・オブ・ラヴ」 | 1 | 1 | 4 | — |
| 「ジギィ」 | — | — | — | — | |
| 1994 | 「シンク・トワイス」 | 14 | 95 | 1 | — |
| 1995 | 「トゥ・ラヴ・ユー・モア」 with クライズラー&カンパニー | — | — | — | 1 |
| 1995 | 「愛をふたたび」 | — | — | 7 | — |
| 「私は知らない」 | — | — | — | — | |
| 1996 | 「ビコーズ・ユー・ラヴド・ミー」 | 1 | 1 | 5 | — |
| 「イッツ・オール・カミング・バック・トゥ・ミー・ナウ」 | 2 | 2 | 3 | — | |
| 1997 | 「オール・バイ・マイセルフ」 | — | 4 | 6 | — |
| 「愛を伝えて〜Tell Him」 (バーブラ・ストライサンドとのデュエット) | 12 | — | 3 | — | |
| 1998 | 「ザ・リーズン」 | — | — | 11 | — |
| 「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」 | 14 | 1 | 1 | 34 | |
| 「イモータリティ」(ビー・ジーズとのデュエット) | — | — | 5 | — | |
| 「アイム・ユア・エンジェル」 (R・ケリーとのデュエット) | 37 | 1 | 3 | — | |
| 「愛するだけでよかったら」 | — | — | — | — | |
| 2000 | 「アイ・ウォント・ユー・トゥ・ニード・ミー」 | 1 | — | — | — |
| 2001 | 「風に吹かれるままに」 (ガルーとのデュエット) | — | — | — | — |
| 2002 | 「ア・ニュー・デイ・ハズ・カム」 | 2 | 22 | 7 | — |
| 2003 | 「アイ・ドローヴ・オール・ナイト」 | 1 | 45 | 27 | — |
| 「男たちの金すべて」 | 2 | — | — | — | |
| 2005 | 「あなたを忘れない」 | — | — | — | — |
| 2007 | 「愛のうた」 | — | — | — | — |
| 「Taking Chances」 | — | 54 | — | — | |
ツアー
| 年 | ツアー名 | 音源 |
|---|---|---|
| 1983年 - 1984年 | Les chemins de ma maison tournée | なし |
| 1985年 | C'est pour toi tournée | ビニールレコード Céline Dion en concert |
| 1988年 | Incognito tournée | なし |
| 1990年 - 1991年 | Unison Tour | VHS Unison |
| 1992年 - 1993年 | Celine Dion Tour | なし |
| 1994年 - 1995年 | The Colour of My Love Tour | DVD、VHS The Colour of My Love Concert; CD À l'Olympia |
| 1995年 | D'eux Tour | DVD、VHS Live à Paris; CD Live à Paris |
| 1996年 - 1997年 | Falling into You Tour | VHS Live in Memphis |
| 1998年 - 1999年 | Let's Talk About Love Tour | DVD、VHS Au cœur du stade; CD Au cœur du stade |
| 2003年 - 2007年 | A New Day... | DVD Live in Las Vegas - A New Day...; CD A New Day... Live in Las Vegas |
| 2008年 - 2009年 | Taking Chances Tour | なし |
来日公演
- 1995年 The Colour of My Love Tour
- 12月5日・6日 中野サンプラザ、12月8日 名古屋CLUB QUATTRO、12月9日 尼崎アルカイックホール、12月10日 渋谷公会堂
- 1997年 Falling Into You World Tour 1997 with special appearance with Tato Hakase
- 2月2日 横浜アリーナ、2月3日 日本武道館、2月6日・7日 大阪城ホール、2月10日 広島グリーンアリーナ、2月11日 マリンメッセ福岡、2月14日・15日・16日(追加公演) 日本武道館、2月19日 名古屋レンボーホール
- 1999年 LET'S TALK ABOUT LOVE WORLD TOUR
- 2008年 TAKING CHANCES WORLD TOUR 2008[31]
- 3月8日・9日 東京ドーム、3月11日・12日 京セラドーム大阪
- 2014年 CELINE DION Japan Tour 2014[32][33]
11月11日 ナゴヤドーム、11月14日 京セラドーム大阪、11月18日・11月19日 東京ドーム- 全公演中止。夫のレネ氏の咽頭がん手術以降の看病や家族との時間に専念するため、またセリーヌ本人も喉に炎症が起きる病気を患い、回復が遅れているため、7月29日以降ラスベガス公演以降の公演がキャンセルを余儀なくされた[34]。
- 2018年 CELINE DION JAPAN LIVE 2018[35]
- 6月18日 東京ドーム
関連した作品
2021年、フランスの女優、映画監督のヴァレリー・ルメルシェがディオンの半生をモチーフにしたフィクション映画『ヴォイス・オブ・ラブ』(原題: Aline)をリリースした[36][37]。
2024年、AmazonMGMスタジオ から自身のドキュメンタリー映画『I am(I Am: Celine Dion )』とサウンドトラック『I am:Celine Dion』が公開。Amazon Prime Videoで視聴ができる。