セーニ (イタリア)

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セーニ
Segni
セーニの風景
行政
イタリアの旗 イタリア
ラツィオ州の旗 ラツィオ
県/大都市 ローマ
CAP(郵便番号) 00037
市外局番 06
ISTATコード 058102
識別コード I573
分離集落 Pantano
隣接コムーネ #隣接コムーネ参照
公式サイト リンク
人口
人口 8976 人 (2024-01-01 [1])
人口密度 147.1 人/km2
文化
住民の呼称 segnini
守護聖人 San Bruno
祝祭日 7月18日
地理
座標 北緯41度41分 東経13度01分 / 北緯41.683度 東経13.017度 / 41.683; 13.017座標: 北緯41度41分 東経13度01分 / 北緯41.683度 東経13.017度 / 41.683; 13.017
標高 668 (187 - 1378) [2] m
面積 61.03 [3] km2
セーニ (イタリア)の位置(イタリア内)
セーニ (イタリア)
セーニの位置
ローマ県におけるコムーネの領域
ローマ県におけるコムーネの領域
イタリアの旗 ポータル イタリア
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セーニ: Segni)は、イタリア共和国ラツィオ州ローマ県にある、人口約9,000人の基礎自治体コムーネ)。

現代のイタリア語以外の言語では、以下の名称を持つ。

地理

位置・広がり

ローマ県南東部のコムーネ。

隣接コムーネ

隣接するコムーネは以下の通り。カッコは県名略記号

気候分類・地震分類

セーニにおけるイタリアの気候分類 (it) および度日は、zona E, 2331 GGである[4]。 また、イタリアの地震リスク階級 (it) では、zona 2B (sismicità media) に分類される[5]

歴史

古代ローマの資料によると、紀元前6世紀王政ローマの第7代王タルクィニウス・スペルブスは、この地にローマの植民都市を建設し、のちにシグニアと呼ばれるようになった[6]紀元前495年に追加の植民者が送られたと記録されている[7][8]

古代の建築は、主に共和制時代にさかのぼるものが残っている。これには、多角形の石積みを使用して建てられた防壁も含まれる。防壁には、巨石を軒縁 (architrave) に用いた Porta Saracena などの城門のシステムが組み込まれている。セーニの古代アクロポリスの頂上には、ユーノーモネータの寺院の基壇が残っており、中世(10世紀)に築かれた聖ペテロ教会を支えている。

セーニは、12世紀半ばに王宮を建てた教皇エウゲニウス3世をはじめ、さまざまな教皇たちが避難所として用いた。オルシーニ家の宿敵であるマルシ伯爵家 (Counts of Marsi) は、12世紀にセーニを獲得し、コンティ家イタリア語版(コンティ・ディ・セーニ家)と呼ばれるようになった一族からは、数人の教皇(インノケンティウス3世グレゴリウス9世アレクサンデル4世)と多くの枢機卿を輩出した。

1558年、教皇パウルス4世と戦っていたアルバ公フェルナンド・アルバレス・デ・トレドの軍隊によってセーニは略奪された。カンパーニャ (it:Campagna e Marittima) の他の町の住民も逃げ出したため、膨大な戦利品が捕獲された。

行政

山岳部共同体

広域行政組織である山岳部共同体イタリア語版 XVIII Comunità dei Monti Lepini  (it) に属する。

人物

脚注

外部リンク

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