ゾーゾー (実業家)

From Wikipedia, the free encyclopedia

国籍 ミャンマー
別名 ピョーゾー(Phoe Zaw)
マックス・ゾーゾー(Max Zaw Zaw)
ゾーゾー
ဇော်ဇော်
ゾーゾー(2020年)
生誕 (1967-08-22) 1967年8月22日(58歳)
エーヤワディー地方域, ミャンマー
国籍 ミャンマー
別名 ピョーゾー(Phoe Zaw)
マックス・ゾーゾー(Max Zaw Zaw)
出身校 ヤンゴン大学
職業 マックス・ミャンマー・グループ会長
配偶者 タイタイナイン(Htay Htay Khaing)
子供 イェマンゾー(Ye Mann Zaw)、エインムゾー(Eaint Hmu Zaw)
テンプレートを表示

ゾーゾー(ぞーぞー、ビルマ語: ဇော်ဇော်英語: Zaw Zaw)は、ミャンマーの実業家で、企業グループ・マックス・ミャンマー・グループの会長である[1]

ゾーゾーは、エーヤワディー地方域チョンピョー県イェージー郡区で、6人兄弟の末っ子として生まれた。父親は公務員、母親は自宅で食料品や日用品を売っており、家計は決して裕福ではなかったのだという[2]

ヤンゴン大学で数学を学んでいたが[3]、大学の最終学年だった1988年に8888民主化運動に参加。政府の弾圧を逃れ田舎で4ヶ月間潜伏した後、シンガポールで船員の仕事を見つけた。その後6年間、ゾーゾーは月給200米ドルの甲板員として、オーストラリア、香港、イラン、台湾、日本、そしてアフリカに渡り、英語を習得。同時に、他国の発展を目の当たりにして、自国の貧困と抑圧を恥じるようになったとされている[2]

その後、ゾーゾーは8,000米ドルの貯金を携えてバンコクへ渡ったが、その大半を友人とナイトクラブで浪費してしまった。最終的に手元に残った650米ドルで日本行きの航空券を購入し、日本へ渡航した[2]

事業

東京で、ゾーゾーは、コック、皿洗い、ウェイターの3つの仕事を掛け持ちし、日本語を習得。やがてビジネスを始めようと決意し、イエローページをめくって、片っ端から中古車販売店に電話をかけたが、その中の1つがマックス・トレーディング社だった。ゾーゾーは同社のオーナーと親しくなり、日産のセダンを購入して友人たちに販売し始めた。これが、マックス・ミャンマー・グループの始まりである[2]

その後、ミャンマーその他の開発途上国へ中古車を輸出する事業も開始した。その際、ゾーゾーは、海外在住のミャンマー人1人につき自動車を1台輸入できるというミャンマーの法律を利用して、他のミャンマー人から輸入許可証を1枚約500ドルで買い集めたとされている[2]

また、日本滞在中にタイタイナインと出会って結婚した。彼女はもともと、ゾーゾーから中古車を購入した顧客であったとされている[2]

1995年、ゾーゾーは妻とともにミャンマーへ帰国し、中古車輸入業を、日本からのバス輸入や発電機などの機械類の輸入へと拡大した。その過程で、国家法秩序回復評議会(SLORC)および国家平和発展評議会(SPDC)関係者との人脈を築き、農業、セメント、製造業、エネルギー、トレーディング、建設、銀行、保険、ホテル、物流、高速道路の管理・運営など、幅広い分野へ事業を多角化させた。これにより、ゾーゾーは「クローニー」あるいは「タイクーン」と称されるミャンマー有数の富豪の1人となった[2]

SLORC/SPDCおよび国軍との関係を問われたゾーゾーは、違法行為への関与を否定し、「私は誰とでも友達になれる」と答えている。しかし、彼が軍政から恩恵を授かっているのは紛れもない事実であるとも指摘されており、ネピドーにロイヤル・クムドラ・ホテルを建設した際には、ゾーゾーはSPDCから1枚18万米ドル相当の自動車輸入許可証を10枚を受け取ったとされる。また、2010年に約300の国有資産が売却された際も、ゾーゾーは銀行免許とセメント工場を取得したとされる[4]

2009年、建設プロジェクトにおいてSPDCを支援する重要なサービスを提供してきたことを理由に、ゾーゾーおよびマックス・ミャンマー・グループの8社、そして、マックス・シンガポール・インターナショナル社が、アメリカ財務省の経済制裁の対象となった[5]。しかし、2016年に国民民主連盟(NLD)政権が成立した際、経済制裁は解除された模様である[6][7]

一方、ゾーゾーはアウンサンスーチーとも親密な関係を築いていており、ミャンマーサッカー協会会長として、スーチーを試合に招待し、2人で記念撮影を行ったことがある。ただ、この行為により、スーチーは裏切り者の非難を浴びた[4]

ゾーゾーは、政府系プロジェクトから民間事業への転換を目指しているとされ、地域を代表するブランド力を有する企業グループの構築を目標としていると述べている。ミャンマーの企業家としては珍しく、企業の社会的責任と説明責任に理解があると評されている[2][8]

スポーツ

サッカー

ゾーゾーは、2005年からミャンマー・サッカー連盟(MFF)会長を務めており、2024年にも再選された。任期は2028年までである[9]ヤンゴンマンダレーにサッカー・アカデミーを設立し、特に女子サッカーの育成・振興に力を入れているとされる[10]。ヤンゴンでワールドカップを開催するのことが夢と語っている[11]

また、ASEANサッカー連盟(AFF)で複数の役職を務め[12]、2019年からはアジアサッカー連盟(AFC)の副会長も務めている[13]

2024年に来日し、日本サッカー協会(JFA)とパートナーシップ協定を締結した[14]

さらに、2025年には国際サッカー連盟(FIFA)サッカー社会的責任委員会の委員長に就任した[15]

テニス

2002年から2005年までびミャンマー・テニス連盟(MTF)会長を務めた[16]

慈善事業

ゾーゾーは慈善事業にも熱心に取り組んでおり、自ら設立したエーヤワディー財団(Ayeyarwady Foundation)という慈善団体を通じて、保健、教育、災害、スポーツ振興などの分野で慈善事業を行っている[17]

2017年のロヒンギャ危機の際には、ラカイン州復興のために23億3000万チャット(170万米ドル)を寄付したと報じられている[11]

2019年からのCOVID-19危機においては、ワイバギ病院およびヤンキン小児病院に対し、約6億チャット(約50万米ドル)相当の医療支援を提供し、隔離体制の整備や医師・看護師への宿泊、食料、交通手段の支援を行った。また、新型コロナウイルス検査用の防護室を寄付するなど検査体制の強化にも貢献し、ミャンマーの感染症対策全体で総額14億4,000万チャット(約100万米ドル)を拠出したと報じられている[18][19]

報道によれば、2020年までに800億チャット(5,600万米ドル)以上の寄付をしたとされる[19]

栄誉

脚注

関連項目

Related Articles

Wikiwand AI