ミャンマーの企業グループ
From Wikipedia, the free encyclopedia
ミャンマーの企業グループ(ミャンマーのきぎょうグループ)とは、ミャンマーにおいて、鉱業、製造業、エネルギー、建設、不動産、金融など複数分野にまたがって事業を展開する大規模な複合企業体を指す。ミャンマーでは、軍が所有・統制するミャンマー・エコノミック・ホールディングス・リミテッド(MEHL)およびミャンマー経済公社(MEC)に加え、政権や国家事業と関係を持つ民間企業グループが経済に大きな影響力を有してきた。これらの企業グループは国家経済に重要な役割を果たす一方、透明性の欠如や軍との関係、国際制裁をめぐる問題も指摘されている。
8888民主化運動を弾圧したことで欧米諸国から経済制裁を受け、経済的苦境に陥った国家法秩序回復評議会(SLORC、のちに国家平和発展評議会〈SPDC〉へ改組)は、ビルマ式社会主義を放棄して、さまざまな経済改革を実施した。具体的には、民間外資法の制定、国境貿易の開設、ならびにチーク材や宝石といった天然資源の輸出促進が挙げられる[1]。
こうしたことを背景に、ミャンマー軍(国軍)幹部との親密な関係を有する一部の民間企業家(クローニー、ビルマ語: ခရိုနီ、または、タイクーン〈Tycoon〉)が、1980年代後半から1990年代前半にかけて、政府から営業許可、輸出入権、天然資源開発権などを優先的に付与されて急速に事業を拡大した。これらクローニーたちは、やがて鉱業、建設、不動産、金融、製造業など多角的な分野に進出し、1990年代後半までに一大企業グループへと成長した。当時は、主要産業分野への外国直接投資が認められておらず、欧米企業を中心とする外国企業や国際的な競争がほとんど存在しなかったため、クローニーたちにとって多くのビジネス機会がもたらされた[2][3]。
もっとも、SLORC/SPDC時代でも、すべての外国企業との関係が遮断されていたわけではなく、中国をはじめとする一部の周辺国との経済関係を維持・強化していた。こうした中、アジア・ワールド・グループ、シュエ・タウン・グループ、MEHLなどは中国企業とと提携し、大きな発展を遂げた[2]。
2011年以降、テインセイン政権下で経済自由化政策が進められ、外国直接投資も段階的に認められるようになった。この際、合弁事業において外国資本の出資比率は80%を超えてはならず、ミャンマー国民が少なくとも20%を保有することが定められており、この制度の下、クローニーたちは外国企業と提携し、事業規模の拡大や国際的な事業展開を進め、NLD政権下でもそれは変わらなかった[2][4]。
2021年ミャンマークーデター後、外国直接投資が激減したため[5]、クローニーたちは再び国軍との関係を重視するようになり、金、不動産、鉱業などの国内完結型の産業に軸足を移していると報じられている[6]。
企業グループの役割
このように、国軍系企業および国軍と親密なクローニーは、国軍による人権侵害に加担していると批判され、しばし欧米諸国の経済制裁の対象となり、2021年クーデター後はさらに強化された[7]。
一方で、国軍系企業およびクローニーはミャンマー経済において一定の機能を果たしてきたとの指摘もある。彼らは外国企業を誘致し、合弁事業や事業提携を通じて事業を拡大し、外国直接投資の流入増加に寄与してきた。また、経営能力、現地市場に関する深い知識、確立されたブランド力、そして資本力を背景に、新興企業には困難な大規模事業や新産業への参入を可能としてきた。さらに、国軍系企業およびは多数の雇用を創出し、失業率の抑制や人材育成を通じて、ミャンマー国民の経済的発展にも一定の貢献を果たしてきたと評価されている[8][9]。
国軍系企業
ミャンマー・エコノミック・ホールディングス・リミテッド(MEHL)
1990年に設立された公開有限会社(株式会社)で、その株式は国軍関係者や部隊が保有しているとされ、国軍系企業コングロマリットに分類される。MECと比較して翡翠やルビーなどの宝石関連企業が多いのが特徴である[10]。
ミャンマー経済公社(MEC)
1997年に設立された非公開有限会社で、国軍の兵站総局(Quartermaster General’s Office)の管轄下に置かれている。製造業および鉱業関連企業が多いのが特徴である[11]。
民間企業
キャピタル・ダイヤモンド・スター・グループ
キャピタル・ダイヤモンド・スター・グループ(Capital Diamond Star Group:CDSG)の歴史は古く、1960年代にマンダレーで農産物取引業者として設立され、現在は創業者の息子のコーコージーが会長を務める。農業、食品、建設、不動産、金融、保険、ヘルスケア、車販売などの分野で事業を展開しており、SPAグループと同様に、国軍との関係は比較的薄いとされる[12]。
トゥー・グループ
トゥー・グループはミャンマー最大のクローニーと呼ばれている企業グループである。創設者のテイザは、ネ・ウィンと親しかった軍人の父親を持ち、自身も国軍士官学校(DSA)出身である[13]。
テイザは1990年にトゥー貿易会社(Htoo Trading)を設立して、チーク材の輸出で巨額の利益を上げた。その後、農業、食品・飲料、家具・インテリア、建設、セメント、IT、ホテル、航空・運輸、国際物流、生損保、ガソリンスタンドなど、さまざまな分野に事業を拡大。ミャンマー初の民間航空会社であるバガン航空もグループ傘下である。富裕層向け事業を重視している点に特徴があるとされる[13][12]。
一方、傘下のミャンマー・アヴィア・サービス社は、ロシアのモスクワ航空機生産機構(MAPO)およびロシアのヘリコプターメーカーであるロストバートルのミャンマーにおける唯一の代理店とされ、同社は国軍にロシア製の航空機部品を供給していると報じられている[14]。
さらに、傘下のアイヤー・シュエ・ワーは、連邦団結発展党(USDP)党首代行だったトゥラ・シュエマンの息子であるアウンテッマンが会長を務めている。同社はエーヤワディー・デルタ地帯全域の農家に肥料を供給する政府契約を取得し、ネピドー建設プロジェクトにも関与した。2005年には、バングラデシュとシンガポールへの米輸出許可を取得した最初の民間企業となった[15]。
トゥー・グループは、NLD時代にはやや勢いを失ったが、2021年クーデター後の同年5月、国軍高官の訪露にテイザが同行し、再び注目を集めた[16]。その後、テイザおよびトゥー・グループは、イギリス、EUから経済制裁を受けている[17][18]。
カンボーザ・グループ
カンボーザ・グループは、元教師で、サヤー・チャウン(学校の先生)の別名を持つアウンコーウィンが、1988年にシャン州のタウンジーで始めた衣料品小売業を起源とする。アウンコーウィンはSLORC/SPDCのナンバー2だったマウンエイの知遇を得、SLORC/SPDC書記長だったウィンミンの姪と結婚したことにより、国軍と親密な関係を築き、サファイアやルビーなどの宝石業で巨額の利益を上げた[19]。
その後、農業、鉱業、製造業、通信、航空、不動産、銀行、保険、証券、ヘルスケア、ガソリンスタンドなど、さまざまな分野に事業を拡大していった。傘下のカンボーザ銀行は、1994年にタウンジーで設立されたミャンマー初の民間商用銀行で、現在ではミャンマー最大級の銀行に成長している。銀行、保険、証券等の金融分野に強いのが特徴である[19][12]。
ミン・アンド・アソシエイツ・グループ
ミン・アンド・アソシエイツ・グループは、1989年に元ミャンマー・ナショナル航空のパイロットだったマイケル・モーミンが設立した企業グループである。彼は元SLORC/SPDC議長のタンシュエやテインセイン元大統領と親密な関係にあったとされる[20]。
さらに、モーミンは1996年にMPRL探鉱・生産会社(MPRL E&P Company)を設立し、政府系国営企業であるミャンマー石油・ガス公社(Myanma Oil and Gas Enterprise:MOGE) と協力し、油田開発や掘削事業に技術支援を提供した。これを基盤として同グループは急成長し、石油・ガス関連事業を中核に、倉庫建設・賃貸、物流、メンテナンス、調達、機器レンタル、エンジニアリング、代理店業務、ならびに石油・ガスの探鉱・生産に付随する各種サービス分野へと事業を拡大している[15]。
モーミンは、アウンサンスーチーとも親交を深めた。2021年のクーデター後はミャンマーを去ったが、現在でも国軍との協力関係は継続しているとされる[20]。
シュエ・タウン・グループ
シュエ・タウン・グループは、1990年にコーカン族のアイクトゥンによって設立された。当初はオリンピック建設会社という名前で、ヤンゴンで住宅およびホテル開発に注力していた。その後、不動産、ショッピングセンター、セメント、建設、建設資材、エンジニアリング、エネルギー、ホテル、トレーディング、保険、ガソリンスタンドなどの分野に事業を拡大し、グループ全体で6,000人を超える雇用を生み出しているとされる。建築・デザインの分野に強く、外国企業との提携・合弁事業に積極的なのが特徴である[21][12]。
2004年、傘下のアジア・ウェルス銀行が、アメリカ財務省からマネーロンダリングと麻薬取引の容疑で告発された後、シュエ・タウン・グループに改名した[21]。
ザイカバー・グループ

ザイカバー・グループは、1990年にキンシュエが設立した。彼はキンニュンと親しかったとされ、彼の娘はトゥラ・シュエマンの次男と結婚している[15]。
ザイカバー社の主要事業は不動産開発業で、ヤンゴン工業団地、ロイヤル・ミンガラドン・ゴルフ&カントリークラブ、カンドージー自然公園・レクリエーションゾーンなど、数々の注目プロジェクトを手掛けている[15]。
キンシュエは2010年総選挙にUSDPから出馬して当選、民族代表院議員を一期務めた[22]。しかし、2022年3月、ヤンゴンの軍所有地での建設計画の失敗をめぐって国軍と対立の後、キンシュエは土地の賃料未払い、未許可建設の容疑で息子とともに逮捕され、インセイン刑務所に送られた[22]。2024年9月、健康上の理由で恩赦を受け、釈放された[23]。
ダゴン・グループ
ダゴン・グループは、1990年に、元国軍大尉ウィンテインとともにウィンアウンが設立した。ウィンテインは、1976年にネ・ウィン暗殺計画に関与して、死刑判決を受けた。ウィンテインは、後に暗殺未遂犯のリーダーとして死刑判決を受けたたオーチョーミン大尉の裁判の際に、政府側証人として出廷した人物である[24][25][26]。
その後、ダゴン・グループは、ヤンゴン・マンダレー間の高速道路とその延伸区間の改修、および全国各地の複数の農業・灌漑プロジェクトの建設許可を取得し、農業、食品加工、木材、ゴム、建設、不動産、小売、ホテル、ショッピングセンターなどの分野に事業を拡大していった。2003年にはヤンゴンに大型ショッピングセンター・ダゴン・センターを建設。日本企業が参加したティラワ経済特区の開発も手掛けている[12][24]。
エデン・グループ
エデン・グループは、1990年に、元エネルギー省の役人で、NLDの地方支部支部長も務めたチッカインが設立した。最初は建設業、その後、農業、銀行、ガソリンスタンドなどの分野に事業を拡大[27]。特に農業分野に強く、2012年には、ミャンマー最大の米集荷・販売団体であるミャンマー農業公社(Myanmar Agribusiness Public Corporation:MAPCO)を設立。また、三井物産など外国企業との提携・合弁事業にも積極的である[12]。
チッカインはNLD政権とも良好な関係を築いていたが、2022年4月、汚職の容疑で逮捕された[28]。
AIグループ
AIグループは、1990年にヤンウィンが設立し、建設業を皮切りに、石油・ガス開発、セメント、光ファイバー製造、縫製、貿易、通信、金融、ホテル&リゾート開発などの分野に事業を拡大していった。ヤンゴンのランドマークであるサクラタワーの建設も手掛けた。また、観光業にも進出し、ヤンウィンはミャンマーツーリズム協会の会長を務めている[12][29]。
サージ・パン・アンド・アソシエイツ・グループ(SPA)
サージ・パン・アンド・アソシエイツ・グループ(SPA)は、ビルマ社会主義計画党(BSPP)時代に家族とともに中国に移住した、中国系ミャンマー人であるサージ・パンが、1983年に香港で設立した不動産開発会社を起源とする。1991年、SPAグループはミャンマーにも進出し、ミャンマーにおけるSPAグループの中核企業は、1992年に不動産会社ファースト・ミャンマー・インベストメント(FMI)、1993年にヨマ銀行を設立し、金融、不動産、病院、自動車販売、小売、農業などの分野に事業を拡大していった[12][15][30]。
国軍関係者と縁故を利用することをよしとせず、ミャンマー企業グループの中では、比較的クリーンで、透明性が高いという評判を取っており、外国企業との提携・合弁にも積極的とされる[31]。しかし、2024年6月、サージ・パンは金融取引法違反の容疑で逮捕され、その後、彼はSPAグループの経営から一切手を引いた[31]。
ルビー・ドラゴン・グループ
1991年に国軍と停戦合意を締結したパオ民族機構/軍(PNO/A)は、翡翠とルビーの採掘権を獲得し、ルビー・ドラゴン・ジェイド&ジェムズ社(Ruby Dragon Jade & Gems Co., Ltd.:RDJG)を設立。ネーウィントゥン(Nay Win Tun)が会長に就任した[15]。
RDJGはカチン州パカン郡区、ザガイン地方域コーリン郡区およびカムティ郡区、マンダレー地方域、モーゴッ(モゴック)およびシャン州モンスーで金および宝石鉱山を運営している。2000年には、3,000トンという記録破りの巨大な翡翠の塊を発見し、政府に寄贈した[32]。現在では宝石業のほか、セメント製造、ホテル、農業、食品、ワインなどの事業を手がける一大企業グループに成長している[33]。
ルビー・ドラゴンは政治と深く結びついており、ネーウィントゥン(Nay Win Tun)はパオ自治政府の特別経済顧問で、その収益はパオ自治政府とパオ自治区の開発に充てられているとされる[34]。また、ネーウィントゥンは2010年総選挙において、パオ自治区から無投票で当選し、民族代表院議員となった。ほかのパオ自治区からの当選者もルビー・ドラゴン傘下の企業の取締役に名を連ねている。ネーウィントゥンは民族代表院の天然資源・環境保全委員会の委員長を務めていたが、これは利益相反行為に当たると批判された。なお、2021年ミャンマークーデター後に設立された国家行政評議会(SAC)のメンバーに、PNO副議長であるクンサンルウィンが名を連ねている[33]。
アジアワールド・グループ
アジア・ワールド・グループは、1992年に「麻薬王」と呼ばれたロー・シンハンが設立し、現在は息子のスティーブン・ローが会長を務めている[35]。
インフラ、建設、陸運、小売、保険、不動産など幅広い分野で事業を展開しており、トゥー・グループとともにネピドー新首都建設を請け負った主要ゼネコン2社の1つである[35]。アジアワールド最大の特徴は空港と港湾を管理・運営していることで、ヤンゴン国際空港とネピドー国際空港、そしてヤンゴン港の3つの埠頭を管理・運営している[12]。
スティーブン・ローの妻がシンガポール人であることの関係で、シンガポールに複数の支社があり、ミャンマーにおけるアジア・ワールドの事業はシンガポールからの直接投資という形で行われることが多く、シンガポールからミャンマーの直接投資の大半はアジア・ワールド関係とされている[35][12]。
マックス・ミャンマー・グループ

マックス・ミャンマー・グループは、1993年にゾーゾーが設立した。彼は8888民主化運動に参加し、6年間世界を放浪。その後、日本へ渡り、皿洗いのアルバイトをして貯めた金で、中古の日本車をミャンマーへ輸出する事業を始めた。その後、ミャンマーに帰国して建設業に転身し、やがて農業、セメント、製造業、エネルギー、トレーディング、建設、銀行、保険、ホテル、物流、高速道路の管理運営などの分野に事業を拡大、2026年1月の時点で、グループ全体で約5,000人を雇用するミャンマーでもっとも勢いのあるクローニーの1つとなった。特にエネルギー分野に強いとされる[12][36][37]。
ゾーゾーはアウンサンスーチーとも親交を深め、政府系プロジェクトから民間事業への転換を目指しているとされる。地域を代表するブランド力を有する企業グループの構築を目標としていると述べている[36]。
また、ゾーゾーは慈善事業に熱心で、スポーツに深い関心を持つことで知られており、ミャンマー・サッカー連盟(MFF)会長(2005~2026年現在)およびミャンマー・テニス連盟(MTF)会長(2002~2005年)を務めている[38]。
IGEグループ
IGEグループは、SLORC/SPDCで大臣を歴任し、USDPでも要職を務めたアウンタウンが、SLORCの副商務大臣だった1994年に設立したアウン・イー・ピョー社という農産物と木材の輸出会社を起源とする。アウンタウンはタンシュエ、マウンエイ双方と親しく、次男のピィアウン(Pyi Aung)はマウンエイの娘と結婚している[12][15]。
1999年、ピィアウンと三男であるネアウン(Ne Aung)はIGEグループを設立し、農業、石油・ガス、建設、不動産、卸小売、通信、ホテル、銀行などの分野に事業を拡大した。傘下のミャンマー米貿易会社(MRT)は、ミャンマー最大の木材輸出業者である[12][39]。
アウンタウンの長男であるモーアウンは、2021年に海軍司令官に就任し、国家行政評議会(SAC)体制下で国家安全保障顧問も務めた。ほかにもMEHLとMECの取締役を務めていた[39]。しかし、モーアウンは2025年にSACから改組された国家安全保障・平和委員会(SSPC)のメンバーにも内閣の閣僚にも含まれておらず、失脚したという憶測を呼んでいる[40]。
ユザナ・グループ
ユザナ・グループは、1994年にテイミンが設立した。ミェイク諸島(メルギー諸島)の漁業への投資から事業を始め、その後、ヤンゴンの住宅・商業用不動産市場に参入。1990年代半ばには最大のプロジェクトとなる郊外住宅開発「ユザナ・ガーデン・シティ」に着手した。その後、運輸、建設、ホテル・観光、パーム油生産、ゴム農園などの分野に事業を拡大。ヤンゴンにユザナ・スーパーマーケットとユザナ・ホテルを所有し、ヤンゴンのタケタ地区に石油精製所を設立した[15]。
テイミンは、ミャンマー漁業協会会長、建設業者協会会長、漁船所有者協会会長も務めていた[15]。
しかし、ユザナ・グループはカチン州やヤンゴン地方域で違法な土地および農地接収をしているとして、強い批判を浴びている[41]。
インターナショナル・ビバレッジ・トレーディング・グループ(IBTC)
インターナショナル・ビバレッジ・トレーディング・グループ(IBTC)は、1995年にアウンモーチョー(Aung Moe Kyaw)が設立した。彼は、ミャンマーにペプシコーラを初めて持ち込んだことで知られ、ミャンマー・タイムズのオーナーでもあった、ゴールデン・スター・グループのテイントゥンの義理の息子である[42][43]。
ウィスキーが主要事業で、グランドロイヤルウイスキー、イーグルウィスキーなどのブランドで知られ、国内のウィスキー市場で80%のシェアを占めている[43]。
ロイ・ヘイン社
ロイ・ヘイン社は、1996年にシャン族のサイ・サムトゥンが設立した。サイ・サムトゥンは、1971年に医学博士号を所得した後、2008年にワシントン大学で経営学修士号(MBA)を取得、1987年から1991年までカナダとアメリカに居住し、1992年にミャンマーに帰国したという経歴の持ち主である[44]。
ロイ・ヘイン・グループの主要技業は飲料業とタバコで、タイのシャーク・エナジードリンクを販売し、アルパインなどの自社ブランドの飲料製品も販売している。また、サイ・サムトゥンはヤダナボンFCのオーナーでもある[44]。
サンタック・グループ
ザンタック・グループ(Suntac Group of Companies)は、シッタインアウン(Sit Taing Aung)が設立した。シッタインアウンはSPDC体制下で林業大臣を務めたアウンフォン(Aung Phone)の息子の1人で、その関係を利用して原木輸出許可証を取得し、兄弟でウッドランド・トラベルズ社(Woodland Travels)を設立し、エコリゾートの建設と木材伐採の事業に従事した。また、シッタインアウンはテイザのトゥー貿易会社の4人の取締役のうちの1人だった[45][46]。
その後、シッタインアウンはザンタック・グループを設立。業務内容を「交通関連工学研究、高速道路・鉄道建設、農業開発、ダム・灌漑システムに関する研究、国土空間データベース開発といった分野におけるプロジェクト実施経験」と謳っている。しかし、シッタインアウンは他の武器商人たちと深い関係を築き、兵器工場の建設および資材の調達、ウクライナや東欧からの兵器輸入に関与していると指摘されている[45][46]。
シッタインアウンは2022年にアメリカから経済制裁を受けたが、2025年7月に解除された[47]。