タクバヤ
From Wikipedia, the free encyclopedia
タクバヤ | |
|---|---|
|
メキシコシティの地区 | |
|
リラ公園入口のアーチ | |
| 座標:北緯19度24分06秒 西経99度11分18秒 / 北緯19.4016398度 西経99.1883337度 | |
| 国 |
|
| 行政区画 | メキシコシティ |
| 管轄区域 | ミゲル・イダルゴ |
タクバヤ(Tacubaya)は、メキシコシティ西部のミゲル・イダルゴにある地区。行政上のタクバヤ地区(コロニア)自身に加えて、周辺のサン・ミゲル・チャプルテペク、オブセルバトリオ、ダニエル・ガルサ、アンプリアシオン・ダニエル・ガルサ地区一帯もタクバヤの一部とみなされている[1]。
今のタクバヤには紀元前5世紀から人が住んでいた。ナワトル語ではAtlacuihuayanといった[2]。植民地時代から20世紀はじめまで、タクバヤはメキシコシティとは別の田園地帯と考えられており、副王を含む富裕層が景色を楽しむための家を建てた。19世紀後半から都市化がはじまったが[3]、劣化が進行してメキシコシティ中の貧困地帯となり、段ボールほかの素材で造られた仮小屋に人々が住む貧民街が含まれるようになった[4] 。19世紀に建てられた邸宅の多くは今も残るが[5]、一般のメキシコシティの民衆にとってタクバヤはメキシコシティ地下鉄およびメトロバスの駅、および多くのバスの停留所が集中していることで知られている[6]。
2011年にメキシコシティの21の「バリオ・マヒコ」(魔法の地区)のひとつに指定された[7]。


アラメダ・タクバヤ公園は、かつてのタクバヤの黄金時代には大きな庭園を持つ邸宅に囲まれ、政治家や知識人階級の郊外の家になっていた。公園の中央にはレフォルマ戦争の殉死者たちをたたえるオベリスクがある。現在この一帯は非常に劣化して、アルコールや麻薬中毒者が公園に住み、周囲はゴミに囲まれている。最近オベリスクを囲んでいた噴水が取り除かれ、ただのコンクリートで舗装された地面になった。他にフアレスの鷲(águila juarista)をあしらった鉄製のベンチなども除去され、舗装の質も下がった[8]。
リラ公園は18世紀にビセンテ・リラの屋敷があったところで、大きなアーチ型の入口がある[1]。
ラ・カンデラリア教会とサント・ドミンゴ修道院跡は、16世紀にメキシコシティに建てられたドミニコ会の修道院の建物のうち唯一今も残っているものである。建設された1590年という年が壁に刻まれている。教会は清めの聖母(Nuestra Señora de la Purificación)にささげられ、毎年の祭りでは多くのロウソクが灯される。この祭りがカンデラリア(聖燭祭)と呼ばれることから、教会自身もラ・カンデラリア教会の名で知られている[1]。
国立気象観測所の建物はもと18世紀の大司教で副王だったフアン・アントニオ・デ・ビサロン・イ・エギアレタ (Juan Antonio de Vizarrón y Eguiarreta) によって建てられた[5]。メキシコ国立天文台ははじめチャプルテペク城内にあり、のちに大司教の建物に移転した。1942年に天文台はプエブラ州に移転し、現在は国立気象台の建物になっている[9]。
地図博物館はかつてサン・ディエゴ修道院だったが、1847年にウィンフィールド・スコットの率いるアメリカ軍に占領され、その翌年に自由主義者の軍隊が侵入して病院を略奪した。クリステロ戦争中に暴力のために修道院は閉鎖され、その後博物館として開館した[5]。
カサ・アマリージャ(「黄色い家」)は1618年に宗教的宿泊施設として建てられ、現在はミゲル・イダルゴ区の庁舎になっている[1]。
ルイス・バラガン邸と仕事場は、現在までメキシコの建築家に強い影響を与えつづけているルイス・バラガンの家である。バラガンは1980年に建築部門でもっとも重要な賞であるプリツカー賞を受賞した[10]。バラガンの家は1994年に一般公開され、1988年にバラガンが死んだときの状態そのままに保存されている。2004年には世界遺産に指定された。バラガンは建物の外観を簡素にし、近隣に溶けこむように設計した。彼の個性が発揮されたのは建物内部で、空間の配置・採光・自然との融合においてである[11]。タクバヤのバラガン邸は木と石の使用、大きな梁に支えられた屋根、白・ピンク・黄色を基調とする色によって目立っている。窓は中庭に集中している[10]。
エルミータ・ビルはアール・デコ建築の重要な例とされ、メキシコシティ一帯で最初の高層建築物である。8階建てで、1階は商業用、上の階は住宅になっている。1950年代以降メキシコのチェーンストアであるカナダの大きな光る看板が据えつけられ、建物自体「カナダ」の通称で知られる。建物は荒廃し、コカコーラ・キャメル・ソルなどの看板が建物の特徴を隠してしまっている。1931年に建てられて以来修復作業は行われていない。歴史的重要性にもかかわらず、建物に保存の価値があると考えている人はほとんどいない[12]。
シウダー・ペルディーダ(「失われた都市」)とは段ボールや木材などで造られた仮小屋が狭い通りに沿って並んでいる場所で、20世紀はじめにアドベと木の屋根で造られた小さな家に貧しい人々が住みはじめた。一帯はゴミ、小便の匂い、もはや機能していない下水から溢れたたまり水だらけである。1980年代に麻薬がこの地にはいりこみ、マリファナにはじまってコカインがそれに続いた。今では麻薬売買の中心地になっている[13]。2020年に政府はシウダー・ペルディーダの人々のために新しい家を提供する計画を発表した[14]。


