タリベ

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タリベ(仏語: Talibé、アラビア語: طالب「学生」の意)とは、主にセネガルガンビアギニアビサウマリモーリタニアなどを出自とする、ダーラマドラサに相当するセネガルの教育施設)でコーランを学ぶ少年たちのこと。指導はマラブーと呼ばれる教師によって行われる。

ほとんどの場合、タリベは親元を離れてダーラに寄宿する[1]。ダーラの制度下では、マラブーのタリベに対する物乞いの強要や体罰、不十分な管理などが常態的に見られ、その実態に鑑みて、児童虐待に相当するものであるとして国際社会から批判にさらされている。

セネガルではタリベという言葉は、例えば政党の過激派支持者を示す場合などより広い意味で使われている[2]

タリベの少年たち(セネガル・ヴェリンガラ

タリベのマラブーに対する関係は、一種の「奉仕と厳格な服従」である。マラブーはタリベに対して指導・保護・とりなしの祈り英語版を行う。タリベのマラブーへの忠誠は、経済的なサポート、ないし十分の一税によって示される。

セネガルにおけるタリベに対する見方は様々である[3]。タリベの育成を奨励する人々・民族集団・宗派もあれば、こうした慣習を拒絶する者もある。支持する人々の中でも、良しとするダーラの運営方法については幅広い意見がある[4]

親が子をダーラに送る動機としては多くの理屈がある。経済的な事情による事実上の養子、マラブーの所属するムスリム同胞団との関係作りによる子供の将来の確保、マラブーとしてのキャリア形成の準備などである[5][6]。ドナ・L・ペリーは、タリベの親を「無知な伝統主義や経済の犠牲者」、あるいはマラブーを「近代のストレスによって歪められた」存在として描くことに異議を唱えている。ウォロフ族の農民に対するインタビューに基づき、タリベの養育の普遍性は「急激な人口増加・貧困の深刻化・新自由主義政策」[7]への対応などではなく、本質的に西アフリカ社会の価値観に結びついたものであると彼女は主張する[8]。タリベの窮状に対する社会経済的な見地は、ペリーによれば、「文化帝国主義の告発を避ける」ためのNGOの意図的な戦略であるという[9]

歴史

ダーラは数百年の昔から存在したが、フランス植民地時代に劇的に伸張した[10]。20世紀の後半にはアラブ式のmedersa(マドラサ)が好まれるようになり、農村部のダーラの数は減少した。マドラサは、農民が就学時間外で子供を働かせることを可能にし、世俗的かつコーランに基づく教育を提供し、子供の苦痛を軽減したため、人気が高まった。 この間、多くのダーラが都市部に移動した[11]

1992年、ユニセフはタリベの認知度を上げる5か年計画を立ち上げ、マラブーと協力してタリベの生活条件を改善しようと試みた。1997年は、この取り組みは臨時的に複数のNGOで採択された。これらの機関は、必ずしもタリベに利益にならないマラブーへの資源供給というユニセフのモデルの欠陥を是正しようとした[12]。タリベは今日までセネガル社会において言論の的となっている[13]

タリベへの虐待

関連項目

参考文献

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