ターリバーンのプロパガンダ

From Wikipedia, the free encyclopedia

2001年のアフガニスタン国家政府崩壊以来、ターリバーンのプロパガンダ(Taliban propaganda)は高度な広報関係として発展し、アフガニスタン国内外の認識を形作っている。世論調査では運動は依然として不人気であることを示しているが、長年の政府の約束破棄、公務員の腐敗英語版、空爆やその他の軍事行動による民間人の死者増加に起因する疎外感を容易に利用している。「その結果、ターリバーンを積極的な支持者はほとんどいないにもかかわらず、国家建設英語版への国民の支持が弱まっている」と、紛争を監視するシンクタンクである国際危機グループの報告書には記されている。アフガニスタンにあるアメリカ当局者も「もしこれを好転させるなら、これ以上受け身でいるわけにはいかない」と同意する[1]

ターリバーンが外国勢力との協力を考え直させるよう送った書状、"ナイトレター"

1989年から1992年にかけてアフガニスタンの米特使を務めたトーマス・ハワード・ジョンソンは、「ターリバーンの情報キャンペーンのほとんど全てのプロパガンダ制作プラットフォームはアフガニスタン国内で行われ、パキスタンの軍統合情報局が監督していると述べている。刊行雑誌には、『アル・ソムード』『イン・ファイト』『シャハマト』『エルハン』『ムルチャル』、月刊パンフレット『スラク』、そして、メディアスタジオのアレマラ、アル・ヒジラト、マナ・ウル・ジハードといった映像制作施設が含まれる[2]。パキスタンのISI(対外局)から多大な支援を受けているとしばしば指摘されている。2021年8月のカーブル陥落後ターリバーンはアフガニスタンで新たなプロパガンダを導入した[3]

背景

アメリカ同時多発テロ事件以後

2001年12月以降の初期のターリバーンのメディア活動は限定的かつ慎重であり、彼らの立場の不安定さを反映していた。政権崩壊後に最初に任命されたメディア報道官はアブドゥル・ラティフ・ハキミであった。2005年10月4日にパキスタン当局がハキミを逮捕した際は3人ほどの後任者に交代した。そのうちの一人のスポークスマンムハンマド・ハニフ自身も2007年1月に逮捕された。この時期のターリバーンのメディア活動の主な目的は、しばしば誇張的にアフガニスタンでのターリバーン作戦を広めることであった。これは主にパキスタンや国際的な報道機関との接触で成され、いつもラジオ、電話、新聞を通して行われた[4]

戦略

アフガニスタンとパキスタンのターリバーン支部は狙いや目的は異なるが、似たようなプロパガンダの論説を共有している。ターリバーンのプロパガンダはアフガニスタンの戦争を「文明の衝突」の一部として位置づけ、頻繁にキリスト教徒とイスラム教徒の間の戦争の歴史を強調する。ターリバーンの見解では、西側世界は根本的にイスラムに敵対的であり、より大きなテロとの戦いは実際にはイスラムに対する戦争であるとしている。連合軍は「占領者」「外国人」「侵略者」として描かれ、イスラムを打ち砕きアフガニスタンをキリスト教国家に変えようとしているという[5]。また、連合軍を衰弱し崩壊寸前状態とする傾向がある[6]

ターリバーンのプロパガンダはしばしばハーミド・カルザイ政権をアメリカの道徳的に破綻した手先として表現している。例えば、2010年8月のプレスリリースでは、ワシントン・ポストの報道を受け、中央情報局(CIA)とカルザイ側近の関係を説明、カルザイ政権を「道徳的、政治的、財政的に腐敗した傀儡の多面的政権」と呼んだ[6]

2010年10月、ターリバーンはカルザイ政権の有力な代替案として自らを位置づけ、透明性の推進と腐敗の削減を約束した。珍しく、彼らは女性の権利を尊重するとも主張した。ワシントン・ポストの取材を受けた匿名の情報関係者は、これはタイム誌の、ターリバーンが女性にした切断障害記事への反応かもしれないと推測した[6]

村への対処

ターリバーンがアフガニスタン内の農村部の人々を自分たちの大義に結集させようとするとき、彼らはしばしば連合側をイスラムを破壊しようとする「占領者」の軍隊と特徴づけ、通常、様々なイスラム文献や特定のファトワーから引用する。連合とカルザイ政権を支持する者はイスラムの裏切者として描かれ、反対にターリバーンを支持する者は信仰を守る神聖な義務を果たしていると見なしている。村の指導者や村の住民グループがカルザイ政権や連合軍に援助を提供すると、ターリバーンは通常、支援を撤回させるために脅迫書を送り着ける[5]

効果

ターリバーンは西側メディアを利用する方法を周知している。例えば、8月18日、ターリバーンはアフガニスタン首都から約48km離れた地点でフランスのパトロール隊を待ち伏せし10人の兵士を死亡させた。数週間後、攻撃に関与した過激派は、フランスの主要な週刊紙パリ・マッチ紙の8ページの華やかな雑誌に登場、戦死した兵士たちの武器、制服、私物を誇示していた。その当時フランス国内では戦争支持率は過去最低を記録した。国防相エルヴェ・モランは、ターリバーンが「世論が国際社会のアキレス腱である可能性を理解している」と指摘した[1]

構成

地方軍事司令部に加えてターリバーンは政府のさまざまな側面を扱う10の委員会を設置している。そのうちの一つである文化・情報委員会がプロパガンダを担当している。クエッタ・シューラの著名なメンバーであるマウルヴィ・クドラトゥッラー・ジャマルは、2002年から2005年まで委員会長を務めた。2010年には別のメンバーであるアミール・ハーン・ムッタキーが率いていた[7]

スポークスマン

グループの初代専任スポークスマンであるムフティ・ラティフッラー・ハキミを除いたすべてのスポークスマンは、ムッラー・オマル自身が正式な布告によって任命した。当初スポークスマンは一人であったが、2005年10月にハキミが逮捕された後はその数は二人に増えた。1人の報道官は南部および西部の州(カンダハール州ザーブル州ウルーズガーン州ヘルマンド州ヘラート州ニームルーズ州ファラー州バードギース州ゴール州サーレポル州)のメディア担当を担当し、もう1人は東部、中央部、北部の各州(バダフシャーン州バグラーン州バルフ州バーミヤーン州ダーイクンディー州ファーリヤーブ州ガズニー州ジョウズジャーン州カーブル州カーピーサー州ホースト州クナル州クンドゥーズ州ラグマーン州ローガル州ナンガルハール州ヌーリスターン州パクティヤー州パクティーカー州パンジシール州パルヴァーン州サマンガーン州タハール州ヴァルダク州)を担当する。2010年には西部担当をカリ・モハンマド・ユースフ・アフマディが、他をザビフッラー・ムジャヒドが務めた[5]

これらのスポークスマンは、ターリバーンの戦争観を世界に広め、カルザイ政権の正当性に揺さぶりをかけることで、ターリバーンの宣伝活動をさらに推進している。彼らは一般的にターリバーンの死傷者、戦術、指揮官に関する正確な詳細を明かすことに消極的だが、自身の成功の主張を共有し、攻撃の責任を認め、連合軍やカルザイ政権の主張を否定することに非常に熱心である。ターリバーンの報道官から情報を得る方が連合軍や政府の報道官よりも容易であることが多い。スポークスマンの多くはターリバーンのウェブサイトに複数の言語でプレス声明を投稿し、テキスト、電話、メール、ファックスを通じてメディアに積極的に報道を送っている。時折、対抗組織の追跡を避けるために番号を変更することもあるがそれでも電話での連絡が多い。中にはインターネットフォーラムを利用する者もいる[5]

ターリバーン内のいくつかのグループ、例えばヌーリスターン州や東クナル州のサラフィー派ワッハーブ派)、ナンガルハール州のトラボラ軍事戦線、パクティヤー州、パクティーカー州、ホースト州のハッカーニ・ネットワークなどは、ターリバーン全体を代表するスポークスマンとは別行動を取る。ダドゥッラー英語版もタリバンの主要な統治評議会のメンバーでありながら、自身のスポークスマンを持っていた[5]

メディア

ターリバーンは一般的にビラや秘密ラジオ放送などの分散型で従来型の方法でプロパガンダを配布している。特にモスクやその他の公共の場でメッセージを説くことに効果的であると見出し、FacebookTwitterなどの新しいメディアも利用する。連合軍の部隊はターリバーンの宣伝活動家を反証する知識不足や訓練不足があり、頻繁にアフガニスタン当局に頼らざるを得ず、これらの対面手法の対抗に苦労している。[6]

インターネット

2010年のハフィントンポストのアブドゥルハディ・ハイランによる記事によると、インターネットベースのプロパガンダは2000年代以降、ターリバーンにとって「最も速く、最も有用なプロパガンダツール」となっている[5]

  • ウェブサイト: ターリバーンは独自のウェブサイトを運営しており、ニュース、説教、写真、動画、音声クリップ、ゲリラ戦の実施に関する記事、プレスリリースや各スポークスマンの声明が豊富にある。これらのサイトの多くは多言語で対応しており、パシュトー語、ダリー語、アラビア語、ウルドゥー語、英語の情報を含む。これらは連合側機関がウェブサイトを閉鎖すると別の名前やサーバー構成で再公開されることが多く削除が困難である[5]。その一例であるアフガニスタンのイスラム首長国(1996年から2001年まで政権を支配した政権)は、サービスプロバイダーを頻繁に切り替えて停止を回避している。ワシントン・ポストの調査によると、そのサイトはヒューストンに拠点を置く企業が1年以上にわたって知らないままホスティングしていたことが判明した[1]。一部のターリバーン報道官はインターネットフォーラムを通じて一般市民とコミュニケーションを取っている[5]
  • 動画: FacebookやYouTubeに公開されたプロパガンダ動画は、ターリバーンのメッセージを視聴者に広める効果があり、アフガニスタンやパキスタン国外からの援助やボランティアの誘致にも利用されている[1]。ターリバーンの報道官は、2009年6月に米軍のバーグダール二等兵を捕虜にしたといったプロパガンダを利用することで知られている。行方不明の二等兵の映像が3本公開されており、そのうちの1本はクリスマスの時期に公開された。2010年4月には捕虜の7分間のビデオが公開された。
  • メール: ターリバーンは記者やメディア機関と話し、攻撃の責任を負い、情報や説明を提供し、プレスリリースを送るために頻繁にメールを活用する。ターリバーンのスポークスマンはメールで連絡が取れることが多く、多くの反乱勢力はメールインタビューに応じている[5]

DVD

ターリバーンはまたDVDを使ってもプロパガンダ映像を配布する。安価な大量生産が可能のDVDの多くは、ターリバーン勢力が敵を処刑し、連合軍に対して攻撃を行う様子を映している。特に人気のある動画の一つには、ソ連・アフガニスタン戦争中にアフガン・ムジャーヒディーンがソ連軍と戦うモンタージュであり、実質的に連合軍を侵略者として描こうとしている。他のDVDには連合軍による残虐行為が描かれている[1]

ナイトレター

ターリバーンのナイトレターのやり取り方法は、通常、夜中に門の下に通す、あるいはドアに釘付けで警告を届ける[8]。2010年のアフガニスタン議会選挙に向けて、ターリバーンは特定の地域の村人たちを威嚇して投票を妨げた。彼らは夜に、複数回投票を防ぐために使われる選挙インク英語版で指を切り落とすとの警告する手紙を残したので村の人々は投票しなかった。[9]

雑誌

ターリバーン内のさまざまなグループは独自の雑誌を発行し、頻繁に公然と発行し、ペシャワールや隣接地域で無料で配布している。一部はパシュトー語で書かれ、他にもウルドゥー語やアラビア語話者向けに書かれている。これらの雑誌は一般的にかなり偏りが見られ、ターリバーンの過激な物語を支持する場合にのみ説話や記事を掲載する。しばしば指揮官への長いインタビュー、いびつなニュース報道、被害者の写真、政治や宗教に関する議論が盛り込まれている[5]

アナリストで対ターリバーン専門家のアブドゥルハディ・ハイラン氏によれば、多くの雑誌は「特定の事件や問題を、関連の背景を伝えて盛り上げて地元住民に暴力に対し立ち上がらせようとしている」と述べている。例えば、2010年号のパシュトー語で発行されたターリバーンのプロパガンダ雑誌『シャハマト(勇敢さ)』は、ヴァルダク州で起きた事件を次のように記述している。

最新の悲しいニュースは、キリスト教の十字軍(アメリカ人)がヴァルダク州で聖クルアーンを焼き払い、イスラム教とイスラム教徒への敵意を示したことです...この事件で最も悲しいのは、アメリカの侵略者が長らくムジャーヒディーン(聖戦士)の故郷であるヴァルダク州でこの凶悪な犯罪を犯したことです。この州の人々は過去や現在のジハード運動に積極的に参加してきました。この州の人々は常に勇敢で英雄的に国を守ってきました。この州の人々はイギリス占領者に対する戦争において歴史的な役割を果たしてきました[5]

発行頻度、長さ、言語(パシュトー語だけでなくダルー語、ウルドゥー語、アラビア語も含む)などで異なる他のターリバーン雑誌には、『アル・ソムード』(抵抗)、『スラク』(光芒)、『トラ・ボラ・マガジン』、『イン・ファイト』、『エルハム』(妙案/啓示)、『ムルチャル』(塹壕)、『メサク・イ・エサール』(犠牲の契約)、『イフサス』(感情)、『レサラット』(義務)、『ザミール』(良心)、『ヒッティン』などがある、ワフダット、ナワ・イ・アフガン・ジハード(アフガン・ジハードの声または旋律)、リクワル・ヘワド、そしてカブルーナなどがある[10]

対抗プロパガンダ

2009年5月、タイム誌はアメリカ軍がアフガニスタンとパキスタンの両方で報告されていたターリバーン関連のウェブサイトを閉鎖させ、ターリバーンのラジオ局を妨害する作戦を開始したと報じた。また、アフガニスタン政府がターリバーンの宣伝活動家に利用される可能性のある報道の余白を補うため、120万ドルをかけてメディアセンターを設立したとも報じられた。このセンターは国際団体の協力で建設され、「西洋で訓練を受けた広報担当者」によって運営された。センターのアフガニスタンの政治家であるワヒード・オマールはタイム誌に、自身の優先事項はジャーナリストに十分な肯定的な報道を提供し、迅速な報道をすることだと語った[1]

脚注

関連書籍

Related Articles

Wikiwand AI