ダストコマンダー
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| ダストコマンダー | |
|---|---|
| 欧字表記 | Dust Commander |
| 品種 | サラブレッド |
| 性別 | 牡 |
| 毛色 | 栗毛[1][2] |
| 生誕 | 1967年2月8日[1][2] |
| 死没 | 1991年10月7日[1][3] |
| 父 | Bold Commander |
| 母 | Dust Storm |
| 母の父 | Windy City II |
| 生国 |
|
| 生産者 | Pullen Brothers[1] |
| 馬主 | Robert E. Lehmann[1][4] |
| 調教師 | Don Combs[1][4] |
| 競走成績 | |
| 生涯成績 | 42戦8勝[1][2] |
| 獲得賞金 | 215,012ドル[1][2] |
ダストコマンダー(Dust Commander, 1967年2月8日 - 1991年10月7日)は、アメリカ合衆国の競走馬・種牡馬。1970年のケンタッキーダービーに優勝した。
- 特記がない限り、競走なすべてダートコース。また、当時はグレード制未導入。
イリノイ州の生産者であるピューレン兄弟の生産したサラブレッドの牡馬である。1968年のキーンランドのイヤリングセールに上場され、そこでロバート・レーマンに6500ドルで落札された[1]。ドン・コムズ調教師に預けられたダストコマンダーは1969年にデビューしたが、初勝利までに5戦を要し、一度はクレーミング競走に出走されるも購買者は出なかった[1]。2歳時はトロピカルパーク競馬場のシティオブマイアミビーチハンデキャップ(8.5ハロン)で優勝している。
3歳時にケンタッキーダービーの前哨戦のひとつであるブルーグラスステークス(キーンランド・9ハロン)に出走し、単勝オッズ36倍という大穴ながらも、道悪の馬場を味方にしてこれに優勝した[5]。大一番のケンタッキーダービー当日もやはり大穴扱いで、スタートも出足がよくなかったが、ラチ沿い6番手につけてバックストレッチに向かっていった。そして最終コーナーでは馬の間に割って入って追い上げを開始、最後の直線で1番人気のマイダッドジョージを5馬身差突き放して優勝を手にした[6][4]。ダストコマンダーの勝利はイリノイ州産馬として初のケンタッキーダービー制覇でもあった[1]。
ケンタッキーダービーの後はプリークネスステークスで9着と大敗し、また以後も18戦して勝ち星は一度しか挙げられなかった。これはケンタッキーダービーの時に負った軽微な怪我が後々も影響していったものと考えられた[1]。