ダビド・ムジリ

From Wikipedia, the free encyclopedia

愛称 ムームー、四畳半の男
ラテン文字 David Mujiri
ジョージア語 დავით მუჯირი
ダビド・ムジリ
名前
愛称 ムームー、四畳半の男
ラテン文字 David Mujiri
ジョージア語 დავით მუჯირი
基本情報
国籍 ジョージア (国)の旗 ジョージア
生年月日 (1978-01-02) 1978年1月2日(48歳)
出身地 ソビエト連邦の旗 トビリシ
身長 183cm
体重 86kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
ユース
グルジアの旗FCディナモ・トビリシ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1994-1998 グルジアの旗FCディナモ・トビリシ 59 (24)
1999 グルジアの旗FCロコモティフ・トビリシ 11 (0)
1999-2001 モルドバの旗FCシェリフ・ティラスポリ 61 (29)
2001-2005 オーストリアの旗SKシュトゥルム・グラーツ 106 (21)
2005-2008 ロシアの旗クリリヤ・ソヴェトフ・サマーラ 30 (11)
2008-2009 ロシアの旗FCロコモティフ・モスクワ 23 (1)
2010 ジョージア (国)の旗FCディナモ・トビリシ 12 (4)
2011 日本の旗サンフレッチェ広島 34 (6)
2012 ジョージア (国)の旗FCゼスタポニ 24 (3)
通算 360 (99)
代表歴
2003-2008 ジョージア (国)の旗 ジョージア 26 (1)
監督歴
2012 ジョージア (国)の旗FCゼスタポニ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ダビド・ムジリジョージア語: დავით მუჯირიジョージア語ラテン翻字: David Mujiri1978年1月2日 - )は、ジョージアトビリシ出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー

現在はジョージアサッカー連盟(GFF)事務局長。

父親のダビド・ムジリ・シニアジョージア語版は1970/80年代ソ連リーグFCディナモ・トビリシ黄金期のメンバーでDFとして活躍した[1]

1995年に、ジョージアのFCディナモ・トビリシにおいて17歳でプロデビュー。1997/98シーズンのリーグ優勝に貢献。1998年に初めてジョージア代表に選出、年代別代表ではキャプテン[1] を務めた。カハ・カラーゼは同い年であり当時の代表およびディナモのチームメイトであった。

1999年、ディナモは混迷を極め自身も出場機会が得られなくなった[1]。五輪代表でキャプテンを務めていたムジリはナーバスになり出場機会を求めて[1]FCロコモティフ・トビリシモルドバFCシェリフ・ティラスポリへ移籍する。2000/01シーズンにはモルドバリーグ優勝に貢献、自身も得点王を獲得した。

2001年から在籍したオーストリアSKシュトゥルム・グラーツでは、イビチャ・オシムミハイロ・ペトロヴィッチ[2] らの下で主力として活躍し、ジョージア代表にも定着。

2006年からロシアクリリヤ・ソヴェトフ・サマーラでプレーする。2007年はクリリヤ・ソヴェトフでチームキャプテンを務めた[3]。2008年1月30日にFCロコモティフ・モスクワが3年契約での移籍を発表、この際ロコモティフが契約切れによる移籍金ゼロでの移籍を狙ったが、クリリヤ・ソヴェトフとは1月末契約で事前通告がなかったことから、選手登録をめぐってトラブルが発生した[4]。2009年末、稼働率の悪いムジリに対しロコモティフ側は一方的に解雇、これに怒ったムジリはロコモティフを訴えた[5]

2010年に古巣のディナモ・トビリシに復帰したが、シーズン途中に半年で退団[6]。フリーになっていたところを、グラーツ時代の恩師・ペトロヴィッチが率いるサンフレッチェ広島からの誘いを受け来日[6]。キャンプでのトライアルを経て[6]、2011年シーズン開幕直前の2月に1年間の正式契約を結んだ[2]。ジョージア国籍の選手としては初のJリーガーとなる[7]。運動量こそ少なかったが、エリア内で抜群のテクニックを発揮し得点を挙げた[8]。常にサポーターへの感謝を口にする人柄も含め、短期間の在籍ながらも愛される存在であった。同年末、広島の経営難を理由に構想外となった[9]

2012年、ジョージアリーグで首位を走るFCゼスタポニに完全移籍し[10]、同年度のリーグ優勝に貢献した。翌2012-13シーズンも在籍していたが、シーズン途中にUEFAチャンピオンズリーグ 2012-13での早期敗退やリーグ戦での不調により監督が次々と変わる中で、2012年9月からZaza Zamtaradzeとの二頭体制の形で監督に就任したものの同年12月に解任された。

その後はサッカー解説者などを経て、FCサムトレディアのスポーツディレクターに就任[11]

2015年10月にレバン・コビアシビリジョージアサッカー連盟会長就任を受けて、その事務局長に就任した[11]

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
ジョージア リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
1994-95ディナモ・トビリシトップリーグ30-30
1995-9651-51
1996-9791-91
1997-982818-2818
1998-99144-144
ロコモティフ・トビリシ110-110
モルドバ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
1999-00シェリフ・ティラスポリナツィオナラ3412-3412
2000-012717-2717
オーストリア リーグ戦 リーグ杯オーストリア杯 期間通算
2001-02シュトゥルム・グラーツブンデスリーガ134-10144
2002-03266-20286
2003-04261-31292
2004-05214-00214
2005-06206-11217
ロシア リーグ戦 ロシア杯オープン杯 期間通算
2006クリリヤ・ソヴェトフ・サマーラプレミアリーグ42-42
2007269-269
2008ロコモティフ・モスクワ141-141
20099011-101
ジョージア リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2010-11ディナモ・トビリシトップリーグ124-124
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2011広島10J13461110367
ジョージア リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2011-12FCゼスタポニ23トップリーグ-
2012-1310トップリーグ-
通算ジョージア1部 8228-8329
モルドバ1部 6129-6129
オーストリア1部 10621-7212227
ロシア1部 531211-5413
日本1部 3461110367
総通算 33696
国際大会個人成績
年度クラブ背番号出場得点出場得点出場得点
UEFAUEFA ELCL予選UEFA CL
1994-95ディナモ・トビリシ--
1995-96--
1996-97--
1997-9841--
1998-9910--
1999-00シェリフ・ティラスポリ--
2000-01--
2001-02シュトゥルム・グラーツ
2002-03--
2002-0353--
2005-06
2010-11ディナモ・トビリシ--
2012-13ゼスタポニ10-21-
通算UEFA

代表歴

試合数

  • 国際Aマッチ 26試合 1得点(2003年-2008年)[12]
ジョージア代表国際Aマッチ
出場得点
200310
200420
200570
200671
200760
200830
通算261

タイトル

チームタイトル
個人タイトル
  • ディヴィジア・ナツィオナラ得点王 (2000-2001)

ギャラリー

脚注

関連項目

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI